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私流カミングアウト(10)~自己形成の遍歴2 [私流カミングアウト]

なんと青臭いと言われるかも知れないが、私をこれまで形成して来たものについて考えてみたいと思った。60年以上も生きてきたわけだから様々な要因が重なって自我を形成しているのだが、そして意識の中から忘れ去っているものもあるだろうが(都合の悪いものほど忘れやすいという側面は無視して…笑)少しばかり過去にトリップしてみたい。

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これまで自己の人間形成について考えた時は諸々の事柄を時系列に並べて形成して来た歴史を辿るように理解して来たのだが、別の視点で改めて考えてみると、人間というものはそんな機械のように理論的に矛盾なく生きている訳でもなくて、実は妖しく不可解な存在なのだという事を忘れてはいけない事に気がついた。つまりデタラメの要素が混じっているという事だ。(そういった意味の事をかつて岡本太郎氏も言っていた様に記憶している)時系列に沿って自己形成を順序立てて整理しても、それは一般論として社会の見方に適合させているだけで実際から程遠いかも知れない。自己形成の道程を考えてみても、人間と云うものは常に進歩しているわけではなく、間違っては悔い改めの連続で振出し以下に戻ったりして(まさに三途の川で石を積んでは崩される童のように)それでも生き続ける動物なのだろう。

前置きが長くなったが、前回<自己形成の遍歴1>の続きとして進めてゆこう。
他所の家庭に転々と預けられたり歳の離れた女優志願の異母姉がいたり、と普通とは少し変則的な幼年時代だったが、今にして思えばこの時代には決して珍しくもない家庭環境だった様にも思える。経済的には貧しくても比較的恵まれて過ごしてきた小中学生の時代だったが高校に入ると学生生活は一変した。時代は学生紛争の後半に差しかかっていたが半年前に東大紛争があった後で、地方でエリート校といわれる高校ではまだ学生たちの意気は荒々しかった。人間形成という意味ではこの時代に受けた社会に対する様々な問い掛けが、後の自身の生き方に影響していると思う。
小中学校の生活では紆余曲折はあったものの担任教師に恵まれた時期もあって、結果としては現実に様々な賞も取ったりリーダー的役割を負ったりして生き方に自信を築き上げれた時代だったのだが、高校に入ってからは失恋をしたり劣等生の烙印を押されたりしてどんどん “普通の道”から外れる様になっていった。学生運動やベトナム戦争に揉まれてプロテスタント・ソングが流行していた時代で、自分でも曲を作って文化祭には歌ったものだ。
そんな日々が続いたある日のこと、動機はすっかり忘れたが、突然に「北欧に行こう!」と思い立った。実は中学生の頃から自転車で日本一周を企てたり、野宿生活をしてみたりと風来坊的な生き方をしていたのだが(このメンタリティも幼児期の経験が影響しているようだ)高校受験を控えた時期にソ連(現・ロシア)に憧れて “ルムンバ大学”に留学しようと秘かに考えていたことがあって心に温めていた。それが五木寛之の「青年は荒野をめざす」を読んで一気に燃え上がり、気がつたら海外に飛び出す準備を始めていたのだった。

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両親が行商に出ている間に他所の家庭に預けられ、決して不幸ではなかったが他者からの虐待を受けたこともあった幼年時代。裕福ではなかったが家族の愛情に恵まれてグレる事もなく学生生活を送れたが、心の底にある “一種の反発精神”がいとも簡単に学校をやめて海外に飛び出す要因になっていたのかと思うと、子供ごころの深い闇を見い出してしまう。

<続く> 

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