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CSRと企業の社会的責任/思想のタイムスリップ [タイムスリップ忘備録]

近頃『SDGs』という言葉がビジネス界や社会のムーブメントとして言われている。それで思い出すのは、かつて同じ様に社会的なコンセプトとして登場していた『CSR』である。サステナビリティ・企業の社会的責任と言われて一部の人たちから期待されて登場した新時代のコンセプトはその後どうなったのだろうか?かつての時代に戻って思想の変遷をタイムスリップすることは、表層的なレトロ・ブームとは一線を画す“知の散策”と呼べるものだろう。

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『CSR』のコンセプトは第七代国連事務総長コフィー・アナン氏の提唱した「グローバル・コンパクト」に始まる。世界の南北格差や自然破壊の閉塞感をブレイクスルーするために 1)人権 2)労働 3)環境 4)腐敗防止 の四つの指針を打ち出した。そしてこれらを監督・監視するためガイドラインを設けて市民レベルでの第三者的存在オンブズマン制度も検討された。それまで経済的強者であった企業組織が勝手気ままに振る舞えない様な民主的なシステムの発想だった。
今では日常的に使われるようになったが「サステナビリティ」という言葉は我が国ではこのCSRの啓発と共に生まれた言葉だった。サステナビリティとは「持続可能性」という意味を持ち、
自然環境や人間社会などが長期にわたって機能やシステムの良好な状態を維持させる考え方で、バブル崩壊の後の日本社会が求めていた概念でもあった。

私は一時期CSRの研修に取り組む機会があったのだが、当時は日本社会をバブル崩壊の余韻が閉塞感を漂わせていた時だったので、新しい成長路線に乗せるという意味で多くの企業が賛同していたものだ。日本企業にありがちな “お題目”だけ唱えるキャンペーン・フレーズが多かったが、消費者側の意識を変えさせることに少しは役だった様にも思える。
考えてみればその国々で注目する部分が違うのだろう。日本人の多くはリサイクルや環境問題に興味があるためCSRのその部分に多くを割いていたように思える。新型コロナ・ウィルス禍でも顕著に現われたように日本人の大方は環境衛生から身を守る事には長けているのかも知れない。企業もその辺は理解しているのでCSRの中でもその部分には力を入れていたものだ。行政に於いても環境問題への取組みが一番で労働・人権は二の次、腐敗防止に至っては殆ど問題にしないというのが実情だろうか。これは何も日本だけではないだろうけれど…。

世界の経済活動の本質部分に対して問題を投げ掛けるという意味で『CSR』の登場は画期的でもあった様に思える。決して正しく理解・運用されていたとは言い難いが、新しい概念というものは常に幻想と理想を含んでいるものなのだろう。

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U3

こんにちは。
「腐敗」を見過ごしていると徐々に「勤労意欲」が失われ、やがて「生産性」も「国際競争力」も失うことに気づかない日本人。というよりもう崖っぷちにいることに気づかない愚かさ。

 一回だけ記事更新しました。
by U3 (2020-07-08 15:45) 

扶侶夢

U3 さん、ご来訪&コメント有難うございます。

>一回だけ記事更新しました。
拝見しました。それにしても、公平な見地から論評しようとする事は本当に大変ですね。簡単に結論を出して締めくくる事も難しく、まじめにやればやる程に別の問題提議が発生して…終わる事のない様相を呈します。
by 扶侶夢 (2020-07-09 13:01) 

U3

CSR、コンプライアンス、コーポレート・ガバナンス。
 どれも日本に根付いたとはとても思えない。
 コンプライアンスを前面に押し出している保険会社の社員が、ネットで嫌がらせをしているのをその会社に告発したことがありました。それなのに言い掛かりだと一方的に断じられ、何ら解決を見ないままその後2年間にわたって、このブログで複数の人物からネット上だけでなく、実生活でも嫌がらせを受けた経験があります。今でもその残党がいますよ。
 それが一部上場企業のコンプライアンスの実態です。

 1回どころか7月20日にも記事を更新します。さすがにそこで終わりにしますが(^_^)
by U3 (2020-07-17 21:54) 

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