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/還暦百態物語/九:黄昏の邂逅 [押入倉庫B]

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◆第九話「黄昏の邂逅」

 夕暮れのモスクワに立っている。
 あれから五十年、私はかつての放浪の旅をなぞるように日本を飛び出して来た。もう二度と来ることはないと思っていたが、還暦を過ぎて数年も経った頃ふと思い出したひとりの少女がいて気がついたら旅支度をしていた。それは私が初めてのヨーロッパに胸躍らせて足を踏み入れた頃の事だ。当時、共産主義国家の盟主として誇っていたソビエト連邦は鉄のカーテンと呼ばれて外国人に対して情報開示どころか秘密の多い国だった。そんな中で、若くて恐いもの知らずで好奇心旺盛だった私は同じ旅をするにしてもお仕着せのパックツアーでは飽き足らず、ひとりコースから外れて禁断の路地裏を散策するのが好きだった。
 ところがある時、地元民が集まるという人形劇場に地図を片手に向かっていたのだが迷子になってしまった。ソビエトの人形劇はチェコと並びレベルの高いものでどうしても観たくて郊外に足を運んだのだが、それが間違いの元だった。昼下がりの陽光は少しずつ鈍くなり始め私の気持ちも沈み始めて来た。
 その時、
途方に暮れていた私に後ろから声を掛けてくれた少女がいた。金髪でクリッとした瞳が印象的な制服らしいものを着ている女学生だった。身振り手振りで説明をすると、どうやら近くまで行くらしく私をリードして連れて行ってくれる様だ。片言の英語が話せるらしいが当時のソ連ではスパイと間違われそうであまり良くないらしい。彼女はたどたどしい英語の混じった会話を交わしながら、時には道を行く兵士や物売りのおばさんにも尋ねながら何とか私を人形劇場へと導いてくれたのだった。

 ロシア特有の郷愁と物哀しさ溢れた人形劇を堪能した後、劇場の向いの軽食堂に夕食を取ろうと入った。席についてふと窓越しに街路樹を見ると、そっと木陰からこちらを覗く少女と目が合った。案内してくれた彼女と別れて人形劇を見た後、小一時間程過ぎていたがそれまでずっと私が劇場から出てくるのをを待っていたのだろうか?寒空の下で待たせ続けていた様な何とも言えないばつの悪い気持ちになった。どうしたのか、理由を聞きたくても言葉が満足に通じない。「ヤア!」と手を挙げて愛想を振りまくのが関の山だった。
 無言で帰り道を歩く私の後から黙々とついてくる彼女は、まるで帰り道のない迷子の子犬の様だった。そして小さな狭い路地に入った時、突然彼女は私の背中を抱きしめた。抱きしめるというよりすがりつく感じだった。このまま何処かに連れて行って欲しい、そう言いたげな表情で私を見つめるのだった。
 '七〇年代のロシアはまだ西側の私たちには得体の知れなさが漂っていて、日本を発つ時も色々と警戒するように言われたものだった。実際に後に闇ブローカーや外貨獲得の闇両替商には何度となく出くわした。女性にはストッキング一枚のプレゼントでひと晩一緒に過ごしてくれるといった本当か嘘か分からない様な話が流れていた。そんなミステリアスな世界で迷子の子犬の様に怯えながら何かを待つ瞳が印象的だった。
「カーク パジャールスタ?」会話の本で見た片言のロシア語で “どうしたの?”と尋ねるとどうやら安心したのか身振り手振りで自分の事を語っている様子だった。どうやら家に帰るのが嫌らしい。ロシア語の分からない私の勝手な想像だが、今で言うDVで虐げられた生活をしているような気がした。ここが外国でなかったら、それともこれから帰国するところだったら少女の手を引いたいたかも知れない。彼女の懇願する愛くるしい瞳が切なく心に焼きついた。

 それから3年間ヨーロッパを放浪する内に私はすっかり少女の事を忘れていたのだが、帰国して五十年も経ったいま突如として彼女の瞳を思い出した。そして思った「今、どうしているのだろう?」
 当時アルバイトをしていたフィンランドで出会った女性と五十年ぶりにフェイスブックで繋がって交流を続けている経験があったので、ソ連の崩壊と新生ロシアを経てきた彼女を見つけ出してあの時の心に残った苦酸っぱさを甘い思い出に変えたいと考えたのだった。
 赤の広場の佇まいは今も変わらず広がっている。聖ワシーリー教会、レーニン廟もそのままで百貨店グムは内部が現代的にリニューアルされていたが健在だった。以前と違って自由な国になったロシアの空気の中で、もう還暦を迎えたであろう彼女の消息を尋ねるために私はクレムリンの傍にある役所に邂逅の足を運んだ。

/還暦百態物語/八:裏の世界 [押入倉庫B]

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◆第八話「裏の世界」

 人生はメビウスの輪の様なものに思える時がある。表だと思って歩き続けていたらいつの間にか裏の道に来ていたという具合で…そしてそれでもそのまま歩きつけていると、いつしかまた表の道を歩いている事に気がつく。表だとか裏だとか言うのはその時々の見掛けであって、時間が経てば評価は変わる。人の心も世の中も何ひとつ不変のものはない。…そんなことに気がついて、そんな視点で世を眺め、改めた基準で生き様を促すというのも実は還暦を経たからこそのケジメと言えるのではないだろうか。

 若い頃は仕事の関係で単身海外に暮らすこともあった。結婚をして中年を過ぎた頃も単身赴任で家族と離れて暮らしていた時期があった。そして現在、近い将来にはケアハウスに入居しようか迷っている。人というものは、いざ何かに真剣に対峙しようとすれば孤独の境地になるものだ。何かに頼ったり甘えたりしている間は真に問題を背負って直視しているとは言えないだろう。腹を据える、覚悟をする、とは孤独な無頼の境地に立って生き様を背負うことなのだ。
 その男(仮に「M」と名付けよう)にとって、ある日偶然に居酒屋で見た光景は人生を裏返す切っ掛けとなる出来事だった。食事を取っていた隅から前のカウンター席を見ると、組から外れたチンピラ風の中年男が店の女将に絡んで困らせていた。何だか不愉快な気分になりながら様子を眺めていたら男の視線とぶつかった。普段なら目を伏せるところなのだが何故かその日は逸らせることがなく、見て見ぬふりをする事が出来なかった。たぶんMの心の中で少なからずその場をやり過ごす事に抵抗があったのだろう。
 Mの表情が文句ありげな表情に見えたのか、チンピラ風の男は席を立ち上がって睨んだまま近づいて言った。
「何見とんのや」Mの前に立った男は威嚇のつもりか胸を突き出して恫喝した。見るからに器の小さそうな男が風体だけを強面(こわもて)に装っている。自分では気が小さくて臆病だと決めつけているMがこの時ばかりは男を見切ったせいか妙に肝の座った態度で落ち着いて相手の眼を見据えた。
 “問われて答える返事もない”そう思ったMはただ黙って顔を上げていただけだったが、少しの沈黙の後、チンピラ風の男は何を思ったかブツブツ独りごとを言いながらカウンター席に戻って行った。水を差されて白けたのか男は絡んでいた女将の事も忘れて手酌酒を口にした。
 自分に非がないと思うのなら臆することなく堂々と対処すれば良い。それでも礼儀だけは忘れずに、男から目を背けるような対応をしなかった事が勝負の分かれ道だったと知った。その場の危機を救ったというよりも自分の正しいと思うことを全うしたという思いがMを満足感に浸らせた。そして今までどうしてこんな生き方をしてこなかったのか、悔恨とも言える思いが沸き起こって来たのだった。何かを恐れて正直さから目を背ける生き方は自分自身をますます卑しくしてゆく人生だった気がする。
 還暦を過ぎて人生の終着点が見えかけた歳になり、何も失う恐怖もなくなった頃にようやく勇気を出してみようと思えるようになった。失うことの恐怖を越えてこそ本当に生きたと言える人生だと分かった。

 ヤクザの組に入って裏街道を歩く、そんな生き方を選んでみたい衝動にかられたMだった。これまでのセオリーからことごとく離れて、誰にも囚われない無頼で生きたらどうなるのだろうか?そんな考えが頭をもたげた。そして匕首を突き付けられても動じない泰然自若とした生き方は恐怖を越えた向こう側にある様な気がした。
(やくざ者として生きよう…)小さく囁いてかつてMの同級生だった組頭の門を叩いた。

/還暦百態物語/七:霊厳洞 [押入倉庫B]

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◆第七話「霊厳洞」

 寛永二十年、霊厳洞に入って「五輪書」を記し始めた宮本武蔵はこの時が六十歳・還暦の齢だった。吉岡一門を潰し、佐々木小次郎を討ち果たすまでの武蔵は修羅の如く武者修行を歩んでいたが、吉岡一門の幼い世継ぎを決闘とは云え斬殺した罪悪感に苛まれる事もあり、これまでの一途な剣の道から己を解き放ってみようと考えていた。
 洞窟の奥に坐り意を決した表れなのか、全てを許された開放感に浸されて思いのままに筆を動かす。還暦を経るとはこういう事なのかも知れない。修羅の道を書き進むに連れて己が一生をかけてめざしてきた剣の道の先にある光明が見えてきた。それはこれまで辿って来た道を外すことによる価値のパラダイム転換だった。
 高みを求めて道を進めばいつか頂きに到達する。しかし人生はそれで終わる訳ではない。命ある限りその先々が展開するのだ。その先をどう生きるかが実はその人間の真価を表わす生き様と言えるだろう。勝負に勝つことは時の運であり、本当の強さというものは戦いに勝った後にこそ発揮されるという達観を武蔵はようやく得ることが出来た。

 武蔵の記憶の中で関わりのある人たちの多くは既にこの世を去っていた。又八とお婆そしてお通も今となっては夢まぼろしの如くだった。養子の伊織と共だった生活を始めてからは、その後一切消息は知れず今生の別れとなったようだ。
 あれだけの人生の情熱をかけて修行し取り組んできた剣の道も、縁あって絡み合ってきた人々とも、時が経てば色褪せて記憶の彼方に消えてゆくものだとは、諸行無常の念をより強めた結果がこれまでの人生だったのだろうか。いつしか気がつけば仏を前にしてひとり問答をする己がいた。無心に
仏像を彫る日々の中にあっても同時にその胸中には本来の何かを求める気持ちが蠢いてもいた。多くの血を流し、また時には人を苦しめ悲しめた行状を単なる修行であったと終わらせず、武芸の視点から検証した自分史として書き記したい気持ちが筆を執らせたといって良いだろう。「地之巻」に始まり「空之巻」に至る全五巻をまとめて『五輪書』と命名することにした。

 そんなある日、誰に聞いたのか霊厳洞に武蔵を訪ねて一人の剣客が現われた。名を柳生但馬宗矩という。これまで直接に会うことは無かったが、かつて武蔵が徳川に仕官しようとした際に受け入れぬよう家光に進言したのが宗矩であった。そんな委細は知らない武蔵だが宗矩の名声と腕前は世間の評判で聞いていたものの、甥の柳生兵庫助利厳とは酒を酌み交わした中でもあり『新陰流』の極意は甥が受け継いでいる事実も知っていた。
 宗矩は初対面の武蔵に対して礼を尽くし、かつて異形の剣豪であった武蔵を受け入れる事の出来なかった自己の浅慮を懺悔した。そして武蔵という異なった人間の武芸に対する心内を知りたいという思いが断ち切れず、ここまで足を運んだことを告白した。
 己よりも一歳年上のそれも既に隠居とはいえかつて将軍・家光の指南役として徳川の大名にもなった宗矩から武道の心を問われることになろうとは、もはやこの世のすべてに遺恨も未練も無くなった武蔵には剣の道も等しく流れて移り変わってゆくものであると伝えるのみであった。

 還暦が人生の終着点ではない。還暦を経た武蔵の意識とは関係なく、『五輪書』を記し終えた武蔵は宇宙の真理が己を孤高の境地へと導くかの様に別の視点から新しい次元を表わす『独行道』の執筆に取り掛かったのである。
 熊本千葉城の棲家にて六十四歳の寿命を全うするまで、武術と芸術の道を歩んだ人生であった。

/還暦百態物語/六:デラシネの行方 [押入倉庫B]

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◆第六話「デラシネの行方」

 “今度の渡航は最後になるかも知れない…” そんな気がしながら事務所の整理をしていた。5年ほど前に日本に帰国してからは以前に残しておいた事業基盤を継続していたが、馴染みのベトナムの友人から声が掛かって現地で会社を立ち上げる構想が持ち上がり急遽日本を離れる決心をしたのだった。
 ここ日本での事業は不動産収入がほとんどだ。いくつかの手持ちのマンションやアパートを外資系企業とのタイアップで外国人社員の居住地として貸し出しているため、寝ていても決まった家賃収入が見込めるようになっている。安定した収入源を確保していると、バブルは過ぎ去ったとは言ってもまだまだ銀行はお金を貸してくれる処で、他にも「日本語教室」や「外国人向けハローワーク」「日本で暮らすための税務コンサル」といった在日外国人のための便利屋稼業としていくつかの会社を融資をしてもらって展開している。

 二十代半ばに屋台を引っ張って商売を始めてから四十年近くが過ぎた事になる。移動食堂から始まった屋台では「食」の発想に留まらず様々な種類の商材を扱って、いわゆる“すき間ビジネス”として成功した。「移動マッサージ」「移動似顔絵」「移動占い師」「移動マーケッター」等々、最終的に雑多な種類の屋台をひとつにまとめて「屋台ビジネス」ネットワークをつくり運営していた時代もあったが、四十代の初めに或る華僑の事業家と出会って啓発され台湾に渡る決意をしたのが人生の転機だった。

 それまでの日本でのささやかな成功を振り捨てて海を渡った時点で、妻子とも別れて財産を手放し自分を取り巻く環境からすべての固定観念が振り払われる事になった。言わば一度死んだような感覚で生き直しをしたようなものだ。実際に海外で起業をしてみると日本で考えていた事情とは全く違うことが多い。労働基準や法律的なことに加えて、商道徳や習慣的な違いが業績に大いに影響してくる事を肌身で知ったものだった。

 台湾での商売が軌道に乗ってそこそこの利益を手にしていた頃に、相変わらずの放浪癖が頭をもたげて来て今度は他の東南アジア諸国をリサーチ旅行したくなって来た。と言うのもどうやら自分には中国や韓国・台湾での暮らしやビジネスが肌に合わない様に思えてきたからなので、華僑のお師匠さんには感謝と別れを告げて南洋の島々を探訪した。
 洗練された完成度から言えばマレーシアも起業する場として魅力的だったが、最終的にベトナムに落ち着く決心をしたのは戦禍から復興したこの国の未来に発展の可能性を感じたからだった。思っていた通りに当時のベトナムの経済は発展途上の新鮮さとパワーがあって誠実さがみなぎっていた。こういった雰囲気の国ではどんな商売でもそれなりに成功するもので、ここで十年近く暮らして現地の若者たちに“ビジネス基盤の暖簾分け”をしてから日本に帰国したのだった。それから5年が過ぎて知らぬ間に還暦を経てこの身の置き場を考え始めた頃にベトナムからのメールが届いた。第二の故郷とも言える国で、今度は多分ここで骨を埋める様な気がしている。

 身の回りの生活用品は現地調達が通例なのでトランクひとつ下げて気軽な旅の装いで事務所を後にした。二十年前に初めて日本を発つ時は悲壮な感じさえしたものだったが、根なし草の生活を続けてきた今では少しの未練も執着も感じない方が自然の様に思えた。これから裸一貫で祖国を離れてもう二度と帰らないかも知れないというのに、それが一体どうしたのだと言わんばかりの気持ちでいる。
 これが還暦を過ぎたひとつの結論なのかも知れない。これまでの人生での成功も栄誉も過ぎ去ってしまえばそれだけのものだ。この世で得たものはこの世にお返しをして去ってゆく。魂はそうやって何度も生き返りをしながら刻一刻を表わしてゆくのだろう。明日になればこの感情も彼方に流れ去り、裸の我が身がベトナムの土地に立っているのだ。

/還暦百態物語/五:断崖にて [押入倉庫B]

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◆第五話「断崖にて」


 高台に車を止めてゆっくりと車外に出た。目の前に広がる景色を見下ろして、深呼吸をひとつすると私は一歩足を踏み出した。ドライブロードから離れた林道を入ってしばらく傾斜を登ってゆくと目の前には澄み切った視界が開けていた。
 かつて一度、四〇代の頃に同じ様な情景を見たことがある。返せそうもない借金を抱えて首が回らなくなっていた頃だ。バブルの崩壊と共に会社経営が破綻してそれまでの借財が一気に圧し掛かってきて、自分のすべてに自信を喪失した状態だった。その後、生活を持ち直して何とか今日までやって来れたのだが、あの頃の苦しみをここに来て思い出してしまった。


 辛かった筈の思い出だが、今になってみればどん底を這い上がってここまで来ることの出来た奇跡に人生の妙味を感じる。還暦の赤いチャンチャンコ袢纏で祝ってもらってから5年が過ぎたが今でも人生の不思議は解けないでいる。ある意味でこれまで生きてこれた訳は、その不思議に対して好奇心があったからだろう。「もっと、こうしたい」「この先どうなるのだろう」そういった目先に対する期待と願望があったから、まだこの先を読みたいと思って生き続けてこれたのだろう。そんな事に気づいたのはこの岬に立った半時間ほど前のことだった。
 ふと机の上の置手紙の事が頭に浮かんだ。昨晩思いのままに書きなぐった様な内容だったが、果たしてあれで自分の気持ちは伝わるだろうか?この世に未練はないが誤解されたままでこの世を去るのは嫌な気持ちだ。この断崖に立って今まさに自分の命を絶とうとしているのは、生活苦から逃れるための過去の心境とは全く違うものである事を理解してほしいというのが正直なところだ。私がどのような心境でこの世を去ろうとしているのか、どのような理由で死の選択をしたのか…全ては無理であっても多少の説明はしておきたい気持ちがある。


 隣の芝生は青く見えるという言葉があるが、自由気ままに生きて富を得て少しの心配事も無い生活を送るということが贅沢な幸せであるかのように、多くの人たちはやや嫉妬心も交えながらそう見ているようだ。しかし当事者の気持ちというものはそう単純なものでもない。現に私は周囲の人たちに羨ましがられて生きてきたが、それも中年の頃までで人生の後半はただ退屈な苦痛の連続だった。
 苦痛の原因を他人のせいにすることも出来ない。他人を恨むことも憎むことも無意味に感じてしまう。諸悪の根源を自分以外の者のせいに出来ないやり場のない苦しさは“金銭的な裕福さとは全く無関係”である事を世の“足りるを知らぬ人たち”は分かっていない。
 かつて親交のあったミュージシャンが自殺をした時、私は「何とわがままな」と思った事を思い出す。日本のフォークグループとしていくつものヒット曲を発表した後に、作曲家に転向した彼は他のミュージシャンとは一線を画して異彩を放つ才能の持ち主だった。しかし妥協を許さない創作魂はその才能が枯れたと感じた時に、自分の存在価値を認められずこの世を去る事でしか道が見つからなかったらしい。そんな説明を聞いても当時の私にはその深刻さは過剰にしか思えず、自分には理解出来ない感性のように思ったものだったが。今、断崖の淵に立っている私はその彼の苦悩の少しを共有しているように思える。多少なりとも世の中で成功を収めた人間がその世界で“枯れ”を悟ったときどれ程の虚勢を張り続けて生きてゆくのか…私にとってはとても認められない生き方なのだ。


 この世に生まれ出て虚と実の狭間で流されながら、富と名声を得ることが成功だと教えられてそれを実現したところで、いつか枯れ往く終焉を迎えた時には過去の栄光の日々でしかない。棚に並べられたトロフィーやアルバムの記念写真を誇示したところで、もはや役には立たず用のない存在でしかないのが現実だと思い知らされる。誰のためにもなっていない。誰からも求められない存在でいる事が如何に耐えがたいものかを、知ることのない人こそ幸せな人と言えるだろう。
 世の中は人権とか福祉とかの概念で人の命をさも大事にしている様に装っているが、その実役に立たない者は上手に排除しようとするシステムが働いている。一旦社会から役立たずの烙印を押されて商品価値のない人間になってしまうと、ただ社会に従属して寄生して生きる人格を失った生きものになってしまう。カフカの小説に出てくる虫に変身した男ではないが、アイデンティティの喪失感に苛まれた残りの人生…それが今ここに立っている私だった。


 高台に止めたままの車に向かって歩き始めた。苦しみに決着をつけるために自死を選んだ筈の私だったが、ふと自分の外の世界に目をやった刹那に迷いが生まれてしまった。自分の行いがどの様に評価されるかはどうでも構わない。ただ自分の気持ちや考えを正確に伝えて理解されたいという気持ちだけが心残りとなっている。これを未練と言うのだろうか、死ぬと決意しても死に切れない人間はこの様にしてずるずると生き延びてしまうのだろう。
 死に向かう気持ちと生に甦る気持ち、それらの切り替えは一瞬の出来事として決定されてしまう。喜びも苦しみも一瞬の感覚の中で流れてゆく…


/還暦百態物語/四:あさま山荘 [押入倉庫B]

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◆第四話「あさま山荘」

 マスコミで報道される事件の殆どは表面的で本質とはかけ離れた部分ばかりが群集心理に左右されて注目される。事件の現実的な裏側にはそれに関わってしまった人たちの翻弄された人生と、その後に残された不本意な生き方があるものだ。世に言う「あさま山荘事件」は彼にとって単なる昭和史の一頁などではなかった。青春の一時期を機動隊員として生きた彼の人生は、あの時から或るひとつの価値観を植え付けられて過ごしてきたように思う。

 学生運動がピークに達していた時代に彼は警視庁機動隊の一員として同世代の彼らと対峙していた。東大安田講堂の籠城戦、三里塚での成田闘争、その都度命がけの緊張感に晒されていたがそれは時には無我の境地に至って心地良く、自分が歴史の変革の一頁に記されている様なヒロイズムに浸れる刹那もあった。
 死線をさまようという言葉があるが、生きるか死ぬかの最前線に置かれると人は生死の境い目が分からなくなるらしい。他の生きものには無いのだろうが、命の感覚が麻痺してしまうらしく生存の執着から離れ去ってしまう事がある。


 あさま山荘の事件現場では機動隊員一人一人が人質事件とは全く別のそれぞれ個人的な問題と直面していた。私の周辺にはまだ結婚したばかりの者や出産を間近に控えた者もいた。特別手当の額よりも積雪の長野の寒さが身に応えていて、早く事件を解決して家に帰らせて欲しいと願っている者ばかりなのが本当のところだった。

 しかしあの時代の公安というのは今以上に密室的で複雑な形態をしていて、現場で起きている事件を処理するためには公安内部や対県警組織との衝突を懐柔する事がまず第一義だった。マスコミに覚られてはいけない事情が絡んでいて隠密裏に進められた行動は事件が解決した後も一切封じられてきたが、その現場に放り込まれていた自分たちにとっては“命を投げ出してまで取り組む価値があるのか”という職業観を左右させる大きな問題だった。
 人質を抱えた籠城事件の度に警察組織は内部分裂を起こして解決に右往左往する。「あさま山荘事件」でも例外でなく、“人命救出第一”の至上命令の元で中央の公安と地方の県警が互いの威信を賭けて判断を譲らない場面があった。人質の命よりも我が身の命よりも、この場に及んで組織の体裁を守る事に汲々としている国家権力に対して落胆してしまったといった方が良いだろう。
 そしてその落胆は自分の人生に影を落として生き方まで変えてしまったようだ。退職した数年後に某任侠団体の経営する警備会社にスカウトされて企業舎弟の相談役になろうとは考えてもみなかったが、その裏社会にこそ社会の受け皿、正義とまでは言わなくとも誠を貫く生き方があろうとは思わなかった。


 若い頃から意に反して、否もしかしたら心のどこかで求めていたかも知れない数多くの修羅場をくぐり抜けて来た彼だったが、そんな生き方も還暦の声を聞いた頃から萎えてきたように思える。
 時には文字通り暴力を行使して強引な駆け引きも辞さない男の半生だったが、そんなところに心癒されるものは何も見つけることもなく、今では半分呆けかかったような平坦な日々の中にフラッシュバックで流れる喧騒の走馬燈を眺めている。

/還暦百態物語/三:芸術家 [押入倉庫B]

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◆第三話「芸術家」


 その男の後ろ姿は撫で肩で華奢なものだったが、何かしら筋の通った姿勢の良さを醸していた。スケッチブックを片手にこの界隈で見かけるようになったのは最近の事で、もっと昔から足を運んでいたのかは知らない。
 この場所はちょっとした繁華街で闊歩する人の数も少なくない。雑踏の中で黙々とスケッチに集中する姿は何かを自身に課した修行僧の様な雰囲気さえ醸し出している。


 考えてみればこの様に街頭に立ってスケッチをするのは二十代の頃、青山の表参道で筆を走らせていたとき以来四十年になる。道を行き交う若者の息吹を自分の人生に重ね合わせ表現していた、そんな自分が今では還暦を迎えた初老の男になっていた。
 自分は一体これまで何を描いてきたのだろう?その時々で取り組むテーマというべきものがあると思ってここまで来たが、総括の年齢に入って辺りを見回してみると私はまるで裸の王様のような気分に駆られた。
 何かに急かされる様に夢中になって描き続けてきたが、山の頂に立ってみれば霞懸かった空気の感触を実感するだけだった。自分の欠けていたものを満たすためだけに描きつづけて来た絵は仕上げてみれば只の醜い自画像を表しただけだと知って、何か割り切れない気持ちとやり切れない気持ちが混然となったまま、無為な日々が過ぎてゆくのだった。


 そんな男が或る日からスケッチブックを持って街頭に立つようになった。彼を知っている者からすれば不思議な光景にも思える。中年を過ぎた頃からは厭世的ともいえる生き方をして来た男が、人生の終盤に来てまるで好々爺宜しく世の中に擦り寄る様はある意味で無様にも見える。
 しかし彼には
そんな事よりもっと切実な理由があった。それは糖尿からくる手先の痺れに加えて、数か月前から視界のカスミや輪郭のボケがひどくなって現実味を帯びてきた“失明の実感”だった。年齢からくる緑内障は既に手術をして解決済みなのだが、いま迫られているのは緑内障よりも更に先にある失明の感触なのだ。仮に今回も手術で回避したとしても、この分では数年後には確実に不自由になるに違いない。たどたどしい毎日を乗り越えた先に光明の未来が待っているなら我慢の甲斐もあるだろうが、その可能性が無いのなら何のための日々の試練か。前向きな気持ちになれない日々が続き、それはまた延々と終わりのない自問自答の様に思えた。


 今日も相変わらず街頭に立っている。視界は曇り指先も痺れた様な有様で、それでも恐れず絵を描こうとする気持ちがあり続けるのはこの男が何か確固たるものを掴み取ったからに違いない。それは希望という言葉で表せる様な生易しいものではなく、今を解体してひとつの壁を通り抜けた様な一種の痛みを受け入れた結果でもあった。
 上手く描こうとは思わない。思っても出来ない自分を知っているからだ。勿論誰かに評価してもらおうとも、評価してもらえるとも思わない。それは彼にとって次元の違う話であって、手が不自由になり目を患ってからは彼は自分の出来ることの限度を正しく知るようになった。人生の皮肉な一面として“不自由であることが自由の不便さを克服する”ということもあるのだ。


 還暦を迎えてからしばらくの間は半ば茫洋とした日々を過ごしていたが、近頃は何かが吹っ切れたようにしっかりとした足取りでスケッチに出掛けるようになった。迷いのない筆跡で風景に映し出された心の中が描き記されてゆく。
 これが若かった頃に葛藤していた“自分にとっての芸術”であったことを、長い彷徨の末に見い出したことに安らぎにも似た満足感に抱えられている…そんな白日夢を見ていた。


/還暦百態物語/二:後ろ髪 [押入倉庫B]

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◆第二話「後ろ髪」


 退職をしてから十数年が経っている。刑事に憧れて就いた職業だったが、警官という職業は不条理を抱えながら暮らさなければならない職業だと痛感したのが結論だった。
 退職金に多少の補てんを受けてのリストラ対象の早期退職で、その後は民間の警備会社に勤めたりしながら還暦の今日までやって来た。長らく役人の世界に勤めていると退職した後は“陸に上がった河童”で民間企業では物事の基準が馴染みにくいものだと改めて痛感した。


 若かった頃の正義感はいつの間にか変色していて、今でも街を歩けば様々な不条理に出くわすのだがもう俺の出番ではないと自分に言い聞かせては自重している。
 そんなある日、俺の眩しい過去を振り返らせるひとりの女性が現われた。ショッピングセンターの片隅で時間つぶしの様相で商品を眺めていたら目の前に見覚えのある後ろ姿が目に入った。つい気になってチラ見していたものがいつしか真剣にその行き先を追うようになっていた。


 もう三十年近くが過ぎている。自分の気持ちを抑え切れずに苦しんだ、そんな恋をした過去が俺にもあった。こんな偏狭な人間にもロマンスを夢見る人の心があったのかと思うと不思議だが、人の心というものは儘ならず、気まぐれな偶然で鬼にも仏にもなるというのが還暦を迎えた俺が得た信条でもある。
 心ときめく恋心などと云うものは押し隠していた自分の反面が触発されただけの事でなにも驚く事でもなく、今の俺では少し遅すぎたというのが正直な感想なのだが…それにしても見覚えのある後ろ姿の細いうなじが気になる。今更何に心を震わせるのか、それは自分の本能を触発する危険な匂いのする何かだという事を、もうこの歳になれば理解できる。けじめを付けたある時期から長らく封印をしてきた若年の猛々しさとでも言おうか、夜空に乱れ咲く花火にも似た破壊のエネルギーの様なものだ。


 胸の高鳴りをクールダウンさせて我に返って考えてみた。この歳になるまでどこか裏腹な人生を歩んでいる気がしていたが、それは自分の恋愛観にも影響を及ぼしているかも知れない。今ここでもう一歩を進める意欲というものに躊躇してしまうのは何故か?青年時代には暴走する事もあった俺が、社会人になって警官という職業に就いてからは“自制”という言葉に縛られ続けて来たものだ。
 目の前の彼女は店の立ち並ぶコンコースを足早に渡って少しづつ視界から遠ざかってゆく。
「いいのか?もう二度と出会う事のないかも知れない彼女を、目の錯覚だったと言い聞かせてやり過ごしてしまう。これまでの様に願望から目を逸らせて幻の中に押し込める人生で終わりたいのか?」
 戸惑いながらも少しずつ確実に彼女に近づいている自分自身がいた。あれこれと理屈を並べてみても自問自答は己に許可を得るための儀式だという事に気がついた。懐かしさをこの手の中に納めることに躊躇は無くなった。そこには少しずつ早足で記憶の後ろ姿を追いかける俺がいた。もうすぐ彼女の背に手が触れる…俺はかつて並んで歩いた懐かしい仕草で彼女の肩を叩こうとした。


 その時、突然何者かに腕を掴まれた。振り返れば紺の制服を着た警察官らしかった。
「お忙しいところをすみませんが只今職務質問させていただいています。最近この辺でストーカー行為が頻発しているとの情報が入ってパトロール巡回中なんです。」
 言葉は優しい口調だったがその眼差しは明らかに疑いを表していた。還暦の男が中年女性の後姿を眺めてはおどおどしながら近づこうとしている、そんな状況を見れば誰もが怪しいストーカー行為と捉えたとしても間違いではないだろう。しかし今の俺にはそんな冷静な判断が出来なくなっていた。どんな事があっても見失い掛けた彼女との時間をもう一度共有したい。こんなところで中途半端な遺物にしてしまいたくない、そんな執着が頭に血を登らせたようだ。
 気が付けば警官の胸を掴み押し倒していた。目の前の彼女に気づかれたくない一心で咄嗟にもみ消そうと行動してしまったのだ。迂闊な事だと気づいた時には遅かった。傍にいた二人の警官に取り押さえられて事態を取り巻くような人の輪が出来た。


 不甲斐ない自分の姿を彼女に見られてはいないか、それだけが気になって辺りを見回した。かつて彼女とよくお茶を飲んで過ごした頃に警官であった俺は自分の仕事と生き様の話をよくしたものだったが、そんな律儀な話を好意的に聞いてくれた彼女を前にしてとんでもない醜態を晒すことになった。
 興味深げに覗き込む人込みの顔・顔・顔…目に映った彼女の表情は正面から見るとどうやら人違いの様だ。ショッピングセンターでは熟女を狙ったストーカー被害が相次いでおり警報を受けたために婦人警官を泳がせておとり捜査をしていたらしい。そんな事も知らずに元警官だった俺はまんまと網にかかった訳だ。
 還暦というやつは現役時代の夢・憧れを目覚めさせる作用があるようだ。俺はかつての恋心が幻想だった事を悟り二度と振り返ることのない若気の河を渡り切った。


/還暦百態物語/一:居酒屋 [押入倉庫B]

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◆第一話「居酒屋」


 六十歳の誕生日を迎えていよいよ還暦の仲間入りとなる。
 今のところ何も変わりは感じないのだが、その内に赤いちゃんちゃんこやら還暦祝いとやらをされると、きっと年寄り染みた気分が高まる事だろう。
そんな事を意識などしてこなかったが改めて六十年生きて来たのかと考えてみると軽いため息が出た。


 大晦日に年越しをして特別な気分で新年を迎えたとき、何の変哲もない普段のままの一日に肩すかしをくったような気分になるのと同じ様に、あまり特別意識をするととんでもなく窮屈な行事になってしまいそうだ。
 しかしそう言いながらも男は知らない内になんとなくワクワクした気持ちを抑えている自分に気がついた。


 歳をとった事のどこが嬉しいのだろう?還暦という位が何かこれまでとは違う価値観を目覚めさせたようだ。
 そうだ。何かに目覚めた感覚…。この表現がぴったりする。どこか心の奥底で望んでいたのだろうか、還暦を迎えた時のあのワクワク感は待っていたものがついに来たときの喜びに似た気分だった。
「そうか、私はこの時を待っていたんだ…」
 それが何故なのかすぐに理解は出来なかったが気分はすっきりして正直で素直な気持ちになれた。
「何かが自分の身体から抜け出て、何かが刷新されて歩みが始まる」
 人生のこれまでの垢を落とした、まさに風呂上がりの気分で街に出るといったところだ。


 人はいつも何かでけじめを付けようと考える。何かで線引きをしないと落ち着かないのだろう。還暦という格好のけじめの印が見つかってホッとした気分になる者も多いかも知れない。歳をとるという事に抵抗のある気持ちと、歳をとる事で何か誇らしい気持ちのどちらが勝つかでその人の現われ方が違ってくるのだろう。
 …とそんな事を考えながらペダルを漕いでいる内に男はいつもの通いつけの居酒屋に辿り着いた。自転車を入口の脇に立てかけて暖簾の向こうに顔を出した。

「いらっしゃい!おっちゃんの席は空いてるよ」
 女将の元気な声が聞こえてくる。狭い店内にいつもの顔ぶれがびっしり埋まっていた。カウンターの右から三番目の席が空いていて、ここが男のいつもの指定席でもあった。
 今日は日本酒を鈍燗で飲みたい。じっくり啜(すす)り飲みで六十年という時間を味わうように飲んでみたい気分だ。両脇には同じ世代の馴染みがすっかり出来上がって談笑している。もうこの歳になるとサラリーマン時代のように職場や上司の愚痴を肴にすることもない。話す事といえば競輪競馬ギャンブルの結果とか誰それに会ったとかその日の出来事くらいのものだ。


 しかしこの日に限ってどうしたものか、いつもとは気分が少し違う自分に気がついた。
還暦の境に辿り着いた今日、こんなに生きて来たんだという思いを持ってもっと誇らしい生き方を模索してみようかなどと考え始めている。
「どうしたんだろう?何か新しい生き方というか視点を得たような気分だ」
 酒は心地良く体中を巡り手足の指の末端までゆきわたっている。少しばかり酒の量が増えたようで体中の血管がドクドクと音を立てているのが分かる。血の巡りが良くなったのかビジネスアイデアらしき発想が頭に浮かんでは心を躍らせる。これまで「起業」などという言葉は他人の世界の話で自分の頭に浮かんだことはなかったが、妙に現実味を帯びて男の日常に現われたようだった。

 心の奥深くに留めておいた子供騙しの様な夢を、還暦にもなった年寄りが本気で追い求めるなどという気恥ずかしい馬鹿をやってみたいような、そんな馬鹿になれるかも知れないといういままで避けていた勇気と気概がアルコールに包まれてやって来たようだ。
これまで間違いを犯すことが恐ろしくて自制して来た自分が別人のように思える。何かのタガが外れて押さえつけて来たアイデア発想の数々が溢れるように込み上げてくる。 利口ぶることで枠からはみ出る事を自重して来た、そんな人生のロスを取り返すかのような勢いで計算度外視の企画プランが武者震いしながら待っている。この勢いなら先々は株式会社設立も夢ではなさそうだ。

 何だかすっかりビジネスヒーローにでもなったかのような高揚した気分で外に出た。
 酒が体中を気持ち良く廻るようにペダルは軽く宙を舞う様な心地で家路に向かっていた。その時だった突然後ろから衝撃を受けて全身が麻痺したような無感覚になった。驚く以前に何が起こったのかさっぱり分からず、戸惑いながらの不思議な浮遊感があった。
どうやら車に跳ね飛ばされて身体は宙を舞っていたらしい。道端の電柱に頭をぶつけたらしく生あたたかい粘着質の液体が額から流れ出ていた。


 体中が無感覚の空洞の様で立ち上がる力も湧いてこない。痛みも感覚もないままに、このままではいけないという意識だけが頭の中で廻っている。
 しばらくすると体中を疲労感が襲って来てもうこのまま眠っていたい気持ちになった。どうやら私は死ぬらしい…そんな非現実的な考えが説得力を持って私に迫ってきた。


 ようやく夢に向かって歩き出す決心が固まったというときに皮肉なものだ。しかし不思議な事に少しの執着も未練も無い。これからという時を前にして終わってしまう事にこれまでなら考えられないくらいの潔さを感じるのは何故だろう?
 これが還暦の達観というものだろうか。夢というものは本気で目指したとき既に叶ったも同じなのだという“夢の本質”を会得した。人間というヤツは死ななければ分からないことが多すぎる生きものだ。
 南無阿弥陀仏…南無阿弥陀仏…。


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