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01/北欧フィンランドに辿り着く [青年は荒野をめざした/北欧編]

 北欧最果てのフィンランドに一年近くも暮らすことになるとは夢にも考えていなかった。
北アフリカのアラブの国々を旅した後、スペインから北上しながらアルバイト先を考えていた。スイスやノルウェーのユースホステル数か所に求職の手紙を書いたりもしたのだが色好い返事もなく、このまま放浪生活が続きそうな気配だった。

時には先の見えない気弱な気分になって、脳裏に“帰国”の文字が浮かんできた。
「もう日本に帰ろうか…」
このまま居ても、ただ異国で生きているというだけの事で何の価値も生み出さないし…。

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北欧で働きながらスカンジナビア・デザインを学んでくる!
そんな意気込みで日本を離れて来たものの、この時代のヨーロッパではまだまだ日本人の認知度や評価も低く、極東(Far east)から来た熱心な未成年といった感じでお情けを賜る程度の位置づけだった。

日本を出てから2ヵ月目にようやく仕事にあり就けて、半年ほどロンドンで暮らしていたのだが、その日常生活では様々な機会に人種差別を経験して、厳しい現実を思い知らされた気持ちがしていた。
異国での生活に馴染んでくると、生来の好奇心が湧き上がって来てちょっとした冒険旅行がしたくなって来る。
 

イギリスからドーバーを渡り、ベルギー、オーストリアからイタリアとヨーロッパを南に下って北アフリカのアラブの国に足を延ばした。
ヨーロッパから比べるとすっかりエキゾチックな国々で新鮮な体験や気づきの連続だった。ある意味で初めてヨーロッパを訪れたとき以上のカルチャーショックだったかも知れない。
時には日本赤軍を支援するという若者集団に一宿一飯の世話になるなど、アラブ諸国での体験は刺激的で驚きの連続でもあった。

イギリスを出てから各国を旅して半年余りが過ぎた。
スペインでの生活が快適で気に入ったので、語学学校に入学しながらしばらく滞在する事を考えたりもしたが、そのためにはまず金銭を蓄える必要があり、結局アルバイト探しをするために北上することにした。

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 ▲ヨーロッパでの移動手段はほとんどがヒッチハイクだった。 

スイス、ドイツ、オランダ、デンマーク…と転々としながら北上したが仕事も見つからず先の見通しも立たず、頭の中には時折り“帰国”の二文字が浮かぶような心境のまま一年ぶりのヘルシンキの街にたどり着いた。

思い返せば一年ほど前になる。ストックホルムで働いて落ち着く筈の目算が外れて、全く考えもないままにフェリーで渡って来たのがこのフィンランド、ヘルシンキの街だった。
当時はまだ日本を出てヨーロッパに着いたばかりで、海外の事情など勝手もよく分からず行動していた。仕事探しが目的で来たフィンランドだったが、結局四日間ほどヘルシンキの街をブラついただけで何の成果も得られずヒッチハイクの旅に出たのだった。

そんな数日間の滞在で雨の降る灰色にかすんだ印象だけが残っている国だったが、まさかもう一度アルバイト探しに訪れるとは考えてもいなかった。
ここより先は共産国のソ連(ソビエト連邦共和国)に向かうだけで日本に帰る道が待っているだけだ。
ここで生活するチャンスが与えられないのなら、あきらめて帰国するしかないな…そう思いながら数日間の宿泊場所として、オリンピック・スタジアムにあるユースホステルの予約をしたのだった。

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 ▲ヘルシンキオリンピックの開催競技場がユースホステルになっていた。

 

 

 

 


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