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人間の蹉跌 [◎ネガティブ・ケイパビリティ]

私は『人間の蹉跌』という自分の作った好きな言葉があります。石川達三の小説『青春の蹉跌』をもじったものなんですが、大変気に入っていてそのうち何かの作品のタイトルに使おうか考えています。
人というものは宿命的に失敗するように出来ていて、何をやっても一時的な成功はあるにしても最終的には失敗で終わるものの様に思えます。そしてその宿命を自覚したときに初めて “生きる事の成功”を手にしたと言えるのでしょう。倒れても立ち上がり見上げた顔が希望を向いている様を不屈と言うのでしょう。「不屈」であることが自然に敵対する人間の人間らしい一面なのだとも思います。幻想を幻想のまま受け入れて、たとえそれが消え果ても夢の中に生きた時間を人生の宝物として味わうことが、この世に生まれて生きた証しという気がします。

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人間の言葉に置き換えてこの世界を語ろうとするから間違った答えを垂れ流してしまうのです。沈黙こそが人間の最高の英知なのですが、それでは人間世界は許してくれません。
何年も前に私なりのひとつの答として「万物は未完成であり続ける」という事を心に刻みました。しかし人は移ろい易く忘れ易いもので確信した事もいつの間にか手放してしまうものです。これもつまづきの表われなのですが、気がついて元に立ち戻れば良しとしましょう。投げ出さなければ物事の勝負はつきません。勝っても負けてもひと時の話で永遠に続くものではなく、それですべてが決するものでもありません。
幻想の中で急いで到達しようとする気持ちが、人間をつまずかせる原因のひとつなんでしょうね。

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私的終活を考える [日々の背中]

今年はそろそろ終活を意識しようかと思っている。終活と云っても何も特別な準備や行動をする訳ではなく、そろそろ物事の限界を見極めながら人生の終着の在り方を実感してみるのである。

私が終活を考え始めるに至った理由はいくつかあるのだが、そのひとつに「堂々巡り」というのがある。
これまで様々な事態にも遭遇して、考え悩みながらもそれなりに答えや結論を出して生きてきた訳で、この先新しい局面に出会ってもこれまでの応用で考え対処する事は出来るものだ。そう考えると物事に対する答えは既に出ていて、その結果は常に変わらないものだと痛感してしまう。答えが出てしまっているのに再び答えを求めて道を歩むことはない。必要以上にものを考える蛇足な行為は往々にして正しかった答えを間違ったものに変えてしまうものだ。同じところを何度も巡って同じところに到達するのは、残された時間の少なくなった私には意味の無い事だと認識した。
何かに縛られながら自身を高める必要は感じなくなった。これからの私に求められるものは “私を越えた次の世界”に向かう勇気なのかも知れない。

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終わりの向こう側に顔を向ける事が私の「終活」なのである。


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共通テーマ:日記・雑感

謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

令和3年 正月 

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死を食べる-アニマルアイズ