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我慢大切、無理は駄目 [ギャラリー]

【我慢大切、無理は駄目】
我慢することは様々な場面で必要だが、無理をすることは理にかなわない事だから良い結果が得られず駄目である。
私たちは時々無理なことを我慢したり、無理を無理なままで押し通したりすることがあるが、我慢をするべきか無理なことなのか良く吟味してゆきたいものである。

我慢無理文字.jpg

人間性が真面目で我慢強いほど、かたくなに忠実に、不条理であっても従って生きる。それがどれほど周りを苦しめ悲しめても、忠義の名のもとに自己満足に生きる。

そんな前時代的な生き方や考え方は、この先に時代の流れが変わっても評価される事はないだろう。上の者に無理を強いられて従属して生きることは「武士は食わねど高楊枝」という言葉と共に、過去には美学のひとつであったかも知れないがもうそんな考えは支持されないだろう。

人は何かを成すために無理をしようとするがそれは駄目である。無理をして成したものは必ず破滅する。今世界で謳われている「SDGs」の根幹もサスティナビリティ=一時的な無理をしないという事が大切である。継続的に何かを成し遂げるためには無理をせず我慢強く続ける事なのである。

切り株風景.jpg


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街の灯を身にまとい [ギャラリー]

[つぶやくように詩を詠んで]

流れる永遠の時間の中で
独りつぶやく意味のない詩歌

誰に伝える 何を伝える
自身の証しを求めただけのフレーズは

闇夜に流れるジャズのメロディ
私の吐息とシンクロする

夜の都会.jpg

今日も時が流れてゆく…
何も変わらぬ生命のままに
ただ黙々と悔いもせず あるがままに詩を詠んで

 

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「素」を描く [ギャラリー]

「素」を描いてみようと思った。

何故か最近、素という言葉・文字に惹かれるようになった。
力強さは無いが、素朴な生命力を感じる。生きるという事はもっと単純で美しいものなのだと思う。

素の文字.jpg

描いた「素」をじっと眺めていると…
人の顔に見えてきた(笑)

 

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無題 2022年4月 [ギャラリー]

黄昏れ光景.jpg

心象のスケッチ
…そして時は止まる。

 

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無題 2022年3月 [ギャラリー]

目の前にある筆立てを描いてみた。
止まっていた自分が動いた…単にそれだけの出来事。

筆籠.jpg

そしてタイトルは無題。

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無題 2022年2月 [ギャラリー]

抽象か具象かそんな事はどうだっていい、ただ筆を走らせる。

自画像パイプ.jpg

 

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無題 2022年1月 [ギャラリー]

逃れる.jpg

筆を走らせる…何かから逃れるために…ただ筆を走らせる。

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無題 2021年12月 [ギャラリー]

旅の記憶…
人生の記憶と重なって
甘酸っぱさが心に染みる

ルクサンブール公園 .jpg

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無題 2021年11月 [ギャラリー]

様々な言い訳をしながら過ごしそうな人生
命の誠はそんな処には無いんだよ。
もうそんな時間は残っていない…

都会.jpg

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無題 2021年9月 [ギャラリー]

自画像を描く蛇丸.jpg

時を過ごすように
ただ絵を描く。
普通に息を吸っては吐くだけで深呼吸の様な大袈裟なものではない。

松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅で会得した感性「かるみ」に
出会う事はあるだろうか…

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無題 2021年8月 [ギャラリー]

リアルな今の私を表わすなら 「無題」

正直に近づけば近づく程に「無題」になる。
当分は「無題」と題しながら描いてみようか…

徴古館裏-習作.jpg

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リアリズムを超えたヒーロー群像 [ギャラリー]

もう何年も前に還暦を経たかつてのヒーローたちを主人公にした漫画を描きたいと思った事があった。
私が幼少だった頃にテレビや漫画雑誌で活躍していた懐かしのヒーローたちが還暦になった今も実は秘かに活躍しているという設定で、当時の映画でも流行った “オールスター総出演”というスタイルのオムニバス形式の漫画を考えていたのだが…著作権の問題もあって流れた。

私の少年時代と云えばあらゆるものが未完成で未成熟だった時代だから、今とは違って社会的な許容範囲も広く緩くて、物語のリアリティーにしても “まさに漫画的、なあなあ表現”で許される事も多かった。例えば「まぼろし探偵」や「少年ジェット」などは子供でありながら拳銃を撃ったりオートバイやスクーターに乗って事件を追いかけたり、「ビリーパック」の主人公ビリー少年は父親がアメリカ人、母親が日本人の混血なのだが父親がスパイ容疑で拷問を受けて殺されたのに、わざわざアメリカに逃れて教育を受けてから日本に帰って来て社会正義のために活躍する姿は少年とは思えない行動力で、コートを着てハンチングを被ったスタイルはどう見ても大人の男だった。一世を風靡した「月光仮面」は私立探偵・祝十郎の変身した姿なのだが、一体何のために変身するのかがよく分からない。正体が分かったところで何の不都合もないのに、単にその格好良さを楽しんでいるとしか思えないほどである。
突っ込めばきりのないヒーローたちなのだが、この矛盾だらけの楽天的とも云える爽快さが、高度成長期を後押しする未来の大人たち(注※団塊の世代たちの事)の精神的下支えとなっていた様にも思える。

懐かしヒーロー.jpg

行く川の流れは絶えずして万物はその形を留めることはなく、時代は移り変わり善悪も時の写し鏡の如く変容してゆく。時代のヒーローも今はなく、彼らの闘ってきた歴史だけが伝説となっているのみだ。
21世紀の今の時代となっては彼らの姿は時として陳腐に映るだろうが、例え滑稽と云われ無用と云われても時代に刻んだ足跡には人々の心に築いた業績が生きている。

to be continued…

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埋め草15年の総括~その2 [ギャラリー]

この15年の間ブログに埋め草的な絵を描いてきた。その時々でまさに落描きの様に勝手気ままにスペースを埋めて来たが…改めて思い起こしてみれば、これはこれで存在の意味がある様にも思える。たかが埋め草、されど埋め草。

【表層の切端】

01_表情.jpg 02_表情.jpg 03_表情.jpg 04_表情.jpg 05_表情.jpg

【状況の切端】

01_状況.jpg 02_状況.jpg 03_状況.jpg 04_状況.jpg 05_状況.jpg 06_状況.jpg 07_状況.jpg

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埋め草15年の総括~その1 [ギャラリー]

集大成と云うほどのものでもないので“総括”という事にした。
So-net のブログを始めて15年以上になる。考えてみれば沢山のオリジナルなイラストやカットをアップしてきた。見方によっては、時の流れに流され消えてゆく取り止めもない落描きでしかないのだが、その中にはテーマを持っていたり、将来の胎動を感じさせるものもあるかも知れない。まったく個人的な収集なのだが、ここに何か“私的な意味”が眠っているかも知れない。

【日常の切端】

邂逅.jpg 幼年.jpg

部屋.jpg カット.jpg

夕暮.jpg

台所.jpg  露店.jpg

垣間.jpg

風景.jpg 悩み.jpg

肖像.jpg

【前頭葉の切端】

1_魂叫.jpg 2_輪廻.jpg 3_幻影.jpg 4_模様.jpg 5_胎動.jpg 6_臨終.jpg 7_犬笛.jpg 8_動物.jpg 9_絵本.jpg 10_トビラ.jpg

何となく心に引っ掛かる個人的な記念碑的なものを適当にピックアップしてみたが…一貫性のないところが如何にも自分らしいと思うけれど…よくよく考えてみると同じ人物から生まれたものだからそれなりの一貫性はある筈なんです。(了)

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漫描雑譚/貸本屋時代 [ギャラリー]

自己の文化面を形成したルーツを辿れば、原風景として映画館と貸本屋が浮かび上がってくる。どちらも私の人生や性格形成に大いに影響を与えていると思える。映画館は地方都市において数少ない貴重な娯楽で、両親は幼い私を夜の9時過ぎから始まる「ナイトショー」と呼ばれる割安時間帯によく連れて行ってくれたものだ。年の離れた姉が大映映画の大部屋女優だった事もあり何かと芸能界には興味のある家庭環境だった。
そして情操教育を担ったもう一方として貸本屋の影響も大きかった。運良く近所に貸本屋が二軒もあって、学校から帰ると毎日のように小銭を握りしめて通った事を思い出す。小学校に行くようになってから親の買い与えてくれる漫画では飽き足らなくなって、自分で貸本屋に出掛けるようになりそこで見つけたのが普段目にする雑誌漫画とは異なった「劇画」という世界だった。

貸本「影」.jpg

現在でもコミックのレンタルはあるけれど時代の様相が違っていて、当時は乏しい娯楽の中の少ない選択肢のひとつとして、特に子供たちにとっては貴重な存在だった。そして子供が背伸びして大人の世界らしきものを覗き見る、妖しくもスリリングな場所でもあったようだ。
学校を終えて外から遊んで帰って来ると、テレビを見るか貸本屋に足を延ばすのが日課になっていた。馴染みの貸本屋には「少年クラブ」「冒険王」「ぼくら」といった一般的な月刊誌も置かれていたが、書店では見られない様なボール紙製ハードカバーの単行本が私のご贔屓だった。一世代前の赤本と呼ばれた祭りや夜店で路地に並べて売られていた粗末な漫画本から少し発展した程度の冊子だったが、それでも内容的には“輝く時代”を反映していたものだった。
今の私たち世代が(比較的に)根本的に世間に対して絶望視しないのは、子どもの頃に培った泥にまみれたバイタリティのような感性があるからかも知れないと思うようになった。その原風景として私は個人的過ぎるかも知れないが、妖しく危なげな環境との同居が大きな要素だった様に思える。貸本屋という独自の閉鎖空間で提供されるアウトロー的な文化は子ども達に必要な反骨と自立心を育む栄養素だった。

貸本マンガ大全集.jpg

カギっ子(両親が共稼ぎで家に帰ると鍵がかかっているのでそう呼ばれていた。「現代っ子」と並んで当時は流行語にもなっていた)だった私は、家に帰ると机に置かれた十円玉が3枚の小遣い30円を持って貸本屋に直行した。雑誌一冊が5円、単行本が10円で二冊くらい借りてくるのが通常だった。残りの小遣いは帰り道に駄菓子を買うためのもので、家に着くと菓子を食べながらテレビのチャンネルをひねる。お昼の3時~4時頃によく見ていたのは色っぽい三ツ矢歌子の出演していた新東宝の映画だったり、榎本健一「エノケンのとび助冒険旅行」伴淳三郎「名探偵アジャパー氏」といった喜劇だった。
テレビが終わるといよいよ借りてきた本をみるのだが、このテレビ映画を見た後に貸本劇画の世界にひたる至福の時間がたまらなく私の情操を豊かにしたようだ(笑)

劇画_台風五郎.jpg

学校の図書館とは勿論まったく違う世界なのだが、児童書とは異なった妖しげな劇画の世界に触れる貸本屋というスペースに匹敵するものが今の子供たちの世界にはあるのだろうか?それはある意味で雑菌の入り混じった混沌の世界かも知れないが間違いなく現実に存在する“生きる命のある世界”なのだ。
かつての貸本とその時代を振り返った時、懐かしさと共に幼かった時代に享受した娯楽に照れながらも感謝してしまう。

 

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死を食べる-アニマルアイズ