[覚書]我思う故に我在り/2015 [【アーカイブ】]
◆最初はただ何となく作品づくりのモチベーションを高めるための思考メモとして始めたこのブログも年を重ねるとちょっとした回顧録にもなり…そして書き綴っている内に新しく取り組むテーマを発見するワークブックになったりもする。
◆これまでの思いつきメモの2015年一年間の中からいくつかの雑記をピックアップしてみた。自分自身の“今”を、思考の流れを辿って俯瞰してみるのも何かの発見になるような気がする。
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愛猫の行動を眺めていてふと気になった。
昼間はものぐさのように眠っているのだが、夜行性のせいもあり夜になると目を輝かせて外に出てゆく。
一体どこへ何しに行くのだろうか?
それこそアニメ『猫の恩返し』のように、どこかに猫だけで井戸端会議をするコミュニティ世界があるのだろうか?
猫の次元を訪問して一度探索してみたい。
だって私も子どもの頃から夜行性で、狭い路地裏が大好きな人種ですから。
猫は基本的に社交が嫌い。定期的に集まって互いの近況を確認し合ったりもするけれど、飽くまでも自分の肉体的健康や身分的存在確認の為であって、決して人間のように社会的集団を求めている訳ではないようです。
基本的に猫は「無頼」なんです。だからそこが私の気を引くところ。
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「猫が無頼だなんて誤解だよ。餌を欲しがったり、ねこじゃらしで遊び相手を求めたりするじゃないか」と言う声が聞こえてきそうですが、それでも猫は“無頼”なんです。決して人に期待はしていません。
野良犬と飼い犬では明らかに人間に対する姿勢が違うように思えますが、野良猫と飼い猫は一見違うように見えていて実は同じスタンスを維持しているように思えます。
愛猫を観察していると、我が家に入り込もうとする野良猫を威嚇して自分のテリトリーを固持しようとはするのだが、夜になると住み家を離れて何処か探索に足を運んでいる様子なのです。
犬は人に付き、猫は家に付くと言われますが、愛猫にとっても我が家は単なる餌の得られる生活の基地以外の何ものでもなく、その心は自尊心の高い“猫ポリシー”をヤサグレの野良猫たちと共有しているように思えます。
今は空洞化してシャッターが閉まったままの商店街をまったりと歩く姿。
滅亡したローマ帝国の廃墟にたむろする猫たちにも共通する、ものの哀れを感受する様は決して犬たちには真似のできない猫の精神性の深さのように思えます。
独居老人宅の門前に誰に断ることも無く禅僧のように黙然と暮らす様は、もはや無頼以外の何ものでもありません。
もともと昔から路地裏というシチュエーションが好きだった私は、そこに猫を発見すると何だか心まで通じ合えるような気になってしまいます。
【ねこ路地=necology:猫の生態学の意味】 by 扶侶夢
<2015年1月・記>
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様々な視点から、「還暦」という節目には大切な意味が含まれているように見える。
12年のサイクルを5周回して60歳にたどり着いたところで、ひとつの人生に区切りを打つ。何とも綺麗な節目のように思える。
人も60年も生きていれば、そろそろこの世の真髄を悟り始める頃で、もうこれ以上のものは無い事も分かってくる頃なのだろう。
生まれたばかりの頃は全てが新鮮で好奇に満ちているが、社会という枠の中で生きている内に人間の宿命のようなものに束縛されている事を発見してしまう。
若い頃は未来に多くの可能性を感じて胸躍らせて日々を生きたりもするが、ここまで来るとそれらの殆どが幻想であることを悟り、改めた世界観に目を向けるようになる。
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数々の人生経験を積み重ね還暦を経た人の、これからの指針はどこに向かっているのだろうか?
何のために、誰のために、何を達成しようとしているのだろうか?
総括には早すぎる熟年世代とは違って、老熟を向かえた還暦世代は様々な反省を基に自身にとっての未来を再スタートさせるべき世代だと思っている。
マスコミなどで語られている「元気な世代」として捉える事には疑問がある。何となく全体的政策的な意図を感じてしまって…。
それよりも私は還暦の意味を理解してその先の生き方を模索する、そんな実験的な人生を探究出来る世代として捉えてみたい。
元気な若い時代は真の意味で“探究”などという事は出来ない。
実験は出来るかも知れないが、世の流れに逆らって、世の中の価値観からズレた生き方を試みる者は少なく、
仮に試みたとしても殆どの場合そこに良い結果は待っていなくて、マイノリティの存在を実感する結果にとどまる。
ある意味で現役の社会からリタイアをしたという事は社会通念に縛られずそれらを超えたところに棲み処を構えられる世代になったという意味でもある。
生まれてきた赤子のように固定観念や偏見を知らず、社会性というリスクも軽くして自身の憧れに率直に生きる。そんな「生命の喜び」のような生き方を模索してみる最後の機会かも知れない。
<2015年2月・記>
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還暦というのは人としてひとつの時代を生き切って、次の異次元に向かう一種の扉のようなものではないのだろうか?…と、そんなふうに考えてみた。
私の中の世界観(宇宙観)では、存在する生命エネルギーは離合集散バランスの変動はあるが全体量としては常に一定で変わらないという感じで捉えている。
例えば人の肉体に魂が宿り人間社会を生きてゆく訳だが、死を迎えて肉体が滅して魂がエネルギー分解されたとしても、“まったくの無”に帰するわけではないと思っているからだ。
人生の終焉を意識し始めて、初めてこの世に生を受けた事の重みを感じることとなった。
私が個人的な経験を通して辿りついたまったく個人的な見解であり、決して唯一絶対的な真実であるなどとは言わないが…しかし私は私個人の胸の中で断言する。
「私の魂は私の死によって終わるものではない。」
「私という存在は無くなるけれど、死とは魂が私個人の所有から解放される事なのだ。」
還暦とは“開眼の機会だ”というふうに理解できるようになった。
人は生まれてから、ほとんど不本意な生き方を強いられて生きる。
様々なしがらみもあれば、不遇な環境に生まれる事もある。
人の一生というものがそういった宿命を含んでいるのだろう。
しかし世間から一歩距離を置いて生きる“隠居生活”に入れば、そういった諸々の拘束から解放された視点を持つことが可能になってくる。
出家という形式をとらなくても、己が囚われている社会通念の枠を取り外すことで魂の解放は出来る。
還暦とは社会通念から一歩退いて、大局的に自己を眺める良い機会、人生における唯一生き直しの機会なのだと思う。
この時期に目を覚まさなければ、人生を知らずして自己を終わることになる。
偶然と必然のコラボレーション。それが人生ではないだろうか。
…そういった諸々の事柄も、頭脳だけでなく身をもって全霊で自覚出来るようになった。
頭脳を超えた理解と把握、これも一旦人生を締めくくり「還暦」を経た境遇だからこそ得られる感覚のように思える。
自分の能力や意志で物事が叶う訳ではない。
学ぶ事は必要かも知れないが、努力に比例して能力が得られる訳でもない。
自分の存在を無視して無関係に起こる様々な偶然を受け入れる覚悟がなければ
“偶然と必然の綴れ織り”のような人生模様を描くことは出来ない。
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…そういった諸々の悟りは、これからを生きてゆこうとしている青年たちにとっては無用であり、時として有害でさえある。
私は未来に希望を託して未開の領域を開こうと考える人たちに、年寄りの訳知り顔で道を諭す事は間違っていると思っている。
還暦を経た者の覚醒は、それより先の人生を生きることに於いてのみ有効な悟りなのである。
剣豪・宮本武蔵は60歳を過ぎてから思い立ち、九州・熊本の霊厳洞に入って「五輪書」を執筆したという。
私も宮本武蔵に倣って、人生から学んだ個人史として「還暦・五輪の書」でも記してみたいと思っている。
<2015年6月・記>
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セピア色した暖かな記憶が 僕の中には眠っている
目くるめく日常の中で 引き出しの奥にうずくまっているけれど
もしかしたら それはとても大切な思い出なのかも知れない
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僕がヒトになった頃 当然のように傍にはネコがいた
名前は「ミーコ」 僕が親兄弟の名前よりも先に口にした名かも知れない
寝起きを共にする仲良しだったくせに
時々イタズラで火鉢に突き落としてみたりする 僕は迷惑な家族だったようだ
そんなミーコも13年間生きて ピカピカの新居に引っ越した年に亡くなってしまった
友だちも居なくなった新しい環境が たぶん暮らしにくかったのだろうね
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その後も 何匹もの猫たちが出たり入ったり たくさんのメッセージを届けてくれた
そして僕は若者になって 大人になって 初老の扉の前に立ち
ようやく 一冊の大切な絵本を見つけることが出来た
それは たくさんの猫たちが僕に届けてくれた生命
ひっそりと納屋の奥に仕舞い込まれていた 『猫の描いた絵本』だった。
<2015年7月・記>
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私の原風景とシンクロする部分がここに在るのかも知れない。
幼児期を過ごした様々な体験はいつしかノスタルジックな幻想となって、しかし時には現実と見間違えるほど現在のリアルな情景となって私の前に現われる。
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茂田井武という画家…というよりも表現者と呼んだ方がピッタリとくる。
また一人、画業人生を生き切った、こんなスゴイ絵描きが居たことを知って軽い衝撃と嬉しさが込み上げて来た。
未来に対する希望と、それを推進させる勇気みたいなものが込み上げてくる喜び。
ある意味でシャガールにも共通するような、幻想の中にどっぷりと浸かり切ってしまうアッパレ(天晴れ)な勇気を見て不覚にも私は涙ぐんでしまった。
彼の画集に添えられた紹介文の一節。
“私の描きたい絵は印象のレンズを通して焼きつけられた、脳中の印画というべきもので、記憶にひっかかって抜けないもの、過去の印象の鮮やかなものたちである。幼少時に描きためた絵は大震災で、ヨーロッパや中国で描いた画帳やスケッチは戦災で焼失したが、私の脳中の印画は年と共に濃度を増して、思い出の映像は「その時そのままの不死の姿」に近いものになってきた。”
幼い頃に抱えていた人生に対する期待感や愛情を“幻想”と呼ぶのならそうしよう。
時にはそれを求め、それを信じて生きていた人生を私は決して嘲笑はしない。
そこに命を吹き込む事こそが、人生の総括に近づいた者たちの“勇気ある生き様”のように思う。
そんな意思表示を作品を通して表現したいと願う日々である。
我が幻想への回帰。
<2015年10月・記>
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夢中になって作品に取り組めた20代の頃の私。
若さとは素晴らしいですね。愚かさも含めて無心になれていた気がします。
その頃に誕生した「ガンバロー号」はご用済みになって、長い間倉庫に眠っていました。
垢と埃にまみれながら、欲望と打算の世界をくぐり抜けて来て
気がついてみれば五回も周回を重ねた還暦になっていました。
昔の勢いも無いくせに、純粋ささえも失って
鈍い輪郭の人生を抱えて、これから何処に向かおうか…。
そんな時に古びた倉庫で再会したのが、寂れ掛けたあの「ガンンバロー号」の姿でした。
錆びついた機体にもまだ少しは輝きが残っています。
早速に手入れをして操縦席に磨きを掛けるとウキウキした気分が蘇ってきます。
何だか、あの頃の憧れをもう一度確かめる旅に出られそうな気がしてきました。
もう今度は多少は利口になって、つまらない間違いは起こさなそうだ。
ガンバロー号から還暦号へ乗り物は変わっても
憧れにときめく冒険心は変わりません。
たくさんの過ちと挫折を繰り返してきた人生を越えて
もう一度純粋に生きてみる決意…
それが還暦号の設計コンセプトなんですね。
そうやって考えると、まだまだ他にも設計デザインのアイデアが浮かんできます。
もうこの歳になったら、出発はあせらないで
じっくりとお供にふさわしい乗り物を選ぶことにしましょうか。
↑ [還暦号のアイデア・スケッチ]
<2015年11月・記>
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私の人生はゆで卵の中で息づいている。
それをサーカスのようなものだと言う人もいる。
本当のところは誰も知らない。
それでいいのだ…そんなものだ。
次元の扉は螺旋階段の踊り場に 蛇腹の様子で開いている。
或る日唐突に現われて 進んでみれば時空のラウンジに辿り着く。
特別なことは何も起こらない。
それでいいのだ…そんなものだ。
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知恵は次元の扉を、恐る恐る且つ慎重に開いてゆくものだ。
慌ててはいけない。性急なものは大体が間違っている。
駒廻しの曲芸も明日になれば達磨落とし。
歴史輪廻の変わり目は次元の扉の九十九折。
それでいいのだ…そんなものだ。
良い年が訪れますように…<平成27年・歳末>
<2015年12月・記>
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