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私流カミングアウト(9)~二人の姉の話 後編 [私流カミングアウト]

 私流カミングアウトとは、未来に向かって建設的でも前向きでもない告白をそろそろ終焉が見えかけてきた人生を総括するという趣向でつけたものだ。
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二人の姉の事を書いてみようかと思った。理由はいくつかあるのだが、ひとつは彼女たちの人生を総括して改めて私との関係を書き記しておきたいという思いからだ。
それぞれ母親の違う私たち姉弟だったが、死別した上の姉と違って下の姉の方は生き別れだ。父親の連れ子同士の再婚は上手くいかず殺伐とした関係の中で育ち、そして結局離婚した時に二人の間に生まれた姉を父が引き取って連れて来たという話だった。姉はその頃の話を一切しない。実母の顔も覚えているのかどうか定かではない。時を経た今、思い起こしてみれば私も彼女に実母に関わる疑問を尋ねた事なく今まで来たことに気づいた。かろうじて耳にしたエピソードとして、姉が小学生だった頃に近所のお節介な女が(半ば興味本位で)姉に実母に会わせてやろうとしたことがあったらしいが、姉は怒って「私のお母さんは一緒に暮らしている人だ」と言って後妻に入った継母(これが私の母なのだが)を最期まで実の母として見ていた。

父親に連れて来られた姉は、子どもの頃から苦労の連続だった。上の姉は母を亡くした子供として可愛がられても居たが、次女の方は母と生き別れの上に初めの頃はすねた処もあって、祖母・長女・父の三人家族の中で馴染みにくかったようだ。
小学生の頃から家事を手伝ったり近所の大人たちに混じって生活していたから長女よりも自立心の強い子供時代を送ったように思う。そんなどこか孤独な心境だったから、父が後妻を迎えて弟になる私が生まれた事を一番喜んでいたのは彼女だったかも知れない。小さい頃からよく遊んだし、両親が共働きで留守がちだったので身の回りの世話を焼いてくれてある意味では私にとって母親代わりだったと言える。

ゆかり写真.jpg

彼女が社会人になって初めて就いた仕事は看護婦だったが、手術に立ち会って貧血を起こした事が原因でやめてしまった。その後、最終的に会計事務所に勤めて寿退社するのだが、それまでの姉は決して恵まれていたとは思えない。それでも貯金をしてためたお金を家を建てる時の元金に提供したりして親孝行な娘だったと思うが、何故か父親には上の姉以上には可愛がられなかった。派手な生き様の“ひまわり”の様だった長女に比べて彼女の青春は地味な下積みで育った“月見草”だった様に思える。
人の一生は不可解なもので、それ以上に運命というものは不思議なものである。自由で恵まれた青春をおくった上の姉が結婚後は悩み多い生活が続いたのとは対照的に、下の姉は経済的にも精神的にも幸せな結婚生活に恵まれた。どちらの人生が良いかとは簡単に決められないが、若い頃の不遇の時代が多かった事を身近で見て知っている私は、彼女が幸せになってくれたことが安心でもあり嬉しかった。

七十歳も中頃になって、体の痛みでは以前から悩まされていたが最近アルツハイマー兆候が出てきて家族に負担を掛けると困っていた。夫唱婦随で歳を取っても二人でよく外出していたのが出来なくなって残念がっている。

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