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風に訊け~真実は一瞬の閃光の如く [随想随筆]

なぜ私たちは延々と悩み続けるのか?苦しみを解いてこの世の春に終着点として辿り着くことはないのか?
人生の旅路の中で幸せはほんのひと時で、あとは苦しいことの方が多い様に思える。真実の歓びは多くの虚偽に塗れて埋まっている。この世の中に幸せや真実が無いとは言わないが、その出会いはほんのひと時の如くで、長く保っている事は難しい。

多くの虚構や虚偽に埋もれた世界の中で、真実は一瞬の閃光の様に過ぎ去ってしまう。それでも確かな「その存在」を捉えて心に焼き付ける事が、人間に出来る唯一の方法だろう。
ひと所にとどまらない電光石火の真実だからこそ神経を集中させて覚るが良い。生命は短いものだからこそ現れる真実も瞬きの様なものなのだろう。

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一瞬姿を現して消えてゆく。儚い真実の姿だからこそ大切に心に刻みたいものだ。
嘘に塗れた人の世で、出会った真は幸いの証しだ。自分の掌の中に収めておくことは出来なくともその姿を知っている事は幸いだ。虚飾の中に在る真実だからこそ一段と輝いて見えるのかも知れない。

人の世は噓偽りで成り立っているとも考えられる。華美な虚飾は魅力的で誘惑的だ。人の弱みを優しく擽る。どうせこの世に生まれたからには偽りの美酒だとしても味わってみたいものだ。
しかしその酒に溺れてはいけない。偽りと知りつつ快楽に耽りながら、自制をしているつもりがいつの間にか酔っている。自分は酔っていないという者ほど実はすっかり酔って溺れているものだ。自分自身を買いかぶる勿れ。
一瞬の真実の姿に目を醒ます。道を踏み外さないためには流れゆく刹那を捉える感性が必要だろう。


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風に訊け~支配されない心 [随想随筆]

自我というのは厄介なもので、意識し過ぎるとどんどん遠ざかり、かと言って無我の境地にもなかなか成り難い。
しかし少なくとも自分の心持ちは自分で掌握していたいものだ。何か全く別のものに支配されているというのは避けたいものだが、案外世の中では自分の考えを別のものに支配されていることが多い様だ。それはマインドコントロールなどではなく、あえて言えば世の中の同調圧力の様なものだろうか。ある意味で自意識から生み出される共存と寄生の願望かも知れない。

自分でも気づかない内に何かに支配される事を避けるために、私は物事に過剰に期待する事をやめるようにした。過剰に期待する事は、考えてみれば成就の交換として自身を捧げることになる。自身を捧げるとは、言うなれば「ど~にでもしてー」という事に違いない(苦笑)
何かの利を得るために、この世の中では(盗っ人でもない限り)自己御供を強いられてその結果…支配される。自身を捧げて期待を叶えることに意味があるのだろうか。願望を叶える事と自由である事は相反するものなのだろうか?私には分からない。

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「自由である」とはつまり心を支配されない事なのだと思う。昔と違って現代ではマスコミや宣伝媒体などによって巧みに誘導される手段が整っている。それが現代の時代の特色でもある。そんな環境の中で心に独立心を持つという方が難しいのだが、そうしなければ何ものかに取り囲まれながら人生を費やすことになる。私にはそれが苦痛で耐えがたいのである。
自尊心を捨てて寄生して生きることを良しとするならそれも良いだろう。しかし私には何ものにも囚われない「自由」を求める気持ちが生きている。

松尾芭蕉「野ざらし紀行」の心情に共鳴する様になってきた。
人間の世界から見れば理想に過ぎないが、本当の自由とは裸のままで何も所有せず何にも束縛されない生き方に違いない。犬や猫や動植物には出来ても人間にはそんな自然に同化した生き方なんて出来ない。社会に束縛されて生きることが人間の人間らしい生き方なのかも知れない。そういった意味で、世の中に束縛されることは必然の宿命かも知れないが、訳の解からない何ものかに支配されて生きることは御免被りたい。

 

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