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私流カミングアウト(11)~自己形成の遍歴3 [私流カミングアウト]

幼児期を経て十八の時に海外を放浪するまでの時代を前期とするなら、帰国してからのハチャメチャな生き方を人生の中期と呼ぶことにしよう。高校を中退して海外に飛び出したことを破天荒と呼ぶのなら、その後の生き方はどう形容すればよいのだろう。そしてそれまでの生き方のパターンが幼児期からの生活環境や考え方が土台となって培われたものとするなら、それから先に現われる地獄をみる人生は間違いなく成人してからの自分の生き方が作り出したものなのだろう。

私が独立開業してバブル景気の余勢も可ってこの世の春を謳歌したのを三十代とすれば、それまでの二十代は流転の時代だった。人生後半の多くの部分はこの二十代で積み上げられた思索や経験が影を落としている様に思える。
まだまだ世の中を知らない若造だった頃に、実に多岐多様な人たちと時間を共にしたものだった。自分自身が人と偏見なく付き合うタイプだったので比較的多くの人たち、それもマイノリティな立場で苦闘する人たちも寄って来てくれたものだ。組の構成員や政界ゴロと呼ばれる人たちとの交流からは一般社会を別角度で眺める事も学んた。若かった頃の私は無邪気で純粋だったからそれら交流のすべてを吸収して人生観や人間形成にひと役かっていた事がよく分かる。しかしそんな生き方が結局、不器用でうだつの上がらない晩年を迎える原因になったのだろうか?

木造の駅と青山のカフェ.jpg

「人生の成功」とは何だろう?若い頃から壮年になるまでそれぞれに考える時代があった。ある時には競争に勝ち抜くこと、またある時には富と名声を得ること、そしてまたある時には愛情豊かに平穏に生きること…。それぞれの年代で価値観の尺度は変わったがどれも答えに到達するにはならなかった。徹することの出来ない性格なのか、いいところまで行っても “これは違う”という気がして別の道を模索してしまう「半端者」なのだ。
悶々とした時代もあったが、結局人間は “落ち着く処に落ち着く”のだろう。「未完成」の名を背負って最後まで “解らぬまま”に生き続けるのかも知れない、微妙なバランス感覚を保ちながら…。

これまでの人生は自身で選びながら生きてきたと考えて来たが、結局は生まれてからの様々な因果が連鎖して影響し合っている様に思う。そしてそれらもまた、父母や祖父母からのDNAを何らかの形で受け継いでいて、逃れる事の出来ない輪廻の様な大きな定めに置かれているのかも知れない。

自己形成の遍歴<了>

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