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[覚書]我思う故に我在り/2018 [【アーカイブ】]

◆最初はただ何となく作品づくりのモチベーションを高めるための思考メモとして始めたこのブログも年を重ねるとちょっとした回顧録にもなり…そして書き綴っている内に新しく取り組むテーマを発見するワークブックになったりもする。
◆これまでの思いつきメモの2018年一年間の中からいくつかの雑記をピックアップしてみた。自分自身の“今”を、思考の流れを辿って俯瞰してみるのも何かの発見になるような気がする。

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往く川の流れは絶えずして かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし
徒然なるままにカメラに向かいて そこはかとなく何をか写し出さんとや
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郷愁の中に見る風景は 夢か現(うつつ) か幻か…
輪郭のぼやけた世の中は もはや混然の墨絵の様だ
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「現在」は「過去」の延長線上に在る。今では見ることも無くなった風景の中に、生き続ける何かを発見することがある。
<平成30年1月>

往く川の流れは絶えずして かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし
徒然なるままにカメラに向かいて そこはかとなく何をか写し出さんとや
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古いガラクタ入れの箱から未整理の褪せた写真が出て来た。50年近くも昔の執り止めのないものばかりだったが、その殆どがハーフサイズの写真で、そこには個人的な自分史として焼きついている時代の空気が流れていた。
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 ▲後楽園遊園地/昭和43年頃
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 ▲羽田空港/昭和43年頃
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 ▲NHK放送センター/昭和43年頃
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 ▲ 横浜港桟橋/昭和46年頃
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その昔、私が小学生の頃ハーフサイズのカメラが流行した。当時カメラは高級な嗜好品で写真が趣味という人も今ほど多くはなかった。一般的には撮影したフィルムを現像所(D.T.P.)に渡してプリントしてもらうのだが、そこそこのコストが掛かるものなので無駄な撮影はしないように心掛けていたものだった。(自宅で現像・紙焼きする暗室を持つ様な趣味の人は少なかった)
そこで登場したのが件のハーフサイズ・カメラという訳だ。フィルム半分のスペースに被写体が収まる仕組みなので撮影できる枚数は二倍になり、フィルム代や現像料は約半額にカットされて経済的。一眼レフカメラが20万円もした時代だったから、ハーフサイズでコンパクトなカメラは庶民に受け入れられて大ヒットした。

 

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▲ 一世を風靡した「リコー・オートハーフ」
<平成30年3月>


 
【書き換えられてゆく思想】…そんなキーワ-ドが浮かんだ。
21世紀も18年目を迎えて(が過ぎて)新世紀の斬新さが褪せようとしている感じがする。
一例として挙げれば、今世紀に入って“テロリスト”という言葉がこれまでの20世紀とは違った概念で定着しているように思える。「同時多発テロ」という言葉で一般化して広く行き渡ったのは2001年9月11日の貿易センタービル事件だった様に思うが、それによってテロという言葉の意味合いと位置づけが決定的に変わったのではないだろうか。
ジョージH・W・ブッシュ大統領の時にフセイン政権のイラクが“悪の枢軸”と位置付けられたように、世界貿易センタービルのテロ行為がイスラム教徒による聖戦(ジハード)と同系列に息子のジョージ・W・ブッシュ大統領によって“世界の敵”として万民に刻み込まれた。
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私の中にある『テロ』という言葉は、例えば“暴力による世直し”に近い意味合いである。この言葉の意味合いが捉え方として正しいのか間違っているのか分からない。テロを容認する意味ではないけれど、テロ行為自体には単純に“悪意”として片付けられないものがある事を忘れないでおきたいと思う。勿論テロという暴力行為は決して許されるものではない。しかし『テロ』という言葉で括る事で問答無用の悪業行為と結論づける事には多くの危険性を孕んでいる事を忘れてはいけない。世の中の歪んだ正義感が冤罪を生んでいるのが現場を知る者の正直な感想なのだ。
明治維新、二度の世界大戦、朝鮮戦争といった国内外の動乱によって社会基盤は元よりそれまでの日本の思想的基軸は大いに揺さぶりを受けた。今生きている日本人の殆どは(勿論私自身も含めて)それ以前の価値観を実体験として知らない。プロパガンダで歪めて刷り込まれた「旧日本の時代遅れとなった忌まわしい習慣」ばかりが嘲笑されたりもする。必然性があって変化してきた価値観なのだろうが、私が重要と考えるのは「何故こうなったのか?」という因果関係の事実を知る事なのだ。決して過去が素晴らしいとか時代を戻すことを志望するのではなく、自分たちがどう生きてきたのかを検証する事が必要だという事なのだ。
何故なら私たちはいつの時代も「過去を自分の都合の良い様に書き換えて残す習性がある」ねつ造の歴史を生きているからなのだ。    <H30.06.01 記>
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   [追記:反権力に対して反社会的レッテルを貼る]

 

世の東西を問わず、権力というものは異議を唱える勢力を駆逐するために反社会のレッテルを貼って正義の名のもとに抹殺するという手段を取って来た。そしてその発想と手法は大きな政治問題や社会問題にとどまらず、現代では一般市民の暮らしの中にでも見られる様になって来た。乱暴な言い方をすれば“捏造と冤罪”はごく日常的な現象であり、それは煽情的な大衆の善意の鉄槌が行う愚かしくも悲しい習癖の結果でもある。
マジョリティに対して媚びと寄生で生きている者たちは結局マイノリティを貶める事でしか自己の安息を得られない。一見知性的で善良そうな人間が“身勝手な平和”を得ようとして凶暴な偽善を振りかざす原因はそんなところにあるのかも知れない。
<平成30年6月>

往く川の流れは絶えずして かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし
徒然なるままにカメラに向かいて そこはかとなく何をか写し出さんとや
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かつてプリントした写真を一枚ずつ貼り付けて保存する「アルバム」というものがあった。
現像やプリントに手間がかかりまだ貴重な品としてコストも掛かっていた写真を、有り難そうに丁寧に並べて保管しておく。そんな用途があったことを私たちは忘れている。
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いまでも「アルバム」という同じ名称は残されているがその本質は少し変わった様に思う。色褪せ始めた写真の集合を見ていると、そこには時間と空間に一体化した人々の連帯を垣間見る。

 

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<平成30年7月>
自分の身辺事情をストレートに告白するという意味合いで“カミングアウト”というようなタイトルをつけてみたが、これは俗に言う“赤裸々な懺悔録”という趣向のものではない。
自身のこれまの生き方を直截に判断しようとするとどうしても話が回顧的な内容でカビ臭くなってしまうというものだが、未来に向かって建設的でも前向きでもない告白をそろそろ終焉が見えかけてきた人生を総括するという意味で書き出している。
「私とは一体どういう人間なのだろう?」
学生だった頃に仲間と徹夜で語り合った、何だか青臭い哲学的自問のように聞こえるが今改めて頭に浮かび上がって来た。半世紀以上も生きて既に人生の黄昏時を迎えている私は改めて自分の生い立ちを確認するかのように郷愁に誘われる事が多くなったようだ。そんな自分の中に残っている自己形成の中核には様々な事件や体験によって織りなされているとも言える。人は生まれついてのDNAに影響を及ぼされる部分もあるけれど、生きてきた環境や状況そして人々との出会いによって自己形成されるものだ。幼児期の原体験として取り込んで来た様々な出来事や事件は潜在的な部分においても生涯生き続けている。
そして私自身に於いては負の体験として、その中に“権力に対する抵抗”というものが息づいている事を発見する。圧迫する力を“権力”というふうに捉えるには青年期を迎えるまで時間を必要とするが、自分より強い者に対して感覚的に拒絶する習性を持ち合わせていたようだ。
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幼児期を振り返ればそこに暴力と隣り合わせの生活があった。粗末な長屋を連ねた一角に祖母も含めて六人が暮らしていたが(長女の姉は私が物心ついた頃には女優志願で東京に出て行った)近所にヤクザくずれのチンピラが女房子供を囲って暮らしていた。背中に彫りモノがあるところをみるとどうやらかつては組員だったらしくその辺の事情を周囲の大人たちは知っているのか、必要以上に恐れている様にも見えた。
このチンピラおやじがどうも始末に負えず、特に我が家に因縁をつけて嫌がらせをしに来る。私の父はご近所との争いが嫌なので頭を下げて体良く治めようとするのだったが、その様子を見ている幼い私にはそれがとても屈辱的な姿に映っていたものだった。
そういった不条理の鬱積した感情が幼児期のトラウマとなって定着してしまう前に、私は克服するためのブレイクスルーをしたようだ。近所の子供たちを集めては色んな遊びを仕切ってリーダー的存在になっていた私は、私より一歳年上だったチンピラおやじの息子も部下の様に従えることで立場の不均衡を解消していたのだった。
考えてみれば矛盾しているようにも見える。権力を行使する“弱い者いじめ”が嫌いだったくせにその障害を解決するためにいつの間にか力を身に付けた立場になろうとしていた。
“ヤクザもの”が嫌いだった私はそれに負けないようになることが命題となっていた。そしてそれに打ち勝つために恐れを克服する必要もあると考えて、積極的に“圧力”に反抗して喧嘩を仕掛けていった時代や、逆にその世界と付き合うことで呑み込んでみようとした時代があった。考えてみれば怖かったのだろう怖かったからこそムキになって存在を意識していたのだろう。「嫌悪と恐怖は表裏一体である」ことを若くして学んだ私だった。
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時代は移り変わり、世間の価値観や評価も変化して、ヤクザの概念や意味合いも変わった様に思う。自分自身の中でも時代や歳に応じてヤクザを嫌悪したり崇拝したりと様々だったが、いずれの場合でもヤクザはそれ相当に説得力ある存在を誇示していたものだ。一般社会に進出してコワモテで庶民を牛耳る様なチンピラヤクザに身を落とすまでは、裏社会のわきまえを親分衆は意気を持って示していたものだ。
私的なヤクザ考察はいずれじっくり論じるとして、要するに私の生き方・価値観形成にヤクザなるものとの距離感が影響を及ぼしている事は間違いないと思っている。私の感性に影響を与えたものだからこそ良くも悪くも私にはその存在を無視したり馬鹿にする訳にはいかないのだ。極端な言い方をすれば、日本人の多くはその気質の中に“ヤクザなるもの”を抱えている様が本音の姿であり、現代人は少しずつその内容が変質しているように思えてならない。そしてその変容は私が時代に取り残されてゆく理由のひとつでもあるのだろう。
<平成30年9月>


自己の文化面を形成したルーツを辿れば、原風景として映画館と貸本屋が浮かび上がってくる。どちらも私の人生や性格形成に大いに影響を与えていると思える。映画館は地方都市において数少ない貴重な娯楽で、両親は幼い私を夜の9時過ぎから始まる「ナイトショー」と呼ばれる割安時間帯によく連れて行ってくれたものだ。年の離れた姉が大映映画の大部屋女優だった事もあり何かと芸能界には興味のある家庭環境だった。
そして情操教育を担ったもう一方として貸本屋の影響も大きかった。運良く近所に貸本屋が二軒もあって、学校から帰ると毎日のように小銭を握りしめて通った事を思い出す。小学校に行くようになってから親の買い与えてくれる漫画では飽き足らなくなって、自分で貸本屋に出掛けるようになりそこで見つけたのが普段目にする雑誌漫画とは異なった「劇画」という世界だった。
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現在でもコミックのレンタルはあるけれど時代の様相が違っていて、当時は乏しい娯楽の中の少ない選択肢のひとつとして、特に子供たちにとっては貴重な存在だった。そして子供が背伸びして大人の世界らしきものを覗き見る、妖しくもスリリングな場所でもあったようだ。
学校を終えて外から遊んで帰って来ると、テレビを見るか貸本屋に足を延ばすのが日課になっていた。馴染みの貸本屋には「少年クラブ」「冒険王」「ぼくら」といった一般的な月刊誌も置かれていたが、書店では見られない様なボール紙製ハードカバーの単行本が私のご贔屓だった。一世代前の赤本と呼ばれた祭りや夜店で路地に並べて売られていた粗末な漫画本から少し発展した程度の冊子だったが、それでも内容的には“輝く時代”を反映していたものだった。
今の私たち世代が(比較的に)根本的に世間に対して絶望視しないのは、子どもの頃に培った泥にまみれたバイタリティのような感性があるからかも知れないと思うようになった。その原風景として私は個人的過ぎるかも知れないが、妖しく危なげな環境との同居が大きな要素だった様に思える。貸本屋という独自の閉鎖空間で提供されるアウトロー的な文化は子ども達に必要な反骨と自立心を育む栄養素だった。
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カギっ子(両親が共稼ぎで家に帰ると鍵がかかっているのでそう呼ばれていた。「現代っ子」と並んで当時は流行語にもなっていた)だった私は、家に帰ると机に置かれた十円玉が3枚の小遣い30円を持って貸本屋に直行した。雑誌一冊が5円、単行本が10円で二冊くらい借りてくるのが通常だった。残りの小遣いは帰り道に駄菓子を買うためのもので、家に着くと菓子を食べながらテレビのチャンネルをひねる。お昼の3時~4時頃によく見ていたのは色っぽい三ツ矢歌子の出演していた新東宝の映画だったり、榎本健一「エノケンのとび助冒険旅行」伴淳三郎「名探偵アジャパー氏」といった喜劇だった。
テレビが終わるといよいよ借りてきた本をみるのだが、このテレビ映画を見た後に貸本劇画の世界にひたる至福の時間がたまらなく私の情操を豊かにしたようだ(笑)
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学校の図書館とは勿論まったく違う世界なのだが、児童書とは異なった妖しげな劇画の世界に触れる貸本屋というスペースに匹敵するものが今の子供たちの世界にはあるのだろうか?それはある意味で雑菌の入り混じった混沌の世界かも知れないが間違いなく現実に存在する“生きる命のある世界”なのだ。
かつての貸本とその時代を振り返った時、懐かしさと共に幼かった時代に享受した娯楽に照れながらも感謝してしまう。

<平成30年8月>


自身の生きてきた道程を検証する。それは時には大きな過ちを見い出す事もあり、時には辛い振り返りになるかも知れない。しかしその愚かさも含めて、自分というものを包み込み救い上げることが「自己を生き抜く」ということなのかも知れない。
思想の変遷をタイムスリップすることは、表層的なレトロ・ブームとは一線を画す“知の散策”と呼べるものだろう。

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 ▲ 旧ソ連大使館が発行していた広報誌「今日のソ連邦」

1917年レーニンのロシア革命によってソビエト連邦という共産主義国家はすでに誕生していたが、1945年の第二次世界大戦終結の際のヤルタ会談で世界の国境の線引きが改められて以来、ソ連は国内のイデオロギーを統一して守るために“鉄のカーテン”で警固した。世に言う冷戦時代の幕開けだ。ソ連は周辺諸国を次々に共産国化して勢力圏を広げようとするのだがそれを阻止しようとする英米主軸のNATOと常に緊張を保っていた。

戦前の日本は共産主義と言えば“赤狩り”に見られる様に反社会的レッテルをはられた思想犯のイメージが付きまとっていたが、戦後の'60~'70年代になるとベトナム戦争反対運動などによる反米思想も高まりそれに呼応して共産主義をタブー視する風潮も低くなった。しかし思想的な壁は無くなったものの、KGBといった秘密警察やスパイの暗躍するソ連に対しての評価は、'68年プラハに侵攻して国際的な批判を浴びた「チェコ事件」などもあってまだまだマイナスイメージが根強かったように思えた。
そしてオリンピックでは体操、バレーボール、重量挙げといった日本が当時得意としていた競技の多くはソ連の選手がライバルだった事もあってスポーツに於いては、同盟国アメリカのスター選手には応援して肩入れしていた事と比べると、ソ連に対しては常に敵対意識があったような気がしていた。しかしこれらも社会情勢や国際関係の変化によって人心も移り変わるという思想の変遷の一例なのだろう。

ロシアという国に対して日本人は体質的に共有する同種のメンタリティがある様に思える。ロシア民謡にみられる様なスラブ系の哀愁などはその代表的なものだろう。第二次大戦後日本人もそれまでの教育や思想が大きく変わっていったが、その典型的なもののひとつにロシア人やアラブ人に対する親近感の減退がある様な気がして、それは何故、何処から来るものなのだろうかと考える事がある。
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<平成30年10月>


 私の伏せておきたい体験の中に“洗脳体験”と言うべきものがある。但し、洗脳体験と言ってもそれは私の受け取り方であり表現であって、決して全面的に悪しきものという意味では無いことを断っておく。自己開発やマインドコントロールという手法も言葉を言換えればある種の洗脳といえる訳でそういった意味でのメソッドの一種と捉え直して考えたい。
 私が後に洗脳体験として自覚したのは、ある自己開発セミナーを受講した経験からであった。アメリカからやって来たというそのセミナーは後にマスコミに取り上げられて物議をかもした事もあったようだが、友人から紹介されてオリエンテーションに参加した時は少しの胡散臭さはあったものの、そんな否定的な雰囲気は感じなかった。スマートなアイスブレイクとちょっとしたトリックのクイズ形式ゲームで気を惹かれてセミナーに対する好奇心が高まり気がつけば参加申込書にサインしていた。とても上手な勧誘方法だった。
 このセミナーに関してはしばらくの間まで効果の様なものを感じながらその影響が持続していたように思える。バブル期だった事もあって費用の高額だった点や受講者の勧誘がネズミ講的だった点を除けば、能力開発に関わるいくつかの応用できる手法でもあって有益な点もあった事は間違いないと思うが(昨今の自己啓発講座やファシリテーター養成講座などにもその要素が少なからず反映されているように見られる)それにしても思考を自己改造に沿った価値観に書き換え、誘発する部分には洗脳の要素がある事も認めざるを得ない。洗脳とは実に巧妙に出来ているものなのである。
 しかしこういった場に於いて行われる一種の教育を“洗脳”と称するなら、極論すれば私たちは既に子どもの頃から帰属する社会の洗脳によって育てられた部分が少なからずあるというふうに考えられる。人も成長して自立できる歳になれば、社会からも独立して自分のものの考え方も懐疑してみる事が本当は必要なのかも知れない。自分を壊して裸一貫から組み立てられる、それの出来る人が“賢者”となる要素を持っている様に思う。
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<平成30年12月>


 

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