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人間力について考える [随想随筆]

あらかじめ説明しておきますが、これは愚痴や文句でもなければ誰かを否定したり反論したりするものでもありません。現代の人間とその人間たちが作り出している社会現象を洞察して私が感じている「時代人の有り様」です。
昔は良かったとか時代は悪くなっているとか時代を比較したり回顧賛美するのではなく、現象としての変化を読み取りこれから必要とされる生き方を考察するものです。世界の流れと云うものは “いつの時代が正しくて、いつの時代が間違っていた”とか言えるものではありません。常に最善と思われる選択をしながら進んでいると考えます。そしてまた、時代が進めば物事は必ずしも進歩しているとは考えません。全てにおいて過去よりも現代の方が優っているとは思わないし、現代が特別に退化しているとも考えていないのです。
私の考えはこの一点、「時代は偶然と必然の掛け合わせで、常に最善の選択で進んでいる」

前置きが長くなりましたが、今私が問い始めているのは「人間力の概念」です。何故ならここ近年の我が国では人間が質的に低下した様な感じがするからです。しかし実際には低下した訳ではありません。先にも言いましたように、時代の変化に進化も退化もないからです。基本となるベース(基軸)が変わったのでそれに伴ってそこに立つ諸々の価値観が変化したのです。
科学の進歩や技術の進化は間違いないですが、表層的に起こっている社会の出来事を過去と比較すると向上しているとは言えない様に思えます。世の中の便利さや快適さが進んだのは確かですがその事が様々な事件や問題を引き起こしている部分もあったりします。トータルにみて良くなったのか悪くなったのかは見る人の観点によって違ってきます。つまりどんな進歩や改革であっても功罪混じりてそれを意見するのは個人的感情でしかないという事です。
人間が悪くなったとか、世の中が堕落したとか、将来はもっと悲惨になるといった「一点観測の総括論」は正しいものの見方ではなくて、今の社会で忘れられていて今後もっと大切になって来る課題は「人間力」についての考察ではないかと思うのです。

 
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私の考えを端的に言ってしまえば「人間力」というのはヒトが生きてゆく上で必要な “本質的要素”と位置付けています。そしてそこには人間特有の知恵や生命力などが含まれていて、それによって “人として逞しく生きてゆく要素”を表わしていると考えます。
国家とか社会とかの概念を持ち込んで運営している人間世界。そういったもので縛らない限り人間と云うものは暴発してしまうのでしょうか、いわゆる “十戒の様な”戒めを持つことで安定した状態を保とうと考えます。しかしそれはあくまでも他力に頼った考え方で、自己の確立から離れてゆくばかりです。本来の理想を言えば、個々人が他人を侵さず自己完結で生きることが平和と安定への道なのですが…そう簡単ではありません。この自己完結に導く力が「人間力」だと思うのです。
人は決して一人で生きてゆけるものではありません。しかし社会的に繋がって互いに利用し合う生き方も本来的なものではないように思えます。助け合いとか協力団体とかいう形容をされますが、それは誰が仕切っているのでしょう?自主的のように見えて実はそうでも無いのが実態ですね。一人一人がバラバラになれと言っているように聞こえますが、その様な誤解こそ “分かっていない”構造の始まりなのです。人が美しい言葉に弱いのは遥か昔からの習性ですね。

「人間力」とは “あるがままの自分をコントロールする力”とでも言いましょうか、精神と肉体のバランスをコントロールしながら人間である事に信頼を置いて生きる力なんです。仮に危機的状況に置かれたら、その危機的状況の中でバランスを保ちながら生き切ることこそが「人間力」を発揮するときの様に思います。

<人間力についてはいずれまた改めて…to be continued> 

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