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紙芝居屋の思い出 [タイムスリップ忘備録]

【紙芝居屋の思い出】

路地裏紙芝居.jpg

<紙芝居屋> 昭和20年代後半から30年代の初めまで子供たちを楽しませる娯楽商売として人気を誇った。後に登場したテレビは別称「電気紙芝居」と呼ばれたほどで、そのテレビの登場によって紙芝居は子供たちの娯楽アイテムから衰退していった。

大人たちには映画や観劇という娯楽があったが、テレビが登場しても街頭テレビくらいでまだまだ普及していない時代に子供たちには路上の紙芝居という楽しみがあった。
週に一回くらいだったと思うが、昼下がりの三時頃になると(当時は三時という時間を “おやつの時間”として、洒落て言うならティーブレイクとして一日の労働の小休止として位置付けられていたものだ)太鼓や笛の音が鳴り響き、自転車を漕いで紙芝居屋の叔父さんが登場した。ちなみにまだまだ女性の社会進出は成されていなかったので “紙芝居屋の叔母さん”というのは全国に一人もいなかったと思う。
紙芝居を積んだ黒塗りの自転車には菓子の入った箱が取り付けられていて、紙芝居の観覧料五円だったか十円だったかを払うとその中からお菓子を取り出してくれた。お菓子には当たり付きのものもあって、代表的なものは「ひようたん抜き」という薄く出来たベッコウ飴を瓢箪型に切り抜くものだった。他にも名前は忘れたが、穴をくり抜いてそこに親指が通れば景品を貰えるというものや、おみくじの棒の長さでドーナツを貰うといった駄菓子屋風のお菓子満載だった。そして手に入れたそれぞれのお菓子を口に入れながら紙芝居が始まるのを待ったものだった。
肝心の紙芝居の演題は何故か不思議と思い出せない。記録には「黄金バット」や「鞍馬天狗」「ターザン」等が列挙されているが、私の地域には訪れなかった。日本全国、地方によって様々なのかも知れない。ただハッキリと言えることは、けっして教育的で道徳的な “綺麗事でつくられた物語世界”ではなかったという事だ。小学校に通う様になると教育紙しばいという退屈なものを見る機会が増えたが、子供たちにとってもそういった時代の尺度の転換期でもあったのだろう。

昭和の紙芝居や.jpg

 

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コメント 4

いっぷく

幼稚園や、ロンパールームなど子供番組では紙芝居はありましたが、自転車こいでやってくる紙芝居の人は、昭和40年代前半ぐらいでも珍しくなっていました。
駄菓子代などいくらにもならないと思うのですが、紙芝居の人はどうやって暮らしていたんでしょうね。
by いっぷく (2020-06-15 03:52) 

扶侶夢

>いっぷくさん、ご来訪&コメント有難うございます。
紙芝居全盛の時期は結構な収入になっていたみたいですよ。当時の貸本屋と同じで子供相手の花形職業でしたから。一日に数か所を一週間くらいのローテーションで廻って、駄菓子といっても売り上げはあったんじゃないでしょうか、かけうどん一杯30円の時代ですから。
by 扶侶夢 (2020-06-15 09:54) 

U3

確か小学校高学年頃までは紙芝居がありましたね。べっこう飴の型抜きもありましたが、粘土の型抜きもありました。型に粘土を埋めて外してそれに彩色するというものでしたが、それがどういう仕組みなのか記憶は定かではありません。
by U3 (2020-06-20 06:36) 

扶侶夢

>U3 さん、ご来訪&コメント有難うございます。
もう今では作られていない駄菓子アイテムも多いですね。昭和40年代初め頃に食品加工物「チクロ」というのが問題になって、多くの駄菓子が駆逐されました。考えてみれば昔の子供は衛生上悪いものばかり食べていたんですね(苦笑)
by 扶侶夢 (2020-06-20 10:50) 

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