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私的養生訓~為る様に為る [私の養生訓]

「養生訓」というものに興味が湧いて近頃取り組んでいる。貝原益軒の養生訓との出会いが始まりなのだが、後にその哲学性に感銘を受けて自分流の養生訓を打ち立てようと心しているのである。

勿論、主眼は健康な体づくりと健康な暮らし方にあるのだが、そのためには体の各部への心がけも大切になって来る。私の場合は身体の各部にそれぞれ意志を働かせるのである。例えば深呼吸をする時は、横隔膜の下の丹田というところに意志を集中させて身を清めた空気を体外に吐き出して新鮮な空気を入れてやる。重いものを運ぶ時には、腕の筋肉や手首の部分に脳から意識を届ける。そうすれば肩の余分な力が抜けて、手首は柔軟に骨を痛めることなくグリップして安全に百パーセントの力を出し切れる。
そしてものを考える時は、脳に意識を合わせて雑念をクリアな状態にしてから心に働きける。心の伴なわない考えは、優秀かも知れないが機械と同じで誰が考えても同じ答えで個性がないからだ。

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私なりの現在の答としては、健康を損なう最大の原因は「不信」である。自分自身を疑う事こそ最大の「凶」だと思う。恨みや妬みなど憎悪の根源には自分自身への不信感が巣食っている。自信を持つという事は「成るように為る」と自然の流れに身を任す事なのである。
他人を恨み憎しむと心は荒むもので、決して晴れやかにはならない。そんな状態で生き続ければ必ず身体は支障をきたし、病を呼び込むものである。お人好しになる事ではなく、いたずらに人を愛する事でもなく、ただ恨み憎しみの感情を背負わないという事なのだが…出来るだろうか?

「為る様に為る」という心持ちこそが養生訓から得たひとつの答である。


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病とトラウマの関係 [私の養生訓]

病に囚われること勿れ。これは私の考え方に根差した心持ちである。
人は生まれてから生きている間、常に病と同居している。完全な健康体なんて無いわけで、気がついていないだけで常にどこか病んでいるものだ。うっかり病を呼び込んでしまった事に囚われていないで、好転させる術を考えよう。いつまでも一か所に閉じこもって、ますます病を体と心に住まわせる事が最悪の結果を導く。

個々の持っている病の根源には幼い頃から根付いた「トラウマ」というヤツが関係している様に思える。特に自分でも気づいていないトラウマが心に巣喰い、身体を犯す。私が心底トラウマに気がついて取り組んだのも最近の事だ。勿論むかしからトラウマの事は知識として知っていたが、こんなに巧妙に自分と一体となって時には洗脳さえするものだとは気づかなかった。そう簡単には解くことが難しいものなので、たぶん殆どの人達はトラウマというものは神経内科の問題であって肉体とは連動しないものと考えていて、自分の体とつながっているトラウマには気づかないか取り組んではいないだろう。

私は五十代に頚椎後縦靭帯骨化症という難病で頚椎手術を、六十代に前立腺癌手術をした。その間も糖尿病とかで集中治療室に入ったり緊急入院を強いられたりしてきて若い頃と比べれば身体はガタガタになっているが現在まともに生きている。これは多分、病気になるたびに生き方改善をしてきた為だろうと思っている。言い方を変えれば、過去のしがらみや精神的な病巣を取り払ってきたとも言える。

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医学的・科学的な視点で見れば病の原因はその肉体的病巣にあると考えられるが、あまりそればかりに囚われ過ぎると回復の糸口が見えないことも多いようである。体の痛みよりも実は心の痛みの方が、ずっと苦しく耐えがたいものなのである。自分の精神の闇に巣食うトラウマを直視して粉砕することは、きっと身体の痛みに耐えられる精神的な力になると思う。

私はこのトラウマの正体とその駆除法を見極めたいと思っているが、まずはその正体を見極めることが肝要だ。それは何処から来てどのように定着しどの様な結果を作り上げるのか。
一見して病に対峙する闘いの様だが、これは日々の苦悩から解放するための生き方のヒントなのかも知れない。

 

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生き方としての私的養生訓 [私の養生訓]

ブログの中で改めて自分の生き方について考え、自身に対して教訓を垂れようと思った。
貝原益軒の「養生訓」との出会いがその始まりである。
これまでの生き方に行き詰まりを感じていた昨今、これまでのものの考え方に基本的な間違いを感じた。というよりは人間が本来持っている根本的な過ち易い部分に気づいたと言っても良いだろう。
どうも私が判断を誤っている時は何かが上手く行っていない感じがあって、それは精神的な苛立ちや障害を起こしたりして身体面にも支障が起こる。牽いては人生全体をも破壊しかねない病を引き起こす。
これはオーバーな表現のようだが、時には小さなストレスが大事に発展する可能性もあるという事に気がついた。

良からぬ考えが頭を駆け巡り、そのために思考が邪魔されて真っ当にものが考えられない事があった。それは良からぬことで頭が支配されて、正常な思考回路を辿らないからであると気づいた。シンプルに素直に物事に対処していれば、たぶん人はそんなに苦しまなくて良いのだろう。
欲望というものは生きる力になっている部分もあるが、人を苦しめる深い原因にもなっている様で、愛とか夢も正邪の両面があるようだ。用い方に気をつけよう。

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「養生訓」は身体に対してのみならず、心の扱い方に対しても言及している。心の置き方によって人は健康的に生きたり病に陥ったりもする。自己に反して心無い考えをすれば体を壊したり人生の選択を誤ったりする。
例えば、恨みや嫉妬心などを心に貯めていれば、取る行動に反映されて破壊的な結果を生み創造的なものとはかけ離れてゆくことだろう。つまり自分の人生を駄目なものにしてゆくのだ。

様々な状況で生きてきて様々な毒も薬も飲んできて、辿り着いた結論が心を支配する「脳の生かし方」だった。これからの私は「養生訓」として、如何に健全な体と心を保つかに第一の注意をしよう。この歳になって今年出会えた最高の気づきだった。

 

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