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06/日本人社会 in ヘルシンキ [青年は荒野をめざした/北欧編]

働きながら人々と街の暮らしを共有していると、少しばかりその土地の人間になったような気にもなる。
オリンピックスタジアムの大通り沿いにある洒落たカフェテリアは、周りを池に囲まれてまるで浮島のように水面に浮かんでいた。

少し離れたところに岩盤で覆われたテンペリアウキオ教会があり、大通りを歩くと作曲家シベリウスの像のあるフィンランディアホールに出遭う。
この辺りは、当時は若いカップルの格好のデートスポットだった。

池に浮かぶカフェテリアで待ち合わせをして街の中心の繁華街に向かう。
ストックマンの百貨店辺りに来ると石段に腰を下ろすカップルたちの群れ。
冬が去って春の芽が吹き出す頃になると屋外でも人目を憚らず恋のシンフォニーが鳴り響く。
青春真っ只中だった私もヘルシンキの住人として街の生活を満喫していた。

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その土地に住み、暮らしぶりがその街の住民らしくなってくると、逆に今まで気にもしなかった同胞たちの評判が少しばかり気になって来る。
かつてスウェーデンを旅していた時、日本人のヒッチハイカーが王宮の堀に棲息する白鳥を食べたと新聞記事になり問題になったのを聞いた事があった。
当時はまだまだ日本人も海外でのマナーの悪さが目立って(近年“爆買い”で話題の某国人観光客の様に)現地でまともに暮らしている同胞たちは恥ずかしい思いをする事が多く、私もそれは実感していた。

日本人に限らず、何処の国民も海外では同胞たちが群れを成したがるものだが、ヘルシンキには当時コミュニティ…と言えば聞こえが良いが、日本人集団で形成された縄張りのようなグループがあった。
現地の若い娘のグルーピーを従えて街を闊歩する姿は日常で、夜になるとディスコでシートの一角を占領していた。

ヨーロッパを無銭旅行している若者の中からは先輩風を吹かしてボス気取りの輩も現れてくる。経験の深い者が情報を提供・指導する、といったそんな殊勝なことではなく、単に親分風を吹かしたいだけなのだ。
新参者と古参の階層格差が自然発生してくる国民性なのか、日本人のみならずアメリカの若者にもそういった側面はあるように思えたが…とにかく国外に来てまで、いや国外だからこそそういった傾向が顕著化するのかも知れない。

ヘルシンキのナイトライフ、別名“日本人の社交場”だったディスコ「モンディ」では日本人社会の典型的なタテ型序列社会が繰り広げられていた。
店の奥中央のVIP席を陣取る髭面で怪しげな風貌の男は、この街に6年ほど棲んでいる年長者らしく両脇に18、9のヘルシンキっ娘を従えて大股開きで座っている。
その彼を取り巻くかのように、左右のシートにぞろぞろっと金魚の糞よろしく在住歴の長さを笠に着た面々が我がもの顔で並んでいた。
現地のフィンランド人の目にはどの様に映っていたのか知らないが(案外、日本の文化スタイルの一種として美的様式に捉えていたりもする(苦笑))日本人の私たちにはヤクザ映画や時代劇で見慣れた風景なので特に違和感は無く「ここでもこんな事をやってるのか…」くらいにしか感じなかった。

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 ▲ヘルシンキ中央駅(左)と白亜の大聖堂(中央)

ヘルシンキで仕事に就いて暮らすことになった放浪経験の浅い新参者たちは、先輩たちの言い伝えからまずは牢名主ならぬ“ディスコ名主 詣で”に足を運ぶことになる。(←滑稽な表現で自分でも笑ってしまいますが)
私は徒党を組むことが嫌いだったので結局最後まで連中と接することはなかったが、語り合ったり踊り明かしたり社交場としてのディスコは楽しかったのでよく通ったものだった。時にはガールフレンドの取り合いで邦人同士の喧嘩沙汰を目にする事はあったが、当時のヘルシンキでは縄張り争いのような抗争はなく地元住民のフィンランド人を巻き込むようなトラブルも無かった事は幸いだった。

(※尚、ここに登場する日本人グループとは、アルバイトで食いつないだりヒモ生活をしてこの街に居座っている輩のことであり、正当な手続きとルートによって在住している多くの留学生や学芸員、商社マンたちとは一線を画している事を誤解のないよう名誉のために追記しておきます。)

 


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