ねこ背 [ねこ次元]
ある日、猫の背中に興味を持った。
何だかとても可愛く、そして哀愁を感じたからだ。
そもそも背中というものは、どこか無防備であったり隙があったりしてもう一方他面の姿が垣間見られるところだ。
猫たちにしても耳を忙しく動かして背後には気を配りながらも、その内面に押し隠している人懐っこさや孤高の哀愁は滲み出てしまうようだ。
猫はどこか孤独なアウトロー的雰囲気を醸しているように思う。
時には媚びたようなポーズもとるのだが、プライドが邪魔をするのか突然醒めてしまって本来の“無頼の表情”に豹変したりする。
☆
「親の背中を見て育つ」という言葉がある。
「背中が物語る」「背中で伝える」という表現もある。
背中というものは寡黙なくせに雄弁に語る。
ツンと澄ましたその風情
身勝手な潔さが憎らしいけれど心地よい。
儚さそうで隙がない
凛とした猫の背中は“無頼の魂”を物語る。
それでも時には何かを心待ちにしている節がある。
澄ましたクールな横顔が淋しそうなグラデーションに変わるとき
猫にも無理して生きる様な“美学”があることを発見してしまう。
☆
一見薄情そうな猫の横顔にも、そこには深く押し込まれた情の世界があり
それを物語る猫の背中がある。
「猫に九生あり」…九生もある猫の背中なのだからそれはもう奥深い筈である。
猫の背中を読み取ったなら、貴方も少し“猫の次元”に足を踏み込んだことになるのでしょうね。
私にはそんな気がしてなりません。
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