SSブログ

'71年7月、ナホトカに着く [青年は荒野をめざした/番外編]

 

ナホトカ港.jpg
 ▲旧ソ連南端のナホトカ港(当時は撮影が一切禁止だったので着港する前に隠し撮影)  

横浜を出たハバロフスク号は3日目に旧ソ連南東の港町ナホトカに着いた。
私にとって初めての海外の地、そして憧れ続けたロシア民謡の聞こえる大地
そういった思い入れからか、すべてが純朴な感じで建物のクリーム系の色彩さえも優しいレトロ調に感じてしまう。

夕刻、仕事から帰路に着く人々のざわめきも安らぎの象徴のようで快い。
往来の生活風景を眺めながら、ハバロフスク行き夜行列車に乗るためにナホトカの小さな駅で時間をつぶしている。ソ連国内は自由に旅行が出来ないため、インツーリストという国営旅行会社のパックツアーに参加しなければ国内を通過出来ない時代だった。それで集団行動の苦手な私も不本意ながら俄かづくりの「日本人団体さん御一行」の一員となっている訳だ。

この時代の田舎の風景はどこの国でもお国柄に即した素朴な生活感があった。
ナホトカの若者たちにもひと昔前の日本人の生活風景を思い出させる微笑ましいものを感じた。
男性のファッションは作業服が多く目について、女性の服装にしても艶やかな色彩がない。走り去る車は旧式の塗装の剥げたものばかり
で、街灯はといえば木の電柱に裸電球が付いている。まるで日本の昭和30年代にタイムスリップしたような、街全体にセピア色のフィルター
がかかっているような錯覚を感じた。

殺風景な広場の一角にくすんだ塗装の公会堂のような建物があり、屋根に取り付けられたスピーカーからは何やら時代遅れのポップスらしき音楽が流れていて耳を傾ける若者たちが集まっていた。
当時はまだプレスリーやビートルズといったロックベースのアグレッシブな音楽は一般には解禁になっておらず、若者向けに流れる音楽は国産の古めかしいポップスくらいのものだった。
首都モスクワの都会まで行けば多少は進歩的な若者たちが海賊版などで西側の音楽を聴くことがあるかも知れないけれど、この辺ぴな田舎町にはそういった先進的な流行文化を取り入れる環境も整っていない。そうやってそれぞれの土地の文化水準や気質は形成されてゆくものなのだとも思った。

しかし“新しい文化を知らない”という事はそれほど不幸な事なのだろうか?
五木寛之著「さらばモスクワ愚連隊」では当局の目を逃れてアンダーグラウンドで西側のジャズを楽しむビート族と称される若者たちの生態が描かれていたが、そこにはモスクワの都会特有の退廃的な雰囲気も描かれていたように見えた。
先進的な知恵と感性は新しい世界を切り開く創造的な発想に貢献をするが、同時に様々な矛盾と不均衡を生み出す事にもなる。
 
この国が後にペレストロイカという政治改革によって連邦国家を崩壊させることになるとは考えもしなかった。 

ナホトカ駅.jpg
 ▲ナホトカ駅のプラットホーム。これから夜行でハバロフスクに向かう

私自身これから始まるヨーロッパでの放浪生活はまさに様々な矛盾と葛藤の表われだったのかも知れない。
初めて足を踏み入れた異国の町ナホトカでのひとときは、この先に直面する悪戦苦闘の日々を想像することも出来ないくらいほのぼのとした時間だった。

 


nice!(15) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 15

Facebook コメント

死を食べる-アニマルアイズ