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05/零下20度の快適生活 [青年は荒野をめざした/北欧編]

夏の終わり頃から働き始めていつの間にか雪に埋もれたクリスマスの近づく季節になっていた。
ホテルでのアルバイトは快適な職場環境で給料も良かったので満足に過ごしていた。

下宿は2人の日本人との同居暮らしでやや窮屈だったが、ひとつの部屋をパーティションで仕切って住んでいた。
当時の海外での日本人アルバイター事情は、数人での同居(今で言うシェアリングですね)が多かった。現在の日本に於ける外国人労働者たちの暮らしぶりを見ているとよく理解出来る。

このアパートはここ数年は日本人たちが入ったり出たりして、ヘルシンキで働く日本人アルバイターたちによって受け継がれているらしい。
大家さんもまた日本人に好意的な女性で、巷ではローソク作りで定評のある職人デザイナーらしかった。
そう言えば同フロアにある共同炊事場の一角で作業をしていたらしく、いつもカラフルなローソクの試作品で埋まっていたのを思い出した。

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北欧での冬の生活は思ったより厳しくはなく、インフラがそれなりに整っているためか日常を快適に過ごせる環境になっていた。
基本的に国民の経済的格差は少ない社会だが、どんなに低い所得層でもセントラルヒーティング完備で衣食住には困らない一定水準の快適生活を送れるようになっていて、福祉国家の政策とはこういうものだ、という現実を見たような気がした。

国の政策によるサービスも国民として当然受けるべき権利として受けている感じで、物乞いのような感覚は一切ない。政治家を「先生」と呼ぶ某国とは行政のスタンスが全く違っているのだろう。
(ちなみに、フィンランドで最も尊敬される職業は教職らしく、まさに学校の教師こそ「先生」と呼ばれるにふさわしい職業と認められている)

ヘルシンキでの真冬の生活が思ったより快適な訳のもうひとつは、空気がカラッとしていて湿度が低く軽快であることと都会の除雪作業がさすがに手馴れていて、交通機関や流通などに全く支障をきたさない事だろう。
街で車の衝突も見たことが無かったし、滑って転んでいる人も見る事が無かった。
街路が凍結しているのも見る事は無かったのはやはり湿度の低さのせいなのだろうか。
 

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 ▲初冬のヘルシンキ。大聖堂の前にて。 

勤務先のホテルまでは市電で通勤していた。
車内は暖房が効いていて快適だったから、電車を降りてホテルまで歩く間だけが寒さを感じる数分間だった。
勤務は二交代制で夜半に出勤する時刻にはしっかり外は暗く凍りついていたので、ここで立小便をしたらツララになるのかな?などと空想してみたが、凍傷になりそうで嫌だったので実験はしなかった。

ロンドンで働いていた時は交通費節約のため徒歩で一時間の距離を毎日歩いていたものだが、さすがにこのヘルシンキでは歩きで通勤している人など全く見かけなかった。
市電網は縦横に張り巡らされていて市民の足として冬期には必需品だった。

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この頃になると、日本人の友人や現地のガールフレンドなども出来たりしてヘルシンキでの生活は楽しく快適なものになっていた。
しかし心のどこかで“堕落”を感じていたのも事実だった。
何かをつかみ取るために荒野をめざして日本を旅立った筈が、ただの生活者となって日々の享楽に流され刹那的な毎日を送っている自分自身…。
私を送り出し故郷で待っている両親の顔を思い出すと、申し訳なさが頭を過ぎっていた。

もうこのまま、この街に住んでしまうのもイイかなと感じるくらい当時のヘルシンキは日本人にとってとても暮らし良いところだったが、
その快適な暮らし良さが、現地に住む不良日本人を蔓延らせる原因にもなっていた。

日本のマスコミには報じられていなかったが、当時の北欧諸国(主にスウェーデンとフィンランド)では日本人による様々なトラブルが頻発していたのだった。

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