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コロナの登場 [21世紀の種]

 '20年代に世界を席巻したコロナ・シンドロームは21世紀の人類を根本から変える引き金となって定着しようとしている。
インフルエンザのように一時的な猛威を振るった後は、ワクチンの開発で鎮静してゆくものだろうと初期の段階では言われていたが、何度もピークを繰り返し第七波を向え今後も第八波・九波…と脅威のレベルアップを重ねてゆく事だろう。

コロナ登場の前後では社会の構成やそこで暮らす人間の質自体が変わろうとしている。社会の基本的な構造が変われば、そこに対応して生きるために人間のあり方も変化する。これまでの約束事を破棄して打ち立てる新しいルールとはどういったものだろうか?それは従来の  "効率や合理性" に縛られずに自分自身の価値判断で人生を選んでゆくことだろう。
他人と繋がるという事を素晴らしい事のひとつに謳って推奨してきたテーゼは、人間の関係性においても変化が出るだろう。「助け合う」「世話をする」といった概念は求められる行為として認められるが、その形はこれまでの様な密なものではなく深くは関わらない形態を指向する。

動植物たちは何も変わることはない。人間の世界だけが変わろうとしている。これは何を意味しているのだろうか。
生命にしても宇宙や世界にしても、私たちが言っている概念はすべて人間社会の作り出した妄想であり真実はまったく別のものだという事なのだが、それが大きく地殻変動を起こしている。人間の営みを基軸にして進められているかの様なこの世界だが、その発想を根本的に見直す必要が生まれている。「脱・人間主義」とでも云おうか。

いつの時代にも私たちは過去の概念を引きずったまま、次の思想を継ぎ足して生きている。そしてそれが新しい概念であるかのように古いものを弾劾する。権威の表向きが変わっただけでその内容は実は少しも変わっていないのだ。その事に気づかないで単なるパワーシフトで何かを成し遂げたような気がしている。この愚かな歴史が人間社会というものなのだろう。
コロナの登場はこれまでの人間の営みや発想から脱却するためにひとつのチャンスを与えてくれたのかも知れない。…とは言っても大方の人間がこれまでと変わりない生き方を続けるだろうけれど、僅かな人たちがその意味に気づいてこれまでを超えた視点で生きる事を試すことだろう。
これこそが21世紀に蒔かれた種なのかも知れない。

コロナの明日.jpg

かつて20世紀初頭にスペイン風邪が世界に蔓延して第一次世界大戦を初めとする世界中の歴史を変えた記録がある。
もしもこのコロナ・シンドロームがそれに倣って某国・某民族の画策が巻き起こしたものだとしたら、世界の様相は変わるだろうが人間は相変わらず過去のままだという事になる。Covid-19 の発生が自然であったとしても、流言流布などその後の対処が悪意的作為であったのなら人間の愚かさは永遠という事だろう。

コンビナート風景.jpg

スペイン風邪を初め、その後も人類はチフス、コレラ、エイズなど様々なウィルスに見舞われてきたが、その度に多くの犠牲者を出しながらも終結させている。コロナにしても同様の終結が見られるだろうが、それによって世界の在り方が改悪されるのであれば、それは作為的なものだったと結論づけられても仕方がない。

 

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