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前立腺全摘出手術 [日々の背中2:糖尿前立腺ガン編]

いよいよカウントダウンに入った。カメラを通しての膀胱チェックや肺活量のテスト、眼科検診など体全体に及ぶ検査をようやく終えた。いくつかのレクチャーを受けて後は入院の日を待つだけ。約七年に及ぶ前立腺ガンとの付き合いもようやく終わることになる。糖尿を背負っているために余計に負担になっていたのだが少しは気持ちが楽になるだろう。
手術時間は4~6時間らしいが、人生二度目の全身麻酔はあまり気分の良いものではない。術後に一晩過ごす集中治療室の雰囲気がどうも苦手なので…。そう言えば13年前に頚椎後縦靱帯骨化症という難病で麻酔手術をした時は“成功率12%”とか言われてかなり悲壮感があったけれど、今回はたかが前立腺ガン如きなのでそれ程のことはない…のだが、でもやはり眠っている間は仮死状態なわけで麻酔が醒めて無事生還するという保証はないのだから、一応簡単な身辺整理はしておいた方がいいのかな?(苦笑)

病棟窓辺.jpg

このブログを通して幾人かのブロガーたちからもコメントや心配をしてくれて恐縮でした(謝々)年明けに退院したらまた報告します。
皆さま良いお年をお迎え下さい。

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原子力に頼ることの意味 [21世紀の種]

22世紀になれば人間はもっと宇宙に近づいているだろう。コロニーの様なものも現われて人類の何割かは地球の「法」から離れた自治区を作って暮らしているかも知れない。
人間が宇宙に新天地を求めるのはこの地球に活路を見いだせなかったからだ。決して地球が壊滅する訳ではないが、エネルギー問題や人口問題など諸々のすべてが頓挫した状態で、明日をも知れない過激な闘争社会に恐々としなければならないからだろう。

エネルギー問題のひとつに原子力がある。原子力の是か非かを問う前に、原子力の正体を知っておくべきであると思う。知って知らぬふりをしている者もいるが、未来のことなど考えないで今をどうやって生きるかを考える者が殆どではないかと思うが、原発に関して言えば“今現在だけを考えてやり過ごして生きる事”は人間の愚かさを証明する様なもので悔恨を残すだろう。
端的に率直に言えば「原子力の様な危険なものは、例え“神”と謳われてもさわらぬ神に祟りなしで考えの選択肢に入れない方が無難だろう」解釈の仕方で論議が生まれる事を見越した上でそう結論づける。原発や核開発を人間の英知として捉えているのは主に欧米のWASPに代表される権威グループであって、世界各国が認めている訳ではないという事も知っておかねばならない。自分たちが常識と思っている事が少しも常識ではないという事を私たちはもっと知恵を持って自覚しなければならない。

未来.jpg

原子力でビジネスをする国だけが原子力に賛同する。純粋にエネルギー開発を考える国は、副産物として核開発を生む原子力よりも別の道を模索している。原発政策の本音は金儲けに他ならない事を、そして誰がそれで儲けるのかをもっと洞察しよう。
地球に愛想をつかして脱出し別惑星のコロニーで暮らす人たちにとっては、核廃棄物のゴミ箱となった地球を想像しても悩むことはないのだろう。

日本人の感性で考えれば本来なら原発の様なものは嫌いな筈なのだが、欧米の特にアメリカの影響下にある現代の日本では当然の様に受け入れる事が権威に対する忠誠なのだろう。日本人の安全に対する潔癖症からは考えられない程のいい加減さは、もはや日本という国もアイデンティティを見失ったかと思わせる様相だ。
憲法改正もいいのだが、本当に独立心を持ってやってゆけるのか、独自のアイデンティティを磨きぬけるのか、それは最も危険な“原子力との対峙の仕方”で表われるような気もする。

※注釈


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小説「ゼロの告白」/第十章 [小説「ゼロの告白」]

【ゼロの告白/第十章~罪の足音】

 都会での生活が疲れ始めた頃、男のどこかに癒しを求める気持ちもあったのか或る聖書勉強会に誘われて足を運び始めた。この男にとって宗教に対する忌避意識はなかった。子どもの頃の遊び場と言えば裏山の神社だったことや、幼少の頃に母に連れられて毎週のように商売繁盛の祈祷を受けに近所の稲荷神社に通った経験があったからだろう。
 原風景を辿ってみれば、両親が行商の共稼ぎ夫婦だったために、幼い頃から他人の家に転々と預けられた家が天理教の会所だったこともあった。お堂の階段を上がった所に丸い囲み火鉢のようなものがあって、そこで年老いたお婆さんに世話してもらっていて微細な事は覚えていないが何となく非日常的な空間の印象だった。その体験からか宗教臭いと言われるものに少しも抵抗感が無く忌避意識も湧くことがなかった。

 聖書を通してキリスト教に触れることは初めてではなかったが、都会での前途真っ暗な貧困生活という状況の中で宗教に出会った事は少なからずその後の生き方に影響を与えるものだった。際立ったコンプレックスもなく育った男だったので、特に神やら仏やらを否定する気も無くて、かと言って積極的に肯定する気持ちもなかったがその曖昧な考えが彼特有の処世スタイルでもあった。
 会所の様な所に聖書勉強会という名目で週に一回通っていたのだが、教義の説明が理論的であり科学的だったところに共感を覚えて、今の自分にはそれが話を聞くに足るものだったようだ。人間の脳は殆ど無限に近いくらいの能力があるのに使われていないという話や、古代の人間はもっと永く生き長らえるだけの寿命があった話などを織り交ぜて“永遠の命”につての語りがあった。以前なら醒めた気分で聞いていたであろう説話が、どういった訳か素直に聞き入れられてそんな自分に驚かされてもいた。

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死を食べる-アニマルアイズ