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欧州放浪物語~スピンオフ [青年は荒野をめざした/番外編]

 

【老いて荒野をふりかえる】

ヒッチハイクでヨーロッパ中を駆け巡り、時にはアルバイトに就いて異国の街に暮らし、少し蓄えが出来ればまた旅に出る…
そんな生活の一部を、五木寛之氏へのオマージュを込めて「青年は荒野をめざした」というタイトルで自分のホームページやブログで発表していたのが20年以上も過去になる。

当時の視点で書かれたルポは今読み返してみると、稚拙な文章である事も勿論だが欠落した部分も多く、歳を経た現在から見ればテーマの選定や視点に対して違和感がある事も事実だ。

当時は気づかなかった事やタブーだと思って削除していた事など、時の流れを経て新たな別のアングルから青春の放浪を検証し、綴ってみたい。 
これは過去の物語の様でもあるが、実は今日の私の温故知新という“気づきの日記”でもある。

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【未知への憧れ】 

1960年代から70年代にかけて、世界中で若者たちが台頭して社会の流れを形成していった時代だった。
これまでの世界でも様々な変革はあっただろうけれど、これほど若者が主体的に社会的イノベーターになった時代は我が国では高杉晋作や坂本龍馬たちが活躍した明治維新に次ぐ勢いではなかっただろうか。(背後に老獪なフィクサーが居たとか居なかったとかいう話はまた別問題として…)

私が横浜からヨーロッパめざして出航したのは1971年の夏で、'70年の大阪万博が開かれた翌年だった。
'60年代後半は第二次世界大戦が終わって20年が過ぎた頃で、世界を取り巻く新たな問題が各国で噴出していた。
アメリカはベトナム戦争、フランスは学生運動、東欧では「プラハの春」と言われた解放運動が起こり冷戦時代の象徴的な事件の数々が新聞紙上を賑わせていた。
日本国内では学生運動の終焉とも言える東大安田講堂事件や自民党55年体制での三島由紀夫割腹事件など、ひとつの激動の歴史の曲がり角を象徴した時代でもあった。

それでも若者には世界に対して夢と希望があった。
まだ見ぬ「来るべき世界」に心ときめかせる純情があった。
“可能性に心惹かれる”そんな気概がある限り世界は健全さを保てるものなのだろう。

若者が老獪になってしまっては社会が閉塞的になる。
物わかりの好い若者で埋まってしまってはマイノリティの往き場所がなくなるものだ。
馬鹿な夢を見て馬鹿な試みをしてみる、そんな“ゆとり”が人間にとってはオアシスなのかも知れない。

一ドル360円換算で現金20万円をトラベラーズチェックに換え片道切符で出航した。
世界は常に混沌とした問題と危険性を孕んでいたが、現代のように狂気じみてはいなかった。
学生だった私は漫画や映画に夢中になりながら世界を夢見ているごく普通の若者だった。

そんな普通の若者が海外に飛び出てゆく事になるとは、やはり時代の空気や教育といったものが大きく影響するものだと思えてならない。
父親は私が幼少の頃に 
♪ 俺が死んだら三途の川でよ~鬼を集めて相撲とるよ~ ♪ ゆけや~ゆけゆけアマゾン川へよ~ ♪ といった、開拓団の唄をよく歌って聞かせた。
若い頃に外交官志望だった父は、海外雄飛というヒロイズムを私に植え付けていたのかも知れない。考えてみれば、私の中には幼い頃すでに“殻を破って飛び越える”という行動則のようなものが芽生えていたように思える。
生まれた時代の空気や受けた教育の与える影響とは、良くも悪くも根深く重いものである事に変わりはない。

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「青年は荒野をめざす」というロマンに酔って海を飛び越えた時代。
現代では理解する事も難しいかも知れない時代の感性と価値観だが、そこを生き切ってきた者には未だに見果てぬ夢が横たわっているのかも知れない。
素材は過去の旅行記だが、今を生きる視点からのスピンオフでもある。
過去の旅を綴り追体験することは、私にとってこれまでのタブーを越えてカミングアウトを通して新たな気づきの次元を生きるような予感がしている。

 


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