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小説「ゼロの告白」/第十章 [小説「ゼロの告白」]

【ゼロの告白/第十章~罪の足音】

 都会での生活が疲れ始めた頃、男のどこかに癒しを求める気持ちもあったのか或る聖書勉強会に誘われて足を運び始めた。この男にとって宗教に対する忌避意識はなかった。子どもの頃の遊び場と言えば裏山の神社だったことや、幼少の頃に母に連れられて毎週のように商売繁盛の祈祷を受けに近所の稲荷神社に通った経験があったからだろう。
 原風景を辿ってみれば、両親が行商の共稼ぎ夫婦だったために、幼い頃から他人の家に転々と預けられた家が天理教の会所だったこともあった。お堂の階段を上がった所に丸い囲み火鉢のようなものがあって、そこで年老いたお婆さんに世話してもらっていて微細な事は覚えていないが何となく非日常的な空間の印象だった。その体験からか宗教臭いと言われるものに少しも抵抗感が無く忌避意識も湧くことがなかった。

 聖書を通してキリスト教に触れることは初めてではなかったが、都会での前途真っ暗な貧困生活という状況の中で宗教に出会った事は少なからずその後の生き方に影響を与えるものだった。際立ったコンプレックスもなく育った男だったので、特に神やら仏やらを否定する気も無くて、かと言って積極的に肯定する気持ちもなかったがその曖昧な考えが彼特有の処世スタイルでもあった。
 会所の様な所に聖書勉強会という名目で週に一回通っていたのだが、教義の説明が理論的であり科学的だったところに共感を覚えて、今の自分にはそれが話を聞くに足るものだったようだ。人間の脳は殆ど無限に近いくらいの能力があるのに使われていないという話や、古代の人間はもっと永く生き長らえるだけの寿命があった話などを織り交ぜて“永遠の命”につての語りがあった。以前なら醒めた気分で聞いていたであろう説話が、どういった訳か素直に聞き入れられてそんな自分に驚かされてもいた。

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 聖書勉強会には数ヵ月ほど通っただろうか、男は自分の人間性が根本から変わってゆくような爽快感を感じていたのだが、ある日突然に破局はやって来た。この先、洗礼を受けるかどうか考え始めてしまったからだ。
 幼い頃から宗教的な環境には慣れていて集まりなどに参加する事は決して嫌いではなかったのだが、布教に協力して活動している自分の姿を考えた事はなかった。幼かったから許されていたのだろうか、しかし今回はそんな訳にはいかない様だった。男に対する周囲の眼は日に日に期待に満ちて彼が洗礼を受けて布教活動する事は必然とでも言いたげな雰囲気になって来た。このまま洗礼を受けずにこの場を去る事は何かを裏切った事になるのか、得体の知れない問い掛けが頭の中を支配した。宗教的束縛に絡めとられて初めて自分の中にある“罪の足音”に気づいたのだった。


 思えば様々な事柄が蓄積され作り上げられてきた今日までの人生だった。それが日々を過ごし成長をするという事の代償なのだと理解できたのは、年相応の中年になってからだった。今の男にはすべてやり直すわけにはいかない事は分かっている。理由さえ分からない愚かな間違いであっても自分の一部として背負わねばならない、それが一度きりの人生を生きるという事の厳しさなのだ。
 改めて振り返ってみると数々の間違いと、許される事のない罪を犯してきた様な気がしている。それは全く個人的な事で中には既に鬼籍に入った者もいて誰に懺悔する事も出来ないものだ。人生で背負って生きてゆくものの中にはそんな不条理にも似た苦痛の念もあるが、それらもまた絶対的ではなく“罪の足音”の様な飽くまでも自分自身の創造した観念なのだろう。
 この世に生を受けてから延々と時間は流れ、蓄積された思索は行き着くところ限りなくゼロに近づきそして終焉の門を叩こうとしている。目の前にはもう少しも若くない自分が立っている。様々な寄り道をしてきたが、そろそろ自分自身の答えを用意しなければならないようだ。

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<この物語は「一人の男が自己に内在するマイノリティと対峙しながら成長してゆく」といった自伝的フィクションですが、無計画に執筆を始めたもので進行具合も遅く、今後の展開はあくまで未定です。あらかじめご承知おき下さい>


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