サイレントマジョリティとスケッチトラベル [日々の背中]
以前よく使われていた「サイレント・マジョリティ」という言葉を覚えているだろうか?
言葉をマスコミなどで取り上げられて世の中に影響を与えられる人々よりも、語っても声が届かなく黙しているに等しい人たちの数の方が圧倒的に多いという事である。
言葉をマスコミなどで取り上げられて世の中に影響を与えられる人々よりも、語っても声が届かなく黙しているに等しい人たちの数の方が圧倒的に多いという事である。
マスコミやSNSの普及で政府の見解なども一般に充分知れ渡り伝えられる様になった…と思われているが、果たしてそうだろうか?声高に言われるのはいつの場合も、都合よくコンセンサスをまとめたい為の先導であって、民の声とか大勢の考えを反映したものでは無さそうである。現に国の方針や政策の殆どは思ったように進んでゆく。一応、民主主義という建前になっているので人々の意見を聞く形は取っているけれど…。実のところは、誰のための何のための方針かというものが多いのである。
すっかり高齢者になった私は、この社会から見放されている現実を感じている。ある意味でサイレント・マジョリティの一人なのである。自分の存在感を如何に示せられるか…そこで思い出したのは、世界中のアーチストたちの国を越えたある活動。
年代が2000年になった頃だった様に覚えているが、以前に「スケッチトラベル」というムーブメントがあった。世界中の画家やイラストレーターたちが声を掛け合ってネット上に集い、互いに回覧しながら作品を掲載してスケッチブックを仕上げるという運動だった。世界のいたる所で活動しているアーチストたちが一冊のスケッチブックを仕上げるそのムーブメントはとても斬新な発想で可能性を感じさせるものだった。
年代が2000年になった頃だった様に覚えているが、以前に「スケッチトラベル」というムーブメントがあった。世界中の画家やイラストレーターたちが声を掛け合ってネット上に集い、互いに回覧しながら作品を掲載してスケッチブックを仕上げるという運動だった。世界のいたる所で活動しているアーチストたちが一冊のスケッチブックを仕上げるそのムーブメントはとても斬新な発想で可能性を感じさせるものだった。
社会から見捨てられそうな者たちでも、何かを繋がりの足場にして外の世界に価値をアピールすれば目の前の扉は開かれるのではないだろうか…そんな事を考えさせられるアーチストたちのムーブメントだった。
その後スケッチトラベルの活動はどうなったのだろうか…これからも時々このスケッチトラベルのその後の動向は調べてみたいと思っている。
多くの人々の意見より、
ほんの数人が、
自分の得とアピールのために
物事を勝手に決めているような気がします。
だってウクライナに「しゃもじ」て・・・。
by 青山実花 (2023-03-25 08:38)
>青山実花さん、ご来訪&コメント有難うございます。
ウクライナにしゃもじ、は驚かされますねぇ。私だったら恥ずかしくて言えないけれど…この人たちは真顔で言っているんでしょうか?
by 扶侶夢 (2023-03-26 18:44)