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「若者たち」の時代/思想のタイムスリップ [タイムスリップ忘備録]

一世を風靡したTVドラマ「若者たち」を懐かしく観て様々な事が頭を占めた。あの頃の私たちは良くも悪くも純粋で、世の中に希望を掲げていたものだ。

物語の全体像が分かりやすいと思われるので、ここに全文ママで映画公開された時の紹介文を引用させてもらいます。
『1966年にフジテレビで放送された連続ドラマ「若者たち」は、戦後の傷跡、貧困、学歴差別、学園紛争……など当時の世相、問題を鮮烈に描き反響を呼ぶものの、その社会批判性の強さにより、突然打ち切りに。しかし、放送終了後も圧倒的なファンの支持を得て、テレビ版と同じスタッフ、キャストで映画化。自主上映ながら、その感動と共感の輪はまたたく間に全国に広がり、1年間で300万人の動員を記録しました。
早くに両親を亡くした五人の兄弟妹──土建会社の設計技師、弟妹たちの親がわりとなって戦後の混乱をのりこえてきた長男・田中邦衛、遠距離輸送のトラック運転手で竹を割ったような性格の次男・橋本功、行動的なインテリの三男・山本圭、一家の台所を切り盛りする紅一点・佐藤オリエ、ドライで自己中心的な現代っ子だが、根はやさしい末男・松山省二──が互いに助けあい、時に猛烈に争い、ひたむきに日常を生きていく──。もがき苦しむ若者たちの姿がザ・ブロードサイド・フォーの主題歌とともに胸に迫ります。』

若者たち 画像.jpg

昭和40年代、まだ核家族という言葉に慣らされていなかった若者たちは、人々や社会との連帯の中に生きていた気がする。経済は高度成長期で昭和元禄と云う様な流行語にもなっていたが、多くの若者たちは社会の矛盾とぶつかり合いながら純粋な生き様を晒していた。ある意味で明治維新の起爆剤となった幕末の脱藩浪士たちの様な気概を持っていたかも知れない。だからこそ社会に対して声を上げることが自然であり必然であったのだろう。

時代の若者たちはその時代の流れに翻弄されて流れてゆく。常に次の時代の起爆剤となる若者の心情は、この次の時代にはどう移り変わってゆくのだろうか?常にある世の中の正義と不義、強者と弱者そして不公平。そういった障害にぶつかりながら、どういった答えを出そうと悶々とするのであろうか?
現代の若者たちにはそんなものは問題でも何でもないのかも知れない。問題の本質は変わらなくとも表層は変わってしまう。それが時代の流れと云うものなのだ。若者の心情は変わらなくとも生きて来た時代によって問題の対象はまったく違ったものになってしまう。良いとか悪いというものでもないのだろう。

今ではもう懐かしさでしかない若者たちの心意気と辿った足跡は二十世紀の種として土深くに埋もれている。

 

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人間ポンプの思い出 [タイムスリップ忘備録]

【人間ポンプの思い出】

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<人間ポンプ> 今ではすっかり異次元の出し物として記憶の彼方に追いやられ、封印されてしまった「人間ポンプ」という催しがあった事をどれだけの人が覚えているだろうか。差別とか人権に厳しくなった昨今なので、巷ではもう話のネタにも表われてこない。

子供たちは無邪気に残酷なキワ物見たさで喜んでいたが、ここに登場する人たちは狼少女とか蛇女といった普通の人間ではない人たちだった。その時代に呼ばれていた “総称”を明記すると今の時代では差別的とか蔑称とか言われてクレームどころか法に触れることになるのでストレートには呼べないが、当時は大人も子供も平気で呼んでいた。それらの人達は本当に体に障害を持った人もいれば、人魚の尾ひれの付いたコスチュームで誤魔化して登場する者もいて、元はといえば貧しい農村から売られてきた娘たちが大勢いた。

祭りなどの出し物として広場の一角に舞台小屋が設置されていて、その隣には曲芸師やお化け屋敷などの小屋も並んでいた。

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CSRと企業の社会的責任/思想のタイムスリップ [タイムスリップ忘備録]

近頃『SDGs』という言葉がビジネス界や社会のムーブメントとして言われている。それで思い出すのは、かつて同じ様に社会的なコンセプトとして登場していた『CSR』である。サステナビリティ・企業の社会的責任と言われて一部の人たちから期待されて登場した新時代のコンセプトはその後どうなったのだろうか?かつての時代に戻って思想の変遷をタイムスリップすることは、表層的なレトロ・ブームとは一線を画す“知の散策”と呼べるものだろう。

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『CSR』のコンセプトは第七代国連事務総長コフィー・アナン氏の提唱した「グローバル・コンパクト」に始まる。世界の南北格差や自然破壊の閉塞感をブレイクスルーするために 1)人権 2)労働 3)環境 4)腐敗防止 の四つの指針を打ち出した。そしてこれらを監督・監視するためガイドラインを設けて市民レベルでの第三者的存在オンブズマン制度も検討された。それまで経済的強者であった企業組織が勝手気ままに振る舞えない様な民主的なシステムの発想だった。
今では日常的に使われるようになったが「サステナビリティ」という言葉は我が国ではこのCSRの啓発と共に生まれた言葉だった。サステナビリティとは「持続可能性」という意味を持ち、
自然環境や人間社会などが長期にわたって機能やシステムの良好な状態を維持させる考え方で、バブル崩壊の後の日本社会が求めていた概念でもあった。

私は一時期CSRの研修に取り組む機会があったのだが、当時は日本社会をバブル崩壊の余韻が閉塞感を漂わせていた時だったので、新しい成長路線に乗せるという意味で多くの企業が賛同していたものだ。日本企業にありがちな “お題目”だけ唱えるキャンペーン・フレーズが多かったが、消費者側の意識を変えさせることに少しは役だった様にも思える。
考えてみればその国々で注目する部分が違うのだろう。日本人の多くはリサイクルや環境問題に興味があるためCSRのその部分に多くを割いていたように思える。新型コロナ・ウィルス禍でも顕著に現われたように日本人の大方は環境衛生から身を守る事には長けているのかも知れない。企業もその辺は理解しているのでCSRの中でもその部分には力を入れていたものだ。行政に於いても環境問題への取組みが一番で労働・人権は二の次、腐敗防止に至っては殆ど問題にしないというのが実情だろうか。これは何も日本だけではないだろうけれど…。

世界の経済活動の本質部分に対して問題を投げ掛けるという意味で『CSR』の登場は画期的でもあった様に思える。決して正しく理解・運用されていたとは言い難いが、新しい概念というものは常に幻想と理想を含んでいるものなのだろう。

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紙芝居屋の思い出 [タイムスリップ忘備録]

【紙芝居屋の思い出】

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<紙芝居屋> 昭和20年代後半から30年代の初めまで子供たちを楽しませる娯楽商売として人気を誇った。後に登場したテレビは別称「電気紙芝居」と呼ばれたほどで、そのテレビの登場によって紙芝居は子供たちの娯楽アイテムから衰退していった。

大人たちには映画や観劇という娯楽があったが、テレビが登場しても街頭テレビくらいでまだまだ普及していない時代に子供たちには路上の紙芝居という楽しみがあった。
週に一回くらいだったと思うが、昼下がりの三時頃になると(当時は三時という時間を “おやつの時間”として、洒落て言うならティーブレイクとして一日の労働の小休止として位置付けられていたものだ)太鼓や笛の音が鳴り響き、自転車を漕いで紙芝居屋の叔父さんが登場した。ちなみにまだまだ女性の社会進出は成されていなかったので “紙芝居屋の叔母さん”というのは全国に一人もいなかったと思う。
紙芝居を積んだ黒塗りの自転車には菓子の入った箱が取り付けられていて、紙芝居の観覧料五円だったか十円だったかを払うとその中からお菓子を取り出してくれた。お菓子には当たり付きのものもあって、代表的なものは「ひようたん抜き」という薄く出来たベッコウ飴を瓢箪型に切り抜くものだった。他にも名前は忘れたが、穴をくり抜いてそこに親指が通れば景品を貰えるというものや、おみくじの棒の長さでドーナツを貰うといった駄菓子屋風のお菓子満載だった。そして手に入れたそれぞれのお菓子を口に入れながら紙芝居が始まるのを待ったものだった。
肝心の紙芝居の演題は何故か不思議と思い出せない。記録には「黄金バット」や「鞍馬天狗」「ターザン」等が列挙されているが、私の地域には訪れなかった。日本全国、地方によって様々なのかも知れない。ただハッキリと言えることは、けっして教育的で道徳的な “綺麗事でつくられた物語世界”ではなかったという事だ。小学校に通う様になると教育紙しばいという退屈なものを見る機会が増えたが、子供たちにとってもそういった時代の尺度の転換期でもあったのだろう。

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能力開発は時代と共に/思想のタイムスリップ [タイムスリップ忘備録]

1960年代に「水平思考」という言葉が流行した。これまでの封建的なタテ型社会や身分のヒエラルキーを覆す志向に目覚めた時代でもあったので、水平=フラットな感覚を呼び起こす能力開発手法として評判を呼んだ。
そのころ同じようにベストセラーとなって能力開発の先鋒と称されたのが、戦闘機『隼』開発のエンジニアとして既に評価を得ていた糸川英夫 博士(“日本のロケット開発の父”とも呼ばれる博士の功績は簡単には語り切れませんが、現在では小惑星『イトカワ』の命名源としても有名ですね)の「逆転の発想」シリーズだった。

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「水平思考」「逆転の発想」といった視点の転換、固定観念の打破に注目が集まったのは敗戦後の社会が高度成長の波に乗るための積極的な前向き志向だったためだろう。東京オリンピックがあり大阪万国博があり国際的地位の向上に向かって突き進む時代の日本社会で、国民に待望され支持されたのが能力開発というコンセプトだった。そしてこれまでの学習方法を暗記最優先の“詰め込み学習”と揶揄して「右脳の開発」といった新しい頭の使い方にスポットを当てる言葉も生まれたが、いずれも社会的な価値観の転換期であった事と無関係ではなさそうだ。
その後80年代に入るとバブル景気の自信満々な上昇志向も加速して、新たな手法とスタイルによる能力開発ブームが到来した。中には新宗教とも呼ばれて集団催眠を利用しているかの様な団体もあり、また他方ではモチベーションアップの手法でネズミ講的ビジネスと合体させたような如何わしいものもあったが、能力開発の目的や方向性は人々の生活水準や社会環境の変化に伴って、かつての60年代のものとは別ものだった様に思える。アメリカからやって来た『ライフダイナミックス』も新しい能力開発メソッドのひとつで、日本の主要都市のイベント会場で能力開発セミナーを繰り広げ大きな収益を得るビジネスとして成功させた。その意味に於いてもこの時代の能力開発とは“金儲けスキル修得”の一種であった。

近年ではイノベーションという言葉が組織改革の意味で使われているが、その発想の端緒となったのが70年代にブームとなった科学的な能力開発を促す“KJ法とQC運動”だろう。企業組織に於けるブレーンストーミングという手法も活発化した時代だった。

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90年代に入ると21世紀を目前にした思考のパラダイム変換が論じられるようになる。パソコンやモバイル・メディアの進歩に伴ってデジタル社会の到来が謳われ、人間の能力開発に対してもこれまでのアナログ的な考え方からデジタル思考へシフトチェンジされるようになって来た。

また同時期には伝統的な手法、伝説の人物のよるサクセス・スキルにもスポットが当たるようになってきた。戦後日本で幾度となく取り上げられてきたカーネギーやナポレオン・ヒルの様な“20世紀のサクセスストーリー”による能力開発スキルの紹介だ。現代に至っては「能力開発」はビジネスコンテンツのひとつとして露骨に位置付けられるようにもなって一般化したことは良いことだろうと思う。半世紀前は「能力開発」と云えば少し胡散臭い宗教の一派であるかのような印象さえ受けたが、21世紀の現在ではひとつのジャンルとして立派に地位を得たと云えるだろう。

 

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カモメのジョナサンの思い出 [タイムスリップ忘備録]

【カモメのジョナサンの思い出】


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<カモメのジョナサン> '70年代初頭にアメリカで発表されて日本でも一大ブームを起こしたリチャード・バック著、スピリチュアルな内容の寓話的短編。ベトナム戦争や学生運動で国際社会が混迷していた時代、若者たちが何か新しい価値観と哲学的な道を求めて試行錯誤していた時代に登場して世界の多くの若者たちのバイブルとなった。


'70年代の初め頃に発表された「カモメのジョナサン」は世界的なベストセラーになり映画化もされるなどカウンターカルチャーとして流行したが、その影響は日本でもいたるところに見受けられた。同じ頃に発表されたジャズ界のスター、チック・コリアの「リターン・トゥ・フォーエバー」のアルバム写真もよく似たカモメのイメージ写真だった事が、私には時代の象徴として「カモメ」を印象づけたものだ。 その頃から日本ではステッカーやロゴマークなどに「自由・飛翔の象徴」としてカモメがやたらと現れはじめる。ちなみに当時の東映映画人気シリーズ「トラック野郎」で愛川欽也が演じだ脇役のニックネームは「やもめのジョナサン」だった。


日本語翻訳版は五木寛之が担当したが、そのあとがきに「自ら翻訳をした作品を批判する文章」を書いたエピソードは有名である。後に「サリン事件」を起こしたオウム真理教の幹部の愛読書であった事が判明して、改めて五木寛之の先見性・洞察眼に感心したものである。

<ご注意>
このコラムは過去に発表した内容をそのまま転載しているため、その後に新事実が発見されたり、また時代を経た今日では差別的とされる用語や表現があるかも知れません。『タイムスリップ』の趣旨としてそのままの形でアップしておりますのでその点はご了承下さい。

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「今日のソ連邦」と鉄のカーテン/思想のタイムスリップ [タイムスリップ忘備録]

自身の生きてきた道程を検証する。それは時には大きな過ちを見い出す事もあり、時には辛い振り返りになるかも知れない。しかしその愚かさも含めて、自分というものを包み込み救い上げることが「自己を生き抜く」ということなのかも知れない。
思想の変遷をタイムスリップすることは、表層的なレトロ・ブームとは一線を画す“知の散策”と呼べるものだろう。

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 ▲ 旧ソ連大使館が発行していた広報誌「今日のソ連邦」

1917年レーニンのロシア革命によってソビエト連邦という共産主義国家はすでに誕生していたが、1945年の第二次世界大戦終結の際のヤルタ会談で世界の国境の線引きが改められて以来、ソ連は国内のイデオロギーを統一して守るために“鉄のカーテン”で警固した。世に言う冷戦時代の幕開けだ。ソ連は周辺諸国を次々に共産国化して勢力圏を広げようとするのだがそれを阻止しようとする英米主軸のNATOと常に緊張を保っていた。

戦前の日本は共産主義と言えば“赤狩り”に見られる様に反社会的レッテルをはられた思想犯のイメージが付きまとっていたが、戦後の'60~'70年代になるとベトナム戦争反対運動などによる反米思想も高まりそれに呼応して共産主義をタブー視する風潮も低くなった。しかし思想的な壁は無くなったものの、KGBといった秘密警察やスパイの暗躍するソ連に対しての評価は、'68年プラハに侵攻して国際的な批判を浴びた「チェコ事件」などもあってまだまだマイナスイメージが根強かったように思えた。
そしてオリンピックでは体操、バレーボール、重量挙げといった日本が当時得意としていた競技の多くはソ連の選手がライバルだった事もあってスポーツに於いては、同盟国アメリカのスター選手には応援して肩入れしていた事と比べると、ソ連に対しては常に敵対意識があったような気がしていた。しかしこれらも社会情勢や国際関係の変化によって人心も移り変わるという思想の変遷の一例なのだろう。


ロシアという国に対して日本人は体質的に共有する同種のメンタリティがある様に思える。ロシア民謡にみられる様なスラブ系の哀愁などはその代表的なものだろう。第二次大戦後日本人もそれまでの教育や思想が大きく変わっていったが、その典型的なもののひとつにロシア人やアラブ人に対する親近感の減退がある様な気がして、それは何故、何処から来るものなのだろうかと考える事がある。

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ドクトル・チエコの思い出 [タイムスリップ忘備録]

【ドクトル・チエコの思い出】

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<ドクトル・チエコ> 昭和30年代、主に「明星」「平凡」など芸能雑誌や「少女」「りぼん」など少女雑誌の「性の悩み相談コーナー」で執筆していた女医。

 思春期の若者に性の悩みはつきものであったが、とりわけ女性の心と体は複雑でミステリアスなものらしく、小学生だった私は姉の購読する雑誌の相談コーナーを覗いては訳の分からない用語や解説にとまどっていたものだ。充分に理解は出来ていないのだが、そこに登場する様々な相談とその解答が何故か生々しい感触で、知ってはいけないものを知ってしまったような後ろめたい罪悪感とスリルのような快感があったように覚えている。
 ドクトル・チエコという名前はいつの間にか頭に入ってしまった。毎月毎号、目を凝らして記事を眺めているのだから当たり前なのだが、その片仮名の名前が、登場する肉体局部の名称やセックス用語と絡み合って、とりわけ「アンネ」という女性生理の名称とはワンセットで連想してしまう程であった。

 昭和39年に東京オリンピックが開催されて、昭和45年に大阪万博が開催されるまでの数年の間に日本中が高度成長の国際化を標榜してその流れとして「性の自由化」が謳われていた。「フリーセックス」という言葉が“ポルノ解禁”の北欧スウェーデンを表わす流行語のようになっていて、若者文化の一端としての性文化が氾濫し始めた時代でもあった。
 かつては謝 国権の『性生活の知恵』がベストセラーとなって大人のための性知識として展開されていたが、それはこれまで閉ざされていた熟年層の性への好奇心が中心で、最も必要とされる若者たちへの啓蒙は遅れていたように思う。戦後生まれが十代半ばに差しかかった頃に富島健夫がジュニア小説というジャンルで登場し「ティーンエイジャー」という言葉が普及して、奈良林 祥(医学博士)と並ぶカリスマ的な性のカウンセラーがドクトル・チエコだった。
 彼女の場合は主に女性誌上での相談が多く、優しい口調のコメントが悩める女性心理を癒す貴重な存在でもあった。当時の思春期の女性はまだまだ社会的地位や独立意識も未熟で、良心的な指導者に頼らないと悩みが解決出来ないような女性としての自立心の薄い社会環境でもあって、ドクトル・チエコはそんな一時代前のまさに若者性文化解放の夜明け前のキーパーソンだった。


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<ご注意>
このコラムは二十年以上も前に発表した内容をそのまま転載しているため、その後に新事実が発見されたり、また今日では差別的とされる用語や表現があるかも知れません。『タイムスリップ』の趣旨としてそのままの形でアップしておりますので、その点はご了承下さい。



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ミラクルボイスの思い出 [タイムスリップ忘備録]

【ミラクルボイスの思い出】

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<ミラクルボイス> 昭和34年頃の人気漫画「少年ジェット」で、主人公ジェットが悪を懲らしめるために使った得意技。左手を腰に、右手を前に突き出して「ウ~、ヤ~、タア~~!」と叫ぶと、地面が揺れ、樹木が真ふたつに裂ける。

 月光仮面、七色仮面に劣らぬ人気だった「少年ジェット」は、雑誌「ぼくら」に連載されていた漫画のテレビ化だった。提供はS&B食品で、子供達がカレーに親しむきっかけ作りに多大に貢献したと私は内心思っている。(元々のカレーライスの普及は東の新宿・中村屋も、小林一三による西の阪急デパートにしても、大人向けのメニューだったと思われる)劇中に登場する、岩山に棲む「鉄人騎士」が何故か食料としてウマそうに食べるカレーライスは子供ごころにも食欲をそそった。

 ジェットの宿敵の「ブラックデビル」はマントを羽織った怪人で、武器となるステッキをいつも使ってジェットを苦境に追い込むのだが(このステッキも不思議なモノで、空に向けて掲げると突然イナヅマが走り、天地が唸って揺れ始め、誰もが気を失ってしまうのだ。摩訶不思議)
 そこで対抗するために、山にこもってジェットの開発した武器がこのミラクルボイス。前に突き出す手の先は、どうやら相手の心臓をめがけているらしい。奇声を発すると、その超音波が相手の胸に突き刺さって、さすがのブラックデビルも倒れてしまう・・・という訳だ
 何となく科学的な感じを受けた私は、結構マジに特訓に励んだものでした。少年ジェットと同じように木に向かって練習しようと考えた私は、所構わず木を見ると例のスタイルで奇声を発し、一向に木が揺れたりする気配もないのに何故か満足げに「この声は木に届いたな」などと独り納得していたのであった。私のオバカは、この時すでに開花していたようだ。

 ところで、このミラクルボイスはジェットの武器であったが元はといえば前出の「鉄人騎士」の得意技で、洞窟に棲んでいた彼は大声を出して天地を揺るがすパワーを持っていたのだった。本来は善良な鉄人だったが悪者の陰謀で彼と闘う事になったジェットは、その恐るべきパワーを見て自分の武器として身に付けた訳なのだが、私は鉄人騎士が洞窟でカレーを食べるCMを見る度に「やっぱりミラクルボイスを上手にマスターする為にはカレーを食べる必要があるのかな?」と思い、熱心に日夜カレーを食べ続けたのだった。

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Macintosh LC520 の思い出 [タイムスリップ忘備録]

【Macintosh LC520 の思い出】

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<Macintosh LC520> 1993年に発売されたモニター一体型のPCで別名「タワー型マック」とも呼ばれていた。CPU 25Mhz、標準搭載メモリーが4MBでモニタは14インチの最大解像度640×480、ハードデスクは80~160MBという今では考えられない様なレベルだったが頼りになるマシンだった。

フリーの広告デザイナーとして仕事をしていた頃にApple社のMacintosh が雑誌で紹介されていてコンピューター・グラフィックスをかじってみたいと思ったのが始まりだった。
'80年代の中頃でパソコンと言ってもMS-DOSコンピューターしか目にかかることのない環境で、モニター上でグラフィックスのお絵描きが出来るなんて言うのは一部の経済的に豊かなアーチストにしか出来ないと思われていた時代だった。
まだ発表されたばかりのMacintosh Classic が100万円以上もしていたが、紹介されるCGに憧れとため息の連続だった。

それから数年後ついに憧れのMacintosh を手にする事になった。名古屋・大須のパソコンショップが、LC520を二十数万円で限定セールに出していたのを新聞広告で見つけたので車を走らせて急いで買いに行った。
家に持ち帰ってからというものは連日連夜パソコンに懸かり切りで夢中だった事を覚えている。特にバンドルされていた「ハイパーカード」というドローソフトはMac らしい代表的なアプリでCGの感触を味合わせてくれるものだった。

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   ▲ 当時ハイパーカードで描いたイラスト

それからというものは当時主力だったカテナ社のペイントソフト(※競合品には発売されて日の浅い「Painter」があってアドビ社の「Photoshop」や「Illustrator」はまだVer.1の時代だった)やゲームソフトなどを買ってパソコン・ライフを楽しんでいた。
後にPoweMac やG4などにバージョンアップして、雑誌掲載のデジタル・コミックも描くようになって仕事にも活用していったが、LC520 は私にとってのPC黎明期の象徴だった。

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「カモメのジョナサン」とブレイクスルー哲学/思想のタイムスリップ [タイムスリップ忘備録]

『カモメのジョナサン』は70年代初頭にアメリカで出版された短編で、カウンターカルチャーとして一大ブームとなった。

あの時代、確かに世界中が混迷の時代だったときに若者たちは何か新しい価値観と哲学的な道を求めて試行錯誤していた。
そんなときに登場したのが、若者のバイブルとなった『Jonathan Livingstone Seagul』だった。

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他の群れとは少し違った一羽のカモメの物語が、何故これほど多くの若者に共感を得たのか?
“ドロップアウト”という言葉が、当時の若者たちの感覚では前向きで積極的なニュアンスで伝わっていた。

世界はグローバル化と言われているけれど、実際には各国が自国の保護政策に躍起になっていて、意識は内向きになっているのが現実だ。
自国の歴史・文化の評価を高めるムーブメントは良いが、ますます狭い意味での民族主義に囚われてしまっている輩も見受けられる。
どうして人間はもっと自由な発想、自由な存在になれないのだろうか?そもそも人間にとって“自由とは幻想の産物”なのだろうか?だからこそ『カモメのジョナサン』のようなストーリーが青年たちの寓話として人気を得たのだろう。

しかし、そのフィクションとしての寓話でさえも今の時代では理解され難いように感じる。

ビジネスの世界でこそ“ブレイクスルー”とか“イノベーション”とかいう言葉が交わされたりもしているが、所詮はアメリカ留学でMBAを取得して来たコンサルタントが輸入した言葉遊びに過ぎないと感じている。
本当にその言葉を自分のものとして理解しているのなら、人々はもっと社会を意義あるものに変革出来ている筈だと思う。 

「チェンジ」とか「構造改革」とかいう言葉もイマジネーションとして言われている耳ざわりの良い言葉のようで、血を流し汗を流すアクションとして捉えていないのが現代日本の市民感覚だ。

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 ▲ 五木寛之・訳 日本語版「カモメのジョナサン」

 「カモメのジョナサン」の日本語訳は五木寛之氏が著していた。

昨年、40年ぶりに改訂出版されたらしいが ’70年代の若者のオピニオンが現代の若者に理解されるのだろうか?
そして…なぜ・いま・カモメのジョナサンなのだろうか? 

<2013年4月・記> 

 

[思想のタイムスリップ]


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「何でも見てやろう」とコミューン思想/思想のタイムスリップ [タイムスリップ忘備録]

『思想をタイムスリップする』

自身の生きてきた道程を検証する。それは時には大きな過ちを見い出す事もあり、時には辛い振り返りになるかも知れない。
しかしその愚かさも含めて、自分というものを包み込み救い上げることが「自己を生き抜く」ということなのかも知れない。

思想の変遷をタイムスリップすることは、表層的なレトロ・ブームとは一線を画す“知の散策”と呼べるものだろう。 

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小田 実の「何でも見てやろう」や五木寛之の「青年は荒野をめざす」に代表される“若者の海外放浪ストーリー”は当時の若者の思想的生き方に少なからぬ影響を及ぼした。 

「何でも見てやろう」で世界を旅した小田 実はその体験から帰国後ベトナム平和連合(ベ平連)を立ち上げて反戦活動を推進したが、それはフランスのソルボンヌ大学で燃え上がり世界中に拡がった学生運動と連動し、70年安保を前にした日本の学生達も巻き込んで日本国内では最大の社会運動として発展していった

社会的オピニオンや価値観に影響を与えるマジョリティな団塊の世代たちの起こした行動はその後も環境問題などの市民運動に変遷して、共同体をイメージしたイデオロギーとしてのコミューン創造をめざしているようにも思えたが、しかし結果から見れば無意識のうちに単なるファッションと化していったように思える。

当時、世界の若者たちが唱えていた“コミューン思想”とは一体何だったのだろうか?結果的にそれが幻想であったとしてもどのような幻想を抱いていたのだろうか?
「思想のタイムスリップ」として、私はいずれ改めてこのコミューン思想を検証してみたいと思っている。何故ならこの団塊青年の思想的遺伝子が時代を経て今日の“絆思想”に受け継がれているように感じられるからである。

ともあれ社会の矛盾や不平等に抵抗をしていた筈の若き志士たちが挫折を経て見い出した生き方とは、アンチ・イデオロギーの刹那的な社会の構成員となる事であってその後およそ20年後に訪れるバブルの享楽時代にこの世の春を垣間見ることだった。

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▲ '60年代後半、一部では当時の若者のバイブルとも形容された五木寛之の著書。

「青年は荒野をめざす」と言って疾風のように過ぎ去ってきた若かりし日々は、時として砂時計の砂のように逆流する事もある。
夏の陽射しにも似ためまいが欧州での過去を切れ切れの幻燈のようにフラッシュバックさせてくれる。 

「放浪」という言葉が一種の「求道」にも似たニュアンスで受け止められていた部分もあった。そこには真実や叡智を追い求めるハングリーな若者の精神があった筈だった。
社会の新しい動きや文化を牽引していた当時の若者は今ではすっかり変容して、社会に飼い慣らされた分別のついた老人になっている。

70年代初めのヨーロッパを放浪する若者の間ではフラワーチルドレンやヒッピー文化の流れを汲んで「コミューン思想」が拡がっていた。
世界の各地に国籍を越えて共同生活をするキャンプのような場所があり、その代表的なひとつとしてイスラエルに「キブツ」という共同開拓地があった。
わずかの賃金と衣食住が確保されているというので私たちの間でも結構評判になっていて、キブツに向かう日本人も少なからず居た。

当時からコミューン思想とか市民コミュニティとか、国際感覚とかインターナショナル志向とか、そして最近ではグローバリズムとか…あれこれ時代に応じて言われ続けているものだがいまだに規範も何も確立されず、同じような事を繰り返されているのが現実だ。
そして書店には同じような内容の啓発書が、何年周期かで装丁だけ変えて出回っている事に気がつく。

<2014年5月・記> 


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幻想への回帰 [タイムスリップ忘備録]

私の原風景とシンクロする部分がここに在るのかも知れない。

幼児期を過ごした様々な体験はいつしかノスタルジックな幻想となって、しかし時には現実と見間違えるほど現在のリアルな情景となって私の前に現われる。 

茂田井武という画家…というよりも表現者と呼んだ方がピッタリとくる。 
また一人、画業人生を生き切った、こんなスゴイ絵描きが居たことを知って軽い衝撃と嬉しさが込み上げて来た。 
未来に対する希望と、それを推進させる勇気みたいなものが込み上げてくる喜び。

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ある意味でシャガールにも共通するような、幻想の中にどっぷりと浸かり切ってしまうアッパレ(天晴れ)な勇気を見て不覚にも私は涙ぐんでしまった。

彼の画集に添えられた紹介文の一節。
“私の描きたい絵は印象のレンズを通して焼きつけられた、脳中の印画というべきもので、記憶にひっかかって抜けないもの、過去の印象の鮮やかなものたちである。幼少時に描きためた絵は大震災で、ヨーロッパや中国で描いた画帳やスケッチは戦災で焼失したが、私の脳中の印画は年と共に濃度を増して、思い出の映像は「その時そのままの不死の姿」に近いものになってきた。”

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幼い頃に抱えていた人生に対する期待感や愛情を“幻想”と呼ぶのならそうしよう。
時にはそれを求め、それを信じて生きていた人生を私は決して嘲笑はしない。
そこに命を吹き込む事こそが、人生の総括に近づいた者たちの“勇気ある生き様”のように思う。

そんな意思表示を作品を通して表現したいと願う日々である。 
我が幻想への回帰。

 


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欧州幻想~こころの旅路 [タイムスリップ忘備録]

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▲ アムステルダムのユースホステル付近/1972年当時

過ぎ去って形も無くなってしまったものを、反芻するかのようにもう一度噛み砕きながら味わってみる。
それは年老いた私が、置き去りにしてきた時間に感謝をしたいが為の邂逅なのだろう。

ヨーロッパの国々に対して、私は私なりの個人的な幻想を抱いている。
感受性の高かった青春の一時期を過ごしたこともあって、一種のナルシシズムにも似た崇敬と愛着を持っている。
私のヨーロッパ観は幻想である。しかし自己の外側の世界を幻想でなく把握できる人間がいったいどれほど居ることだろう?

パリ~モンマルトルの丘/マドリッド~プラド美術館/ロンドン~ピカデリー界隈…それぞれに個人的な思い入れのある私的名所だ。
今ではすっかり様変わりしてしまったのが現実だけれども、そこに落として来た時代の陽炎は未だに青白い残り火のような、か細い光を放っている。
人生もこの辺まで生きてくると、寄り道をして彷徨った時間の方が味わい深く思えるものだ。

それは旅行記でもなく、現地情報でもない。私の、実に個人的で主観的な幻想の追憶であるが、そこにはもしかすると現在の現実生活よりもリアルな私の魂が存在しているかも知れない。

私の原風景とシンクロする一部がここに在るような気もする。

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現在では海外に旅しようと思えば簡単に出来るし、諸外国がそれほど遠いものではなくなった。
日常の事件や出来事もリアルタイムに伝わり、専門的な情報でさえ一般人にまで浸透している。

しかし私にとっての『旅』とは、自分自身のイマジネーションの世界のことなのだという事がようやく解かってきた。
例えば読み物で言うなら、ジャーナリスティックなルポルタージュやドキュメンタリー、ノンフィクションの世界を好む者もある反面で、お伽噺やSF小説といった仮想空想の物語世界を楽しむ者もいる。
どちらが本格派とか言うものでも無い。ただの嗜好の違いだと思う。私にとっての「リアル」が社会の規範から見れば「バーチャル」だったというだけの事である。 

青春の旅を終えて舞い戻ってきた私は、いつしかどっぷりとこの国の社会に浸かり切ってきた。
そして所詮は私たちの暮らす人間社会というものが幻想によって成り立っているという事を、歳を経た現在痛感するに至った。
この国がどうだからという訳でもない。自国も他国もない。国家を形成する社会そのものが一人ひとりの観念によって作り出されているからだ。

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私とシンクロする観念の創った青春のヨーロッパ。しかしそれは空虚な亡骸ではなく、リアルな幻想なのだ。


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カモメのジョナサン~思想のタイムスリップ [タイムスリップ忘備録]

 70年代初頭にアメリカで発表され日本でも一大ブームを起こした短編小説『カモメのジョナサン』のことをふと思い出していた。

あの時代、確かに世界中が混迷の時代だったときに若者たちは何か新しい価値観と哲学的な道を求めて試行錯誤していた。
そんなときに登場したのが、世界の多くの若者たちのバイブルとなった Richard Bach 著 『Jonathan Livingston Seagull』だった。

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考えてみれば、私たちの世代は安保闘争、東大安田講堂、三島由紀夫、あさま山荘などなど、嫌でも社会の激動に直面せざるをえない空気が充満していた時代だった。今の時代のように軽く生きてはいられない何か強迫観念のようなものがあった。せめて何にも属さずに生きる“無思想ノンポリ”というスタンスがあったが、その立場を維持する事にしてもそれほど簡単なことではなかった。

「昭和元禄」などと呼ばれ、アングラ、ヒッピーの気だるいドロップアウト文化(今にして思えば、文化というよりはファッションでしたが)と、その後に来るフラワーチルドレンのラブ&ピースに囲まれる若者と、片や『ベ平連』や学生運動に参加する事によって自己の社会的存在と政治的意見をアピールしようと悶々とする青年たち…。

そんないつの時代にも見られる“早すぎた青年の主張”は案の定、若さと共に色褪せて老獪な既存社会の前に朽ち果てた。

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丁度そんな頃に「カモメのジョナサン」は、まるで社会に傷ついた戦士を癒すかの如く現われたのだった。
そしてジョナサンの生き様…群れから離れて、ただ自己の精神的満足のために肉体的挑戦を続ける姿は、混迷から抜け出すためのひとつの癒し方であったのかも知れない。
ここにも肉体と精神の相関関係がバランスの必要性として具体的に表わされているような気がする。

人の一生というものは、その生きた時代の影響を無しにしては考えられないものだ。そして生きた時代とは、まさしくその時代の“状況と思想”のことだと思う。

その時代のトレンディで顕著な思想的側面をタイムスリップしてみることも“思想の「温故知新」”として今に通じる思考の道筋があぶりだされてくるかも知れない。
私たちは時には時代に洗脳され、時代に教育されながら、何らかの確信らしきものを抱えて次の時代を築いてきた筈なのだから…。

【Jonathan Livingston Seagull the film 】


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