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'72年5月、アムステルダムの裏側 [青年は荒野をめざした/番外編]

 

ヨーロッパの国々をヒッチハイク放浪の旅を続けていたが、オランダの国際都市アムステルダムは気に入った街のひとつだった。
差別のない自由な空気が流れていて物価も安く、私のような流れ者や異邦人にとって住み心地の良さは抜群だった。

駅モノクロ.jpg

 ▲アムステルダム中央駅

かつては国際貿易都市だったという歴史もあって、交易の門戸を開いた自由な空気が漂っている。
ロンドンの下町でもよく目にしたが、アムステルダムでもインドカレーの店や中華飯店が多く目についた。
何かと暮らしやすい街でユースホステルも長期滞在が許されていたので気がついたら一ヵ月近くも滞在していた。
別にこれと言ってすることもなく街中をブラブラ歩いたり、たまに市外に出てロッテルダムのチューリップ公園を眺めたりの毎日だったがまったく飽きることがなかった。

オランダ写真.jpg 

チューリップや風車で有名なオランダと言えば、のどかで平和な田園風景を思い浮かべるようだが、そういったメルヘンチックな面もある半面、首都アムステルダムには怪しげな無法地帯が存在していた。
街中に運河が流れていてそこに船上生活する人も多い。昼間はのどかな情緒ある風景で、日本では「倉敷」や「小樽」によく例えられていたが、夕闇せまる頃になると川面には赤い灯青い灯の艶めかしく妖しげな風情に変わる。

アムステルダムの「飾り窓」は、ドイツ・ハンブルグの「レパーバーン」に並ぶヨーロッパ屈指の風俗エリアだった。
'70年代当時の日本では、戦後の赤線はすでに廃止され売春業は違法として取り締まられていたが、風俗業という概念やソープランドという言葉はまだ無くて「売春」や「トルコ風呂」という呼び名が通称だった時代だ。
ヨーロッパ旅行のガイドブックには北欧スウェーデンのフリーセックスと並んで、オランダの飾り窓が男性の旅の楽しみスポットとして紹介されていた。

かつては国際的な交易都市だったこともあって、多彩な人種による多国籍都市である側面に気づく。
そう言えばアメリカ合衆国・ニューヨークの前身は「ニューアムステルダム」という地名で十六世紀に入植したオランダ人によって名付けられたものらしく、イギリスが七つの海を支配する以前はオランダが世界の自由貿易の盟主国でもあった事を思い出す。
この街の自由な活気と無法地帯のいかがわしさは、そういったところから来るのだろう。

アムステルダム.jpg

一ヵ月も暮らしていると表側からは計り知れない街の裏の顔が見えてくる。
ユースホステルや簡易ホテルを転々としながら暮らしていると、時々怪しげな日本人に出会う事があった。
その男性は当時流行していたヒッピー風の長髪に黒のダークスーツといういで立ちでアタッシュケースを大事そうに持っていた。よく見ればケースは手錠のようなもので手首にしっかりと繋がれていた。
只ならぬ雰囲気なので周りの者からは興味の対象になっていたが、本人はいたってクールにビジネスマンを装っていた。

後に東京・青山や原宿など日本国内でも流行った「針金細工」があった。ヒッピー風のスタイルで路上にタペストリーを敷いて腰を下ろし、針金で作ったネックレスやブレスレッドなどを並べて売る商売がアメリカ西海岸のヒッピーからヨーロッパに流行して当時ヨーロッパの街々ではよく見受けられた。
その日本人もこの商売でひと山当てたらしく、各国を飛び回りながらヨーロッパ中の「針金細工売り」の元締めみたいな事をやってるらしかった。
こういった日本の若者たちの一部が海外でビジネスのネットワークを形成して、後に日本に逆輸入するという商売はよくあった。中にはヤクザ組織の舎弟が頭の言い付けで海外拠点づくりに来ているというケースもあって驚かされたものだった。

アムステルダムは小さな都市だが、ウイーンと並んで国際的な犯罪組織が蠢(うごめ)いている街だという事は日本ではあまり知られていなかった。
例えば、私が訪れる数週間前に日本の商社マンの死体が運河に浮かぶという事件があって大使館で日本の新聞を調べてみたが全く記事になっていなかった。
こんな事は日常茶飯事で当時は現在のように伝わる情報量が乏しかった事もあり、海外から見ると日本国内で発表されているニュースが全く違っている事もよくあった。

運河の街.jpg
 ▲一見のどかな風情の街なのだが… 

私がこのアムステルダムで遭遇した最大の事件はまるでアヘン窟のような“麻薬の巣”に足を踏み入れてしまった事だった。
最近はタイ、フィリピンといった東南アジア諸国に多くなっているが、40年も昔にはヤクザ組織から多くの組員がヨーロッパに出張に来ていて仕事は殆ど架空商社を通した薬物(ヤクブツ)の密輸。
そしてヤクザではなくても長期滞在の邦人ゴロツキが親しげに近づいてきて日本人旅行者をカモにするという事件も多くて注意が必要とは聞いていた。

ある日ユースで知り合った日本人旅行者・男女3人と街を散歩していたら、ここに住んでいるという長髪に髭面の日本人2人が近づいてきた。
私は海外に出て一年以上が過ぎた頃で物珍しさも少なくなっていた頃だったが、まだ日本を出てから日の浅かった女性たちはここに暮らしているという邦人の若者にすっかり興味を覚えてしまって、その晩開かれるという仲間たちのパーティに招かれる事となった。

夕食を済ませてすっかり夕闇に包まれた頃、アムス在住日本人のアパートに出掛けた。
入り口の扉を開けると昼間出会った男が現われて、細長い階段を後について上ってゆくように連れられて行った。
ドアを開けて言われるままに部屋の中に入ると、そこは薄暗くマリファナ・パーティ真っ最中のような怪しげな雰囲気で、女性二人を同伴の私は何となく危険な匂いを感じた。
同伴のもう一人の男性もまだ日本を発って日が浅く、海外の不良邦人の実態が掴めずピンと来ない様子だったので、この場は私が上手くやり過ごすしかなかった。

好奇心で来てしまった彼らのパーティをただの冷やかしで済まされる雰囲気ではなかったので、つかの間の交流をして切りを付ける事にした。
同伴の三人はせっかくの海外で何でも体験してみたいという事でほんのひと口だけマリファナを吸ったようだったが、私はほどほどで止めるように促して代わりに私が対応していた。
もう充分だという事にしてこの場を去りたかったのでタイミングを考えていたら、グリープのリーダーらしい輩からアヘンを勧められてしまった。
私はハイカー仲間から“LSDやアヘンは麻薬”と聞いていたので危ないと思いながらも、少しだけ好奇心もあって舌先で舐めてみたら、一瞬にして舌先から電気が走るような感覚でしびれた。
免疫力には自信があって平気だった私もさすがにこの時は度を越した危険を感じて、心底から「もう充分なのでこれで御いとまする」という言葉が出たものだった。

通りすがりで約一ヵ月ほど暮らしたオランダ・アムステルダムの街が、私にとって貴重な(?)唯一のドラッグ体験の地となったのだった。
(注※この以前にスペイン・マドリッドでペンション滞在の時にハシシを体験した事がありましたが、これはドラッグの範疇には入っていません)

 


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