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[覚書]我思う故に我在り/2011 [【アーカイブ】]

◆このブログを再開して四年が過ぎた。初めは、ただ何となく…次に作品づくりのモチベーションを高めるための思考メモとして…そして書き綴っている内に新しく取り組むテーマを発見することもあった。
◆これまでの思いつきメモの2011年一年間の中からいくつかの雑記をピックアップしてみた。自分自身の“今”を、思考の流れを辿って俯瞰してみるのも何かの発見になるような気がする。

☆ 

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作品・表現・生き様…私にとってこれらは、つながり合って一体となったものである。
それぞれを三つの点とするトライアングルの中心に「魂」のようなものが存在する、図解に示せばマアそんな感じかな?
そして…「作品とは表現のことであり、生き様とは作品のことである。そしてつまり、表現とは生き様のことである。」などと、もっともらしく独り言を語る。

そうやって私は納得をするために生きている。人生とは詰まるところ、生まれてきた事を納得するための作業なのかも知れない。

<2011年1月>

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私は常々“見えているものの向こう側にある、眼に見えないものを描きたい”なんて言っています。色んな意味に解釈できるので、もちろん賛否両論あることでしょう。
何故、私はこういった考えを持つようになったのか?ひとつには、もしも私が盲目になったら、どうやって絵を描くだろうか、と考えたからです。
目だけに頼ってものを見ているから、もしも目が駄目になったら、それだけでもう諦めてしまうことになる。絵が描きたいと思ったら、目がなくても、手がなくても描こうとするはずだ…なんて、ちょっと極端ですが、それくらいの想像をしてみた訳なんです。

ふたつめは、自分の目に見えているものがすべてではないと考えたからです。私の見ているものは、私の網膜に映ったものを脳が受け取って映像に編集しただけの…実に個人的な産物でしかない。そう考えたからです。
同じものを見ていても、人それぞれに編集の仕方が違っていて、見え方や理解の仕方も違っているかも知れない。見えている(と思い込んでいる)モノだけに囚われていては、その全体像を見失う。私は私に見えていない部分を見つめることで、その対象をより理解するという事を発見したのでした。

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そして三つめは、五感に頼らず第六感を磨いて、次元を超える事。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚とは違った第六番目の感覚…それを実感する事で、これまで閉ざされていたものが開けてゆく。解決出来なかったいくつかの問題を解くヒントが見つかるような気がします。だから私が絵を描く理由というのは、解決策の探求とその先にある救済のためかも知れません。

<2011年2月>

 “力”には様々な種類があって、そのイメージを一様には出来ません。とかく人は一面的な共通概念にまとめたがる傾向があるけれど、それは時には危険な側面を持っています。弱いよりは強い方がいいですよね、誰でも。力も、ないよりはあった方が良いと思うのは当然でしょう。肉体的な力とは別に、精神的、それも優しさや柔らかさの度合いというか、そんな“力”というものがあります。ある意味で「精神的な力」とは“肩の力を抜く事“でもあり、肉体的な力と対極にある力の事です。 

 腕力や暴力など肉体的な力に対してコンプレックスを持つと、間違った道を選ぶことになりやすいようです。従属するにせよ克服するにせよ、その者には力に対する概念が暴力としての概念に染められているからです。
 世の中には様々な種類の“力”のある事を表すことは必要で、また人は“様々な力”を発見・開発することも必要でしょう。


 

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☆ 

http://www.youtube.com/watch?v=NiEY4T7yli8
遠藤征四郎 師範の指導/2009 ヘルシンキ

 “合気とは力をガチンコでぶつけるのではなく、相手の意に沿いながら流してやることによって、邪悪な部分は自滅させてあげる事なんです。
 数年間道場に通って、私は多くのことを学び、得ましたが、最も素晴らしかったことは誰しもが生まれつき持っている、そのままの力を発見したことですね。

<2011年3月>

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“絵本との繋がり”を私に啓示してくれた三冊の絵本がある。

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『おおきな木』/シェル・シルヴァスタイン(著)
絵描きの私としては、自分の“思いを表現する方法”としての絵本を発見した記念すべき一冊。
この絵本は父親を亡くす2年ほど前に読んだもので、私の父親への接し方を大きく変えた絵本だった。おかげで私は父親に対して、少しの悔いもなく看取れたと思っている。その意味では、「一冊の絵本が人の人生を救うこともあるものだ」と実感している。

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『100万回生きたねこ』/佐野洋子(著)
この絵本を読んでホロっと泣いたとき、私は自分の人間性が変わったことを感じた。…と同時に、そういった事を発見させてくれる「絵本」というもののすごさに感銘を受けた。そして、私の今後の“表現者としての生き方”にヒントを与えてくれた。数年前なら多分この絵本を読んでも、そこまでの事は感じなかったと思う。これもやはり人生のタイミングというか、「縁」でしょう。

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『アライバル』/ショーン・タン(著)
実はまだ完全に読み切っていないのだが、私にはショックを与えてくれた絵本である。絵本というジャンルに入るのだろうけれど、文字が一切なくてコミックのようなコマ割りで展開してゆく。私もやってみたかった絵本表現だったが、それ以上の内容と技術のものが登場した(…こんな事ってよくあるんですよね)
しかし、この絵本が登場した事で私の“絵本に対する可能性への確信”は更に強まった気がする。21世紀はますますメディアミックスの時代になってゆくが、「絵本」も確実にその一翼を担うことになるだろう。絵本はもちろん子どもにとっても情操教育に必要なものであるが、ビジュアルな哲学書でもありマニフェストでもあり、そしてなによりも人に啓示を与えるものとして存在する。

<2011年4月>

ぼんやりと目覚めて ふとダイニングに目をやると
朝の陽光の中で コーヒーを入れる彼女の姿があった。

何も始まらず何も起こらない一日…
そんな時間がたまらなく愛おしい。
二人でここに生きているだけの実感が
怠惰な極上の贅沢だった。

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たまたま二十代の初め頃に描いたスケッチが見つかって
思わず一人で赤面した。
飾り気のない繊細な若さが まるで無知をさらけ出しているかのようで
気恥ずかしい。

そんな自分を笑える私は…それに比べるほど立派に賢くなったと言うのだろうか?
若さの何が愚かしげで恥ずかしいというのだろうか?
そこにはただ、傲慢な年老いた自分がいるだけではないのだろうか?

<2011年5月>

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私が影響を受けた画家やイラストレーターや芸術家というのは大勢いるけれど、多感な十代から二十代にかけて受けた影響というものは、やはりベーシックな存在として生き続けているものだと思います。
私のデザイン的な面、イラスト的な指向は、二十代に出会ったミルトン・グレイザーの影響が大きいです。多分個人的な嗜好がピッタリと合ったのでしょうね。“師との出会い”というのは、案外そういった“好みの傾向”でマッチングが決まるものです。

27歳の頃に描いた絵本のイラストが見つかったので眺めていて、改めてその頃の発想やモチベーションの自由さ&素直さに、現在の自分のいくつかの部分を反省させられました。
そして、「人ってやつは、全面的に向上してるとは言えないものだなあ…」「何かを得れば、何かを失うことが多いものだ。やれやれ…。」などとため息をついてしまう今日この頃でもありました。
(ま、そんな事は既に承知の事なんだけどね…)

自分のモチベーションを大切に…。自分自身の教祖となって、己の道に導いてあげましょう。決して、エセ教祖となって世界を牛耳ろうなんて企んではいけません。(爆)

<2011年7月>

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【すべての存在はバランスによって保たれている】

体を流れる血液も体を組織する細胞も、赤血球や白血球そして塩分や糖分…一人ひとりが違った体質でバランスを取りながら生きている。
太陽とその周りを回る惑星も、ブラックホールもホワイトホールも…それぞれがバランスを保って存在している。

重心はバランスを取るために常に移動し続ける。
移動して変化し続ける理由は安定を保つためであり、固定された安定は停止であり全ての終わりである。

生き続ける限り、人は変化し続けて…その中にバランスを発見する。

バランスの基とは、…?そう言う人も居るようですが…。
バランスは意識の外にあるものみたいですね。あまり意識しすぎると、ますますハズレてしまうような…
(子どもの頃、自転車の練習でありましたね。溝に落ちてはイケナイ・イケナイと思うとますます溝に向かって行っちゃうみたいな…)

私のバランスは“絵を描くために思考し、絵本によって表現すること”で調整しているみたいです。

<2011年9月>

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[人権~互いに認め合うこと]

震災被災者の避難所生活が進められてゆく中で、初めは雑然・混沌としていた生活が少しずつ形が整えられ、人の生活できる空間となってゆく。
…そんな有り様を現場から帰ってきた知人が報告してくれた。

人が“生きて”生活を営んでゆくという事は、無秩序・不安定の中から“人権”を打ち立て、確認し、互いの生存権を認め合いながら生きてゆくという事なのだろう。

涙を流しているだけでは生きてゆけない。情けで包んでいても生かせるわけではない。
「互いに生きる事」を認め合うことによって初めて、人の生命に力が加わる
これは被災した人たちだけの問題ではなく、今を生きている日本人のすべてが学ぶべき事柄が蓄積されているような…そんな気がする。

<2011年10月>

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斗夢

いつ頃までだったのでしょう、ピカソの目はあんなにへんちくりんに見えているんだと思っていました。
by 斗夢 (2012-12-18 08:19) 

扶侶夢

今晩は、斗夢さん。いつもコメントを残してくれてありがとうございます。

>いつ頃までだったのでしょう、ピカソの目はあんなにへんちくりんに見えているんだと思っていました。

私はモジリアーニのモデルさんは、みんな「首長族の一族」なんだと思っていました(笑)
…というのは冗談ですが、キュビズムという理論で描く絵に対して、「まあ、それもありかもね」とピカソを許せたのは50歳を過ぎてからでした。^^)

by 扶侶夢 (2012-12-18 19:57) 

alba0101

ご訪問&コメントありがとうございます^^

とうとう大晦日ですね...今年も皆様に支えられて一年やってこれました..
心から扶侶夢様や皆様に感謝しています..
こちらこそ、来年も宜しくお願い致します。
重ね重ねおかげ様で楽しい一年でした<(_ _)>

今日が無事に過ぎ...
きたる新年が素晴しい年でありますように..
『ありがとうございました』(^^)////

素敵なパイプですよね...
内緒ですが...私もパイプ愛用家です(^^)

by alba0101 (2012-12-31 11:06) 

九子

扶侶夢さんのt芸術に対する、人生に対する真摯な姿勢をひしひしと感じます。

コメントが書けなかったのでここに書かせて頂きますが、教えて頂いた
Mireille Mathieuって素敵でした!
youtubeから探し出して何曲もお気に入りに入れました。

フランスの歌って、悲しい旋律でもどこかしら明るさがあって、ラテン民族のたくましさ、精神的な強さを感じますね。( ^-^)

by 九子 (2013-01-04 21:44) 

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