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'71年8月 就活ヒッチハイク [青年は荒野をめざした/番外編]

 

いつの時代もマスコミの記事というものは事実に即していないものが多い。
単なる個人の主観や水増し表現で、うっかり鵜呑みにすると滑って転んで怪我をする。
現在の様にインターネットHPやSNSの普及で世界中の情報がリアルタイムで届き、また検証できる時代から比べると
当時は大変不便で間違いを確かめる事も難しく、あてにならないガイドブックも多く出版されていた。
売らんがために歪曲されたマスコミ情報本を私はこの頃から痛感したものだった。

帰国後に渡航経験のあるジャーナリストとして様々な雑誌や著書に登場して、北欧に詳しい論評家でもあり大学の助教授までなった人が居たが、彼の書いた本は80%がデタラメな内容だったという例もある。
“真に受けた私が馬鹿だった”と言ってしまえばそれまでなのだが、現地で仕事に就くつもりだった私にはストックホルムでは簡単にアルバイトに就けるとうような話を鵜呑みにしまっていた。
パリでは職業安定所の間違った住所を苦心しながら推理して、ようやく辿り着いたらそこは学生向けに夏季だけ開かれているアルバイト相談所だったといういい加減な情報だったり、とにかく就活には支障をきたしたものだった。

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 ▲一日10ドルの生活費のため移動手段はほとんどヒッチハイク 

時期的なタイミングの悪さもあってなかなか仕事に在り付けず、国から国へ放浪の「就活ヒッチハイク」が始まったのは日本を出てから2週間が過ぎた頃だった。
目算では既にアルバイトに就いて下宿先でも探している筈だったものが、まったく当て外れで残り所持金を気にしながら国から国への流れ者になっていようとは考えもしなかった。

雨にも風にも負けず郊外のハイウェイに立って行き交う車が止まってくれるのを待ち続ける。次の宿に着くまではリュックに押し込んだパンとミルクで一日の空腹を凌ぐ。
ちょっとしたサバイバル体験のようだが若かったせいか楽しく貴重な体験だった。お金がどんどん無くなってゆく心細さとスリルには辛いものがあったけれど…。
 

就職活動のためのヒッチハイクはフィンランド・ヘルシンキからスタートした。運が良ければデンマーク、ドイツあたりで仕事に在り付けるかも知れないし、悪くてもフランスに行けば知人が紹介してくれそうな話もあったので何とかなるだろうと思ったりもしたのだが、結局はドーバー海峡を渡って職探しのために大英帝国ロンドンにまで足を運ぶことになったのだった。

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 ▲ヘルシンキからツルクの間で拾ってくれたお兄さん。車は「TOYOTA」の輸入車 

職探しは困難を極めたが、ヒッチハイクは案外と快調だった。
一日目のフィンランドでは3台を乗り継いで夕方にはスウェーデンに向かう夜行フェリーに辿り着けた。
一人のドライバーはトヨタの車に乗った日本びいきのお兄さんで、朝から満足に食事をしていないと話したら食事代と言って小遣いをくれて恐縮してしまった。
後にイギリスから北アフリカに向かいチュニジア、アルジェリア、モロッコという長いヒッチハイクの旅に出る事になるのだが、この初めて経験したヒッチが好感触だったことが“信じてめげない忍耐”を培ったのだと思える。信じられるような経験をすれば信じる事が出来る…人の信念って単純なものなのだ(笑)

ヨーロッパの中でもドイツは特にヒッチハイカー天国と言われていて、とても気安く車が止まってくれる国だった。基本的に旅人を受け入れてくれるホスピタリティー気質は「リュックサック」「シュラフ(寝袋)」「ワンダーフォーゲル」といったドイツ語の登山用語や「ユースホステル」の発祥地でもある事を考えてみると当然なのかも知れない。
おまけにドイツはアウトバーンという高速道路が国中に整備されていて(実はこれは戦時中ナチスの造ったインフラでもあるのでその評価には複雑な感情が伴うのだが)走行の快適さと利便性はヨーロッパ随一で、ハンブルグからミュンヘンまで約七〇〇キロの距離のドイツを一日で縦断する事も可能なくらい各国ヒッチハイカーからの評判も良い国だった。

ドイツではベンツに乗った中年夫婦が拾ってくれた。途中のカフェテリアで休憩しながらコーヒーを驕ってくれて、話によると第二次大戦で足を失ったらしく運転中は気がつかなかったが義足という事だった。
別の機会にオランダ人のドライバーから自分の父は日本との戦争で戦死したという話を聞かされた時には返す言葉を失って困った事があったが、今回はドイツという同盟国の兵士でもあったので戦争で失った足の話を辛いながらも共有して聞けたのだった。

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 ▲カフェでひと休み。とても親切にしてくれたベンツの夫婦 

就活のためのヒッチハイクではあったが、私のヨーロッパ放浪生活を別の側面から価値あるものにしてくれた、あの時若かったからこそ出来た体験だったように思う。

世界の情勢も変わってテロが頻発している状況の中では、ヒッチハイクなんて無謀としか言いようのない行為かも知れない。これからはあの様な人情の交流を体験する旅は出来ないのかと思うと、ますます世界は分かり合えなくなるのではないかと危惧してしまう。
情報化、コミュニケーション・テクノロジーが発達して人の繋がりがきめ細やかになるのかと思いきや、その反対でますます世界は混沌として殺伐とした関係性で成り立つようになって来たとは皮肉なものである。

 


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