漫描雑譚/大人の漫画 [ギャラリー]
生活の中の娯楽として漫画とテレビがあり、技術上の未熟さはあっても内容的には決して幼稚ではなかったように覚えている。無邪気ではあったが幼稚ではなかった、こういったコンテンツのあった事が今の若者たちに通じるだろうか?
そしてその延長として、普段は少年雑誌の漫画を読んでいる私も時には父親の読み捨てた「漫画読本」を読むことがあった。
ちなみに「おトラさん」は柳家金語楼の当たり役で映画化もされている。
「遊びをせんとや生まれけむ」大人こそ戯れの中に真の姿を取り戻すのかも知れない。イギリスやフランスなどでも海外の漫画の多くは大人の人々を読者として想定しているものが多かった。だからフランスのバンド・デシネ(漫画)で有名なメビウス氏(本名:ジャン・ジロー)はアーチストとして認められている。
今では日本政界のドンとなった中曽根康弘氏が総理大臣になる以前の国会議員だった時代に描いた『現代の怪獣 キング・ドゴール』
タカ派で知られていた彼の面目躍如の一枚だ。
クリスチャンでもあり真摯なテーマを小説にしていた彼も、漫画では衣を脱いでくつろいだテイストで取り組んだようだった。
漫画と言えども手を抜かずに一生懸命描いている姿を想像してしまう作品だ。表面には出ていないが社会正義を信条とする彼の生き方の一部を垣間見る気がする。
☆
今ではすっかり忘れ去られている様子の“大人の漫画”というジャンルだが、ユーモアを理解する大人のセンス・バロメーターとして本来ならもう少し受け入れられていても良さそうなものだと思う。
漫描雑譚/カックン親父と爆笑ブック [ギャラリー]
私はその中で何といっても滝田ゆうの「カックン親父」が忘れられない。子供ながらにもカックン親父の軽妙なユーモアが大好きで、当時ファンだったクレイジーキャッツの笑いとシンクロするところがあった。笑いのツボがTV的でその画風や動作の描写は天才的だと思っていたが、数年後にメジャー雑誌に登場するや否や「寺島町奇譚」を発表して押しも押されもせぬ“人情漫画の雄”となった。
漫描雑譚/鉄人アトムの話 [ギャラリー]
当初はアトムを地球人と宇宙人との橋渡し的な大使にしたかったものが、いつの間にか愛されるキャラクターとして地球を守る“正義の力”的存在になっていった事は不本意だったのでしょう。
これまでも様々な名作と言われる作品群がそれ以後の時代の評価によって作者のモチーフとは別解釈されて伝わっていきましたが、それこそが時代を越えて生き続けてゆく“名作の宿命”なのでしょう。
『プログラミン』の投稿実験 [ギャラリー]
2020年から小中学校で導入されると言われているプログラミング教育。
21世紀の子ども達の必須項目として注目されています。
私も少しばかりかじってみようと文部科学省が運営する『プログラミン』サイトに登録しています。
このサイトは文部科学省が広く一般に啓蒙するための体験用ウェブアプリケーションで、自分のパソコンからアクセスしてお絵描きやゲームをしながらプログラミングの基本が学べ実感する事が出来ます。
とりあえず無理せずに出来る範囲での習作をアップしておいて、もう少し慣れてくれば音などを入れたものを後日更新のテストも兼ねてやってみようと思います。
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昨年に大きな転換期のようなものがあり、年が明けた現在でもまだ空白状態が続いている感じで、年が明けてもしばらくブログの更新もしていませんでした。
ブログ以外にもあまり積極的な行動をしていなかったのは、当面の日課が病院通いで忙しかったせいもあります。
2月中旬に手術が決定して、そのための準備検査が続いています。年が明けてからすでに2回、脳MRIと眼底検査を行いました。
今回のロボット手術という選択は総合的には一番リスクの少ない方法だという事で決めたのですが、唯一の問題点としては、身体を逆さにして施術するためにそれに耐えられる肉体的機能を検査されるというわけです。
次回の検査では前立腺MRIということで造影剤を注入して癌の進行具合を調べるそうです。現在得られている画像データが半年ほど前のものなので、手術直前の状態を見ておくためなのでしょうね。
これまでの掛かり付け病院の紹介を受けて、近くでロボット手術の出来る病院として大学の附属病院を選んだのですが、初めて受診する病院なのでなかなか勝手が分からず院内では苦労しています。
IT管理された現代的なシステムなのですが、窓口には勝手が分からず戸惑っている高齢者が結構いるように見受けられます。
平成29年 正月 [ギャラリー]
新年あけましておめでとうございます。
いい事ばかりではないだろうけれど、決してクサらず希望を持って
これまでとはひと味違う一年にしたいですね。
やりたい事をひとつでもふたつでも実現させられますように…
個人的な記憶をデザインに生かす事の必要性 [ギャラリー]
気になった発見があったのでメモすることにした。
オランダのデザイナーによる『老人ホームのドア』のデザイン。
画一的で殺風景な施設のドアを個性を尊重した思いのあるデザインに変えた実例。
ここには認知症老人の個性を尊重する重要なヒントがあると思った。
まずは、紹介されているサイトをご覧ください。
http://tabi-labo.com/279173/truedoors
☆
私が感心したのは、老人個人の持っている記憶の中からデザインモチーフを引き出している事。
一人一人違うドアのデザインを“思い出の宝庫~アイデンティティ”として捉えている事です。?
これには軽いカルチャーショックを受けました。
「そんな視点があったんだ!」
『認知症を患ったおじいちゃん、おばあちゃんたちのドアが以前、自分たちの住んでいた家とそっくりのものに変わる。すると、彼らは昔の想いで話を楽しそうに語り始めるんだそう。
心に大切に留めておいた記憶のドアを開ける手伝いも、もしかしたら、この生まれ変わったドアが担っているのかもしれない。』(true door_アートプロジェクトより)
☆
こういったアイデアや事例を見るたびに私は“世界はまだまだ可能性を秘めている”と感じます。
私たちの思いや能力が至らないだけであって、『世の中を良くする発想のきっかけ』というものはいたる所にあるようです。
そのためには私たちがもっと自由に思いを馳せるようになることが大切なんでしょうね。
↑ 「true doors」Web サイトより転載
『プログラミン』を楽しむ [ギャラリー]
以前に紹介した文部科学省推奨の『プログラミン』を少し練習してみました。
2020年から小中学校の必修科目になるという事で、孫たちに尋ねられたら困るので少しばかりマスターしておこうという心づもりもあります。
※「プログラミングが小学校の教科になる」(平成28年8月2日・記)
初回にログインして登録しておくとそれ以後は立ち上げただけでスイスイ操作できるので面倒くささが無くって快適です。
やはりテキストがあった方が分かりやすいけれど、購入してから途中で飽きると無駄になるので当分の間は図書館から借りて来ています。(『Scratch』の方は世界的なトレンドなので購入しましたが)
☆
ちょっと手の込んだことをしようとすると下図のようにたくさんのプログラムを組み立ててゆくことになります。テキスト形式のコマンドではないのでその辺が視覚的で分かりやすいけれどチョット目障りでもあります。
キャラクターを選んで下の欄からプログラムを選んで加えてゆく、作業としてはそれだけの単純なものなので、あとは個人の創意工夫でバリエーションが作れます。
以下にとりあえず動かしてみたテスト作品をアップしておきます。
テキストを参考にすれば試行錯誤しながらも15分足らずで出来ました。
☆
前に紹介した文部科学省の『プログラミン』サイトでは使い方を動画で分かりやすく説明しています。
かつて流行ったお絵描きサイトみたいな感覚で気楽にアニメーションをつくりながらプログラミングの基本的な仕組みがマスター出来ます。
将来の子ども達はPCに追従するのではなくて、自主的にアプリを作り上げてゆくのでしょうね。
それでこそようやくメディアや情報に縛られない主体的生活が出来るようになるのかも知れません。
頑張ろう! [ギャラリー]
これは遥か30年も昔の物語。
童心ワールドを駆け巡る乗り物に「ガンバロー号」というのがありまして…
乗務員たちは「ガンバロー T-シャツ」を着用して
異次元ツアーを日々楽しんでおりました。
そんでもって、ある日旅立った先は
「スイーツ・ランド」なんていう甘ったる~い国。
その後も、様々な国を旅したガンバロー号は、旅のフィナーレに、幸せが満ちていると言われている「雲の国」をめざしました。
▲今回の“即席ストーリー”はガンバロー号を紹介するためのモノで…本来のオリジナルは全く違うお話です。^^)
☆
☆2011年7月18日/記
雲の上のアルバム [ギャラリー]
すでにこの世から いなくなった人たち
時には偲びの雨粒となって
時には憂いの吐息となって
いまでも地上に 舞い降りる
肉体は塵となって 大気に消え去り
魂はエナジーの粒となって 宇宙に帰依されていった
それでも私は知っている
雲の上のアルバムに あなたたちの命の記憶があるという事を
☆☆☆
☆2010年11月26日/記
離島の母 [ギャラリー]
本土から数十キロ離れた離島にその母は暮らしていた。
たいして大きくもない島は二、三時間で周りをひと巡りしてしまう。
時には嵐の中にさらされながらも本土から離れて島は生き続けてきた。
島に生まれたその母は
島で育ち、島で出会い、そして島で恋をした。
家族ができて生まれた子供たちはいつしか大きく育っていった。
子供たちは島の向こうに夢を見ていた。
そしてある日、離島の母に別れを告げて自分の人生を歩んでいった。
本土からはるか離れた島の中で
時には嵐にさらされながらも夫と二人で島に暮らし
その母は八十年の自分の人生を精一杯に生き抜いた。
彼女が戯れ、恋をし、暮らし続けてきた道程の
島の路地裏にある石段は今でも朽ちずに生きている。
☆
☆2012年9月9日/記
EU諸国のユースホステルを巡って [ギャラリー]
▲アムステルダムYH ▲▲チューリッヒYH
古い話になるが、若い頃にヨーロッパ各国のユースホステルを泊まり歩いていた時期があった。
気が向くと長期滞在をしたり、現地アルバイトで働いたりという自由気ままな旅だったから、世界中からユースホステルに集まる同世代の若者たちと交流して各国のリアルな感覚を吸収できたことも大きな収穫だった。
☆
長い時間が過ぎて、かつて泊まったホステルをネットで久しぶりに見てみたら、まだ建物もほとんど変わらず健在で驚いてしまった。さすがヨーロッパの国々はモノや伝統を大切に受け継ぐところだと感心する。
←当時、私の指針となってくれたガイドブック
思い返してみれば様々な事柄が今とは違っていた。
よく『時代は変わっても人の気持ちは変わらない』などと言うが、人間的資質は気づかぬ内に変わってしまっているようにも思える。
当時は国家や社会からドロップアウトをして地球をさまよい歩くということに、新世界を開拓するようなフロンティア精神というか冒険的意義が感じられた時代だった。
▲ヘルシンキYH ▲▲ストックホルムYH
世界を取り巻く状況はすっかり変わってしまっている。
インターネットやメディアの発達によって、居ながらにして情報収集や人々とのコンタクトが可能になった。いや、実際には正確に把握できる情報量や人々との距離はそれほど変わっていないのだが、仮想現実が発達して“さも分かっているかのような知っているかのような錯覚に充たされている”
だから相変わらず、一般大衆は情報操作されやすくもうひとつの“裏側の真実”には疎くなっているようにも思える。
それぞれのお国柄でユースホステルの雰囲気や様相が違ってくるところが面白かった。
★ストックホルムでは「アウフ・チャップマン」という帆船を改良したホステルだったが、とても清潔で質素な感じの宿泊施設だった。全体的に自主性を重んじて、規則もゆるやかな北欧らしい自由な雰囲気が漂っていた。
★ミラノ(イタリア)のホステルはとても近代的な雰囲気で、ローマやナポリとはひと味違ったモダン・デザインの都市としてのプライドを感じた。
★フィレンツェのホステルはパテオがあってルネッサンス建築の香り漂うホステルだった。
★ドイツではリューベック、ハンブルグ、フランクフルト、ミュンヘンなど数多くのホステルに泊まったが、さすがに発祥の地だけあって、どこもが管理の行き届いたホスピタリティ精神を感じさせる。
★インスブルック(オーストリア)は登山客が多く利用するようで、バンガロー風のホステルだった。
★アムステルダムのユースホステルは私が泊まった数々のホステルの中では最高に自由で快適なホステルだった。フロントの前のロビーがゆったりしていてに各国の宿泊客と語らえる談話スペースになっている。更新の連続で、いつの間にか延べ一ヵ月近くも滞在してしまった。
★チューリッヒ(スイス)、ブリュッセル(ベルギー)、バルセロナ(スペイン)そして北欧ではオスロ、ヘルシンキ、ラーティ、バーサ、オーデンセ、コペンハーゲンなどなど、たくさんのホステルに忘れられない思い出が詰まっている。書き記してきた寄せ書きや落書きサインは今でも残っているだろうか?
▲フランクフルトYH ▲▲フィレンツェYH
最近のユースホステル事情はどうなっているのだろう?旅行代理店が予約も取ってくれるようだったり、ファミリーで宿泊できるものもあるようだ。
かつての私たちのような貧乏旅行者は減っているだろうし、旅の形式や旅に求めるもの自体が変わっているのだからホステルのスタイルも変わってゆくのだろう。
☆
旅は人生であり、人生とは旅のようなものである。どのような旅をして何を発見するのか?それは人の一生の生き方にも似ている。
私が辿るのは風の吹く草原なのか、それとも光流れる虹の彼方なのか…。旅の本当の楽しみは目的地に辿り着くことよりも、その道すがら…過程にあるように思える。
☆2012年11月8日/記
2015年_歳の初め [ギャラリー]
今年は取り組みたいテーマが明確にあるので、とても清々しい気分で久しぶりに胸躍る新年を迎えられました。
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毎年恒例となっている神宮への年越し参拝。
何度か仕事などの都合で訪れなかった年もあったけれど、数えてみれば三十余年ほど年越し参拝は続いています。
沿道の店舗は大晦日終夜営業で賑わっていて、この非日常の風景が好きです。
敷地に入ると火を燃やしているところに人が集まっています。
「どんど火」と呼ばれていて、炎を浴びることによって風邪に負けない強い体をつくれるらしいです。
▲外宮参拝の入り口
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境内に入り砂利を踏みしめる音を聞きながら歩いていると、何とも言えない引き締まった感覚を覚えます。この不思議な心地よい緊張感が好きです。
本殿に向かって幾つもの鳥居をくぐり抜けていると、神域の空気が身にまとわります。
☆
(平成23年大晦日撮影)
本殿は一般の写真撮影が御法度なので、写真は撮らずに帰ってきました。
帰り道に今年も恒例の「お札」と「お守り」を買って家路につきました。
三つのテーマ、三つの取り組み [ギャラリー]
「3」という数字が私にとってのConceptual_figure になりそうだ。
「3」という数字は、とても安定的で平和でサステナブルな解決策をもたらす数字のように思える。
「三権分立」「三位一体」「第三の男」「三本柱の計(これは私のオリジナル:笑)」…そして不思議な事に三本柱の鳥居というものまであるらしい。
<岐阜県郡上市大和町にある三本柱の鳥居>
これからの私は「3」という数字に少しばかりこだわって行こうと思っているのだが…。
現在も3つの取り組みを始めている。
◆そのひとつ…円 蛇丸としての制作活動
↑ 「円 蛇丸」のパーソナルロゴ(未完)思案中 ↑
◆もうひとつは…「扶侶夢絵本」の世界観とその世界づくり
個人的な思い込みコンセプトから生まれた「扶侶夢絵本」はブランド名でもあります。
扶侶夢絵本の世界で繰り広げられる様々な事柄は“絵本の次元”というもうひとつの宇宙での出来事なのかも知れません。
◆そしてみっつめは…私説「三界書」の執筆開始
宮本武蔵は何故「五輪書」を記し始めたのか?決して、出版して印税収入を得るためではなかった筈だ。 60歳になって雲巌寺の洞窟に入って筆を取ったことは彼の最終的な到達地点だったのだろう。
宮本武蔵のような達人でもなく、私のような普通の人間がしたためる自説に何の意味があるものなのか?
しかし、その境界を越えてこその私説・三界ノ書とも言えるのです。
通説常識とか、既存価値とか、権威評価とかそういったものに囚われている限り目を開くことは出来ません。
武蔵の二刀流開眼は如何にして誕生したか?この部分だけでも常人とは一線を画するものがありますね。
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それぞれの無人駅 [ギャラリー]
雪の中の無人駅
頑固な老人の生き様を見せてくれているようだ。
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夜更けに降り立った駅は遠く離れた無人駅
まるでホッパーの絵のような世界だった。
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40年前のスケッチブックには
小田急線沿線・梅ヶ丘にあった木造の無人駅が描かれていた。
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動きと静止 [ギャラリー]
【モバイルな今日】
どこもかしこも「移動ながら族」です...
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【思索とは凝視すること】
ものすごく現実的な状況に身を置こうとしている。これからは社会とある程度距離を置いて生きようか…などと考えていたのだが、なかなか思ったような流れにはならないものだ。
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静と動のバランスで成り立っている社会に静の部分で参加しようと思っていても、周りから動の部分に期待をされると、けち臭い事も言ってられなくてついつい応じてしまう…。そんな歯がゆい思いを巡らしながらTVを観たら、今日は8月15日。68年前に飛び立っていった特攻の若者たちを映し出していた。
[第六十二回神宮式年遷宮/お白石持行事]
20年前は青年団で木遣りを歌いながら荒々しく練り歩いたものだったが、この歳になると一線からは退いて若者たちに綱を曳かせることが作法というものだろう。
祭りのなかにも“静と動。荒ぶるものと鎮まる魂”が存在している。
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