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自身の起源~私は何処から来たのか [随想随筆]

親のDNAの受け継ぎを感じることがある。彼らの考えや思いの一端を土台に自分の考えが成り立っていることを認識する。
また時には、デジャブの様な感覚で遥か昔の哲学者の考えを、そうとは知らずに自分の考えの中に発見することがある。自分の組み立てた考えが自然に著名な学者の考えと一致していたりして驚く。これは一体どうしたことだろう?

人には抗えない運命のようなものがあると言われている。それは祖先から受け継ぐ因縁でもあり DNAなのではないだろうか…。
多くの人はそれを認めたがらない。それは自分の恥ずべき避けたい部分を受け入れる様な気がするからだろう。自分の意志や力ではどうする事も出来ない運命を、素直に認めたがらないのが人間というものだ。そうやって反抗をしながら「挑戦」という進歩を続けながら人は生きて来た。
しかし他の動物たちはどうだろうか…。例えば猫が生きてゆく上で意図的な進歩や反抗はあるだろうか?本能的な戦いや反抗はあるとしても、それらは今の状況に対するもので未来を考えてのものではない。(そもそも未来という概念自体がないけれど)今この時を本能で感じての判断である。
人間は脳の働きが多過ぎるのである。それは優秀ということかも知れないが、だからといって地球上で “善”の存在として優越的に君臨できるとは限らないだろう。その理解力、判断力は常に有利に使われているとは限らないのである。例えば世の状況がパニック状態となった時に人間は右往左往して、場合によっては他者と衝突したりしながら更なる混乱を巻き起こす。決して理性的な判断で的確に対応するわけでもない様だ。

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よく考えてみれば、自分の力で生きている様に思っているが実はそんな事はない。自分自身を特別視しようとする考えが歴史上のある時点から始まって、それがアデンティティというものを発明することになった。これもそれも実は全くの創作物なのだが、まるで天から授かったもののように大切にしている。人権などもその一種だが、人間が天から与えられたように思っているものの多くはまったく人間の空想の産物であり創作物でありデッチ上げなのだ。
私たち人間は生まれた時から先代が作り上げた、社会の規範に洗脳されて育つ。世の中に反発して自我に目覚めたといっても、それは既に洗脳されている既成概念の上に構築されたものである場合が殆どだ。だから自分自身を疑ってみること、それが一番最初の問いかけの始まりであり、ここを通過しないものは永久に自己欺瞞を続けることになる。

私は何処から来たのか?そして何処へ行くのか?
これは画家ゴーギャンの問いかけだった。世捨て人となってタヒチに渡った彼が死ぬ間際まで問い続けた課題だった。

ナホトカ港.jpg

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