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小説「ゼロの告白」/第十四章 [小説「ゼロの告白」]

【ゼロの告白/第十四章~辿り着いた処】

 この男の時間の観念はパラレルに存在している様だ。たとえば現在の自分の心持ちを心象風景の様に思い起こそうとする時でも、ふと感覚が幼児期の原風景の世界に戻る事がある。自分の行動の基準が果たして本当に現在の感覚で測られているのか時々分からなくなる様だ。
 いま少しずつ人生の終焉を迎えつつある中で、これまでを振り返った時に必ずしも同じ時代ばかりが思い浮かぶわけではない。普通は人生の中で思い浮かべるのはひとつかふたつの時代だろうと思うが、どうもこの男の感覚は少し違っていた様だ。ひとつの時代の中にいくつもの場面が、それぞれ時代の枠組みを越えて散在している。幼児期の彼が無造作にゾウの絵を描いていたかと思うと、次の場面では十八になった青年が欧州の街角でチョーク絵を描いている。かと思えば学生時代にポスターで受賞して賞状を受け取る場面に転換して、次には何の関連もなく唐突に車で大事故を起こして生死を彷徨った場面に変わる。一体この男の思考回路はどうなっているんだろうと思ってしまう。

 考えてみれば生き方自体が脈略のないパラレルなものだったのかも知れない。これといった師も持たず、誰に何を教わる事もしてこなかった男は常に自分一人で判断し決断して生きてきた様に思える。どんな結果に終わってもそれは全て自分に責任があるのであって他の誰を恨むわけにはいかなかった。そんな思いが実は幼い頃から彼自身を支配していたのだった。
 どんなに悔しい結果を生んだとしても誰にもぶつけることの出来ない苛立たしさ。外側から見ればそれは一種の潔い覚悟の様にも映るが実はどこにもぶつけようのない不器用さでしかなかった。

 

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終活としての描画作業 [制作日記]

このところ絵を描くことから心が離れていた。全く違う世界で仕事をしていた事もあって、日常の忙しさにかまけて絵を描くという意味を忘れていたようだ。
考えてみれば私の人生の原点は「絵を描くこと」にあったわけで、それから完全に離れてしまっては自身を逸脱したと云っても間違いではないだろう。気持ちを戒める。

私くらいの年齢になると絵を描くことは自分の人生の総括的表現になるようだ。これまでの人生、それぞれの時代時代に応じて当然考え方も変化して絵を描くテーマやそこに現われる生き様のようなものも移り変わって来た。私などは同じひとりの人間とは思えぬほどの変幻自在な生き方を環境も含めて移り変わって来たものだが…ここにきてついに終焉を感じ始めたように思える。
改めて絵を描く気持ちに立ち返って、果たして私はどのような生き様をしてゆくのだろうか…。

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最近、岡本太郎の作品と生き方を再認識した。かつては多少の偏見もあってそれほど評価をしていなかったのだが、改めて彼の偉大さに気づかされた。もっと若い頃に気づいていれば私の絵に対する姿勢も変わっていたかも知れないと思った。それほど脳髄に届く程のショックでもあったが、遅ればせながら気づけて良かったとも思った。
作家も芸術家も生きた時代によって表われ方は異なり甲乙はつけがたいものだが、受け取る者の心の琴線に触れるものが素直に良いものなのだろう。そんな気がする。しかし私は評論家ではない。どんな絵や作品が良いものなのか語る必要もなく、ただ終活の行為として素直に絵を描ければ、それが本来の最良の一枚なのだ。

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