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04/ヘルシンキで働く [青年は荒野をめざした/北欧編]

無一文になって、とにかく生活の立て直しを図らなくてはならない。
イギリスで半年ほど働いていた事があったが、それから半年以上も放浪の旅をしていたのですっかり根を生やした生活感覚からは離れている。

一ヵ月ほど世話になった田舎を離れて、ヘルシンキの街に帰って来た。
さっそく情報収集のために、日本人のよく集まって来る駅前のRAVINTRA(喫茶レストラン)にやって来たら、丁度近くのセルフサービス食堂で一人の日本人がやめて代わりを募集しているという話しがあり運良くアルバイト先が見つかった。

厨房の手伝いとウエイターの兼業だったが、それほどハードな仕事ではなく勤めることになった。
そして今度は急いで住むところの手配だったが、アパート斡旋業者に向かおうとしていたところで、例の仕事をやめた日本人が住んでいたアパートが空くという話しを聞いたので、そこの空きに入居することにした。

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 ▲背景はヘルシンキ中央駅。この向かいに日本人のよく集まるRAVINTRAがあった。

しばらくは食堂で働いていたのだが、毎晩のディスコ通いで知り合ったフィンランド人から「ホテルのキッチンで働いた方が給料が良い」という事を聞かされてそちらに移ることにした。
オリンピック・スタジアムに続く大通りにあるヘルシンキの街で二番目位に大きなホテルで、私が配属されたレストラン部は女性が管理職でとても働きやすい環境だった。

今から40年以上も前になるが、当時から北欧諸国は男女共同参画は当たり前で、職場にも多くの女性幹部、管理職が活躍していたものだった。そして職場によっては女性がボスである方が仕事が円滑に進むということを私はよく実感したものだった。

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 ▲職場のあったメインストリート「マンネルハイム通り」を走る市電。 

ホテルレストランの厨房洗い場は皿洗いだけでなく大きな鍋釜も洗うのでなかなか結構な重労働だったが、一緒に働くウエイトレスたちは気立ての良い可愛い女の子たちばかりで、日本人が大変気に入られていたので永住して就職したいくらい快適な職場だった。
それに賄いの食事がセルフサービスのビュッフェ形式でローストビーフやサーモンの燻製、キャビアなど食べ放題なので一日のメインの食事は職場で済ましていた。

ロンドンで働いていた時はサボってばかりいるイタリア人が相方で息が合わずに苦労した経験があったがここでは真面目なチュニジア人と組んで仕事のストレスもなく喜んでいたのだが、途中からものすごく偏屈なポーランド人が加わって来て、チュニジア人と二人で愚痴っていた。

ヨーロッパでのアルバイト生活の中で、他にもロンドン、コペンハーゲンでそれぞれいくつかの職場を経験してきた。
ユダヤ人オーナーの店や華僑の経営する店で働いた事は彼らの日常私生活のネットワークを垣間見る機会があって面白かったが、ある意味では希薄な人間関係で成り立っているこのヘルシンキが一番働きやすかったように思っている。

人間関係はクールで希薄かも知れないが、人としてのモラルやルールに厳格な共存社会の就労システムは、その後日本に帰国した私にも通称「タックス・リターン」という源泉徴収票まで送ってくれる具合に行政サービスが行き届いていた。

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 ▲日本での住所に送られてきたフィンランドの源泉徴収票

 


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