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欧州幻想~こころの旅路 [タイムスリップ忘備録]

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▲ アムステルダムのユースホステル付近/1972年当時

過ぎ去って形も無くなってしまったものを、反芻するかのようにもう一度噛み砕きながら味わってみる。
それは年老いた私が、置き去りにしてきた時間に感謝をしたいが為の邂逅なのだろう。

ヨーロッパの国々に対して、私は私なりの個人的な幻想を抱いている。
感受性の高かった青春の一時期を過ごしたこともあって、一種のナルシシズムにも似た崇敬と愛着を持っている。
私のヨーロッパ観は幻想である。しかし自己の外側の世界を幻想でなく把握できる人間がいったいどれほど居ることだろう?

パリ~モンマルトルの丘/マドリッド~プラド美術館/ロンドン~ピカデリー界隈…それぞれに個人的な思い入れのある私的名所だ。
今ではすっかり様変わりしてしまったのが現実だけれども、そこに落として来た時代の陽炎は未だに青白い残り火のような、か細い光を放っている。
人生もこの辺まで生きてくると、寄り道をして彷徨った時間の方が味わい深く思えるものだ。

それは旅行記でもなく、現地情報でもない。私の、実に個人的で主観的な幻想の追憶であるが、そこにはもしかすると現在の現実生活よりもリアルな私の魂が存在しているかも知れない。

私の原風景とシンクロする一部がここに在るような気もする。

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現在では海外に旅しようと思えば簡単に出来るし、諸外国がそれほど遠いものではなくなった。
日常の事件や出来事もリアルタイムに伝わり、専門的な情報でさえ一般人にまで浸透している。

しかし私にとっての『旅』とは、自分自身のイマジネーションの世界のことなのだという事がようやく解かってきた。
例えば読み物で言うなら、ジャーナリスティックなルポルタージュやドキュメンタリー、ノンフィクションの世界を好む者もある反面で、お伽噺やSF小説といった仮想空想の物語世界を楽しむ者もいる。
どちらが本格派とか言うものでも無い。ただの嗜好の違いだと思う。私にとっての「リアル」が社会の規範から見れば「バーチャル」だったというだけの事である。 

青春の旅を終えて舞い戻ってきた私は、いつしかどっぷりとこの国の社会に浸かり切ってきた。
そして所詮は私たちの暮らす人間社会というものが幻想によって成り立っているという事を、歳を経た現在痛感するに至った。
この国がどうだからという訳でもない。自国も他国もない。国家を形成する社会そのものが一人ひとりの観念によって作り出されているからだ。

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私とシンクロする観念の創った青春のヨーロッパ。しかしそれは空虚な亡骸ではなく、リアルな幻想なのだ。


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