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架空の現実 [随想随筆]

「架空の現実」…映画を観ていて、ふと頭を過ぎった言葉である。撮影した場面の数々をカットしたり繋げたり編集して物語りの世界を構築し、その中で私たちはドラマを体験してゆくのだが、ドキュメンタリーの場合それがまるで本物の世界であるかの様な錯覚をしている。現代の映画はヒトラーが作った「ベルリン・オリンピック」に代表される錯覚を生む最たる仕掛けでもあるだろう。

「人生とは錯覚だ」極端に言えばそう云えるかも知れない。私たちは実はその人個人が創った概念の中で生きている。その世界は共有はしているが共通のものではなく、一人一人の脳が創り込んで現実だと思い込んでいる世界なのではないだろうか。上手く言えないが、映画の技法と同じように簡単に人間の脳を操作出来て、操作されてしまうのが人間の感覚世界の様に思える。

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ネットが発達して情報過多の時代に生きている私たちは、信じる信じないは別にして、垂れ流される情報を現実としてその中に身を置いて根拠のない判断を下している。
ひとコマひとコマの編集で作られた世界を現実と錯覚してそこに自分を投影する…すでに創作の世界と一体となった人生を歩んでいる。
一旦足を踏み入れてしまった架空の世界で得た体験や学習は、その後はそれをベースとした人生を歩み続けるのではないだろうか。だから私は「もしかしてこの人生も錯覚の産物…」と考えてしまうのである。

 
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例えば、オウム真理教に洗脳されて入信してしまうメンバーの中にも、頭脳の優秀な人は多いと聞く。頭が良いから悪いからという事は何の判断基準にもならないし、人生を真摯に生きているか錯覚しているかは頭の良し悪しには関係ないという事だろう。
宗教も神話も、神様も仏様も錯覚から生まれたものだと考えれば…人間にとって必要かも知れないが、単にそれだけの事でしかない。声を上げて競い合うための価値なんて無いのだろう。

 

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青山実花

私も神様仏様は、
錯覚だと思っています。
苦しい時だけ神頼み^^;
そして、少し経つと、
頼んだ事さえ忘れてしまいます(笑)。
by 青山実花 (2023-04-01 09:12) 

扶侶夢

>青山実花さん、ご来訪&コメント有難うございます。
神様も仏様も人間には錯覚が必要なんですね。錯覚をしていなければ生きてゆけない…だから真実というお墨付きの「理屈」を信じていては駄目だと思っています。
by 扶侶夢 (2023-04-01 11:28) 

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