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風に訊け~支配されない心 [随想随筆]

自我というのは厄介なもので、意識し過ぎるとどんどん遠ざかり、かと言って無我の境地にもなかなか成り難い。
しかし少なくとも自分の心持ちは自分で掌握していたいものだ。何か全く別のものに支配されているというのは避けたいものだが、案外世の中では自分の考えを別のものに支配されていることが多い様だ。それはマインドコントロールなどではなく、あえて言えば世の中の同調圧力の様なものだろうか。ある意味で自意識から生み出される共存と寄生の願望かも知れない。

自分でも気づかない内に何かに支配される事を避けるために、私は物事に過剰に期待する事をやめるようにした。過剰に期待する事は、考えてみれば成就の交換として自身を捧げることになる。自身を捧げるとは、言うなれば「ど~にでもしてー」という事に違いない(苦笑)
何かの利を得るために、この世の中では(盗っ人でもない限り)自己御供を強いられてその結果…支配される。自身を捧げて期待を叶えることに意味があるのだろうか。願望を叶える事と自由である事は相反するものなのだろうか?私には分からない。

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「自由である」とはつまり心を支配されない事なのだと思う。昔と違って現代ではマスコミや宣伝媒体などによって巧みに誘導される手段が整っている。それが現代の時代の特色でもある。そんな環境の中で心に独立心を持つという方が難しいのだが、そうしなければ何ものかに取り囲まれながら人生を費やすことになる。私にはそれが苦痛で耐えがたいのである。
自尊心を捨てて寄生して生きることを良しとするならそれも良いだろう。しかし私には何ものにも囚われない「自由」を求める気持ちが生きている。

松尾芭蕉「野ざらし紀行」の心情に共鳴する様になってきた。
人間の世界から見れば理想に過ぎないが、本当の自由とは裸のままで何も所有せず何にも束縛されない生き方に違いない。犬や猫や動植物には出来ても人間にはそんな自然に同化した生き方なんて出来ない。社会に束縛されて生きることが人間の人間らしい生き方なのかも知れない。そういった意味で、世の中に束縛されることは必然の宿命かも知れないが、訳の解からない何ものかに支配されて生きることは御免被りたい。

 

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U3

「世の中」と「自己の世界」とを適宜行き来して生きるのが理想かな。
by U3 (2023-11-13 09:41) 

扶侶夢

>U3 さん、ご来訪&コメント有難うございます。
確かに表裏一体どちらに入れ込んでも片手落ちですね、引きこもりになってしまいます。
※ちなみに私は、例えば「片手落ち」の様な、一般に「差別用語」と言われている言葉を気にせず使っています。ご了承下さい ^^)
by 扶侶夢 (2023-11-13 10:14) 

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