今日を生きる [随想随筆]
最近「今日を生きる」という言葉が意味深く心に染みるようになった。
若い頃から何度も出会って口にもしてきた言葉だが、人生黄昏時を向えたこの頃ではその感触が少し違う。明日を思い悩まない「未来の夢想の中に自身を置かない」という事であり、刹那的と言われるかも知れないが、“今この時を生きる”という意味でもあると考える。
若い頃から何度も出会って口にもしてきた言葉だが、人生黄昏時を向えたこの頃ではその感触が少し違う。明日を思い悩まない「未来の夢想の中に自身を置かない」という事であり、刹那的と言われるかも知れないが、“今この時を生きる”という意味でもあると考える。
若者は未来を描いて志向するのも良いと思う。しかし年老いた私にはいたずらに明日に身を置くよりも、今日のひと時ひと時に価値を感じて生きる事の方が大切に思える。
明日のためにある今日ではなく、今日を生きるためにある今日なのだと、年を老いた私はそう思った。「大志を抱く」のは青年であって、我々高齢の者には大志は重過ぎる。そんなに強がった生き方はもうほどほどにしておいて、そろそろ弱音を吐く頃なのじゃないだろうか。長い間、強がって生きて来た私だからこそそう思う。
明日のためにある今日ではなく、今日を生きるためにある今日なのだと、年を老いた私はそう思った。「大志を抱く」のは青年であって、我々高齢の者には大志は重過ぎる。そんなに強がった生き方はもうほどほどにしておいて、そろそろ弱音を吐く頃なのじゃないだろうか。長い間、強がって生きて来た私だからこそそう思う。
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