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03/フィンランドの田舎暮らし [青年は荒野をめざした/北欧編]

その日の食事にも事欠く状態だった私を田舎の実家に招いてくれたのは幸いだった。
翌日到着したのは両親と暮らす湖に隣接する木造一軒家で、さっそく親兄弟親族一同が集まって私の“歓迎食事会”が始まった。

私はもともと親戚一族との交流の少ない環境で育ってきたので、こんなファミリーな雰囲気で受け入れられる事が驚きで新鮮でもあった。
フィンランド人には親日家が多いとは聞いていたが、まさに実感したひとときで結局この家族には一ヵ月近くもお世話になる事になった。

典型的なフィンランドの家屋にはゆったりとしたサウナのスペースがあり、夕食前にひと汗かいては白夜の湖に飛び込んでリフレッシュしてくつろぐ毎日だった。
そしてもうひとつ日課のように楽しんだのが昼下がりのブルーベリー摘みだった。

湖ボート.jpg

マッカラと呼ばれている太めのハムソーセージに、溶けるようにシルキーなマッシュポテトを添えてシンプルな昼食を終えると軽い微睡(まどろみ)の世界に入ってゆく。

ロッキングチェアに揺られて小一時間ほどの微睡から目が醒めると、家の畔にボートが着いていた。
どうやらこれから向こう岸の小島に行くらしい。

姉妹たちと一緒に小舟を漕いで湖を渡ると、そこは自然産物の宝庫のような島だった。
多彩なキノコやナッツ類に混ざってアセロラやブルーベリーなどの新鮮なフルーツや木の実が摘んでもらうのを待っているかのように豊富に育っていた。

その日の糧を気ままに採取する。誰に指図されるわけでも、ノルマがあるわけでもない。
自分のペースで自然と調和しながら生きている実感は、これまでの旅の生活とは異なる自由の感触だった。

陽が落ち始めた頃、収穫の満足感に満たされて帰路に着いた。
金色の湖面を滑るボートは向こう岸の家屋をめざして進んでゆく。

こんなふうにして一日が終わる暮らしをこれまでして来なかった事に気づいた。
労働というものが日々の糧と直結していて、それはノルマや義務でもなければ誰から指示されるものでもない。喜びに満ちた生産性こそが本来の労働である筈なのだ。

自然界に抱かれて、自然の恩恵を受けながらの暮らしを肌身で経験すると『あそびをせんとや うまれけむ』の言葉の本質を実感してしまう。

野イチゴ摘み.jpg

深みのある静けさ。それが私にとっての北欧の夏の印象だった。
湖畔のログハウスでゆったりと流れてゆく時間は私の中に北欧のイメージを定着させていったようだ。

夏休みの間の登校日に学校に同行させてもらった事も印象的な思い出になっている。
当時のフィンランドは歴史的背景もあって日本に対して高い評価の国ではあったが、これまで日本人なんて見たこともない田舎の学生たちは珍しさと少しの憧れを持って好意的に接してくれるのだった。

教師たちも日本から来た私を大変歓迎してくれて授業参観をする事になり、授業ではもっぱらお客さん扱いで日本の風習を色々質問されたり、日本の政治や社会情勢までその日の授業に取り入れていた。
そして私が感心したのは“自由に且つ積極的に学ぶ姿勢”だった。
これは教師の指導能力の賜物だと思ったが、とにかく授業内容は生徒たちが自主的に作り出している感じで、強制されて教えられているといった印象がない。
日本で受験学習を習慣づけられてきた私にとっては驚きの体験だったが、その数十年後に私が「マインドマップ」や能力開発ノウハウ、ツールというものに興味を抱く事の伏線だったようにも思える。

 


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