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仁丹ガム・コルトケースの思い出 [タイムスリップ忘備録]

【仁丹ガム・コルトケースの思い出】

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<仁丹ガム・コルトケース> 昭和35年頃に販売されていた仁丹『野球ガム』の別売ケース。テレビ映画「怪傑ハリマオ」のスポンサーであった森下仁丹は、折しも日本中のガン・ブームに乗って拳銃型のガムケースを販売した。


 森下仁丹の大ヒット商品、プロ野球選手名鑑カードがオマケの野球ガムを覚えている人は多いと思うけれど、別売で販売されていたコルトケースを覚えている人はどれくらい居るだろうか? アメリカ映画の西部劇が流行して日本中がウェスタン・ブームとなり、日本の人気映画もそれまでの東映時代劇から、小林旭の『渡り鳥シリーズ』に代表される無国籍映画と呼ばれる日活アクション映画に移行していった。 拳銃と言えば、当時は「コルト45」が流行していて、銀玉の飛び出す子供の玩具も殆どがコルト45だったように覚えている。(勿論、全盛期には様々なガンが流行して、ドイツ製のルガーやモーゼルそしてジェームズ・ボンド愛用のワルサーPなんかも人気がありましたが)そしてその頃に登場したのが仁丹野球ガム専用のコルトケースだった。

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 今尚、語り継がれる伝説のヒット商品・野球ガムは私も懸命に選手カードを集めていた覚えがあるが(最近のオークションではオマケに付いていた選手カードが高値で売買されているらしい)それと対になって記憶に残っているのが幻のガムケースだ。ケースに収納されたガムは引き金を引くとローラーでスルスルと銃口から出てくる仕組みになっていた。ケースの色は、白だったか水色だったかでプラスチック製のものだったと記憶している。大人が拳銃型のライターで火をつけて楽しんでいたように、私たち子供はコルトから出てくるガムを噛んで喜んでいたものだ。ガムの入った拳銃を持っている自分をテレビのヒーロー怪傑ハリマオとシンクロさせていたと考えると、なかなか森下仁丹も商売上手だったなあ~と感心してしまう。(ちなみに「ナショナル・キッド」のスポンサーだった松下電器は、ナショナル・キッドの光線銃とそっくりのライトのつく“拳銃型懐中電灯”を売っていました。これも覚えている人は少ないでしょうね)

 今では殆どウケなくなった玩具の鉄砲だが、まだまだローテクでアイテムに乏しかった子供時代にガン・ブームを迎えた私の廻りには、拳銃にまつわる様々な商品が氾濫していた時代でもあった。


<ご注意>
このコラムは十五年以上も前に発表した内容をそのまま転載しているため、その後に新事実が発見されたり、また今日では差別的とされる用語や表現があるかも知れません。『タイムスリップ』の趣旨としてそのままの形でアップしておりますので、その点はご了承下さい。

 

【追記】
私の持っていたコルトケースは単品販売していたもののようでしたが、いくつかの情報によると、それ以前に大人気となっていた「仁丹・自動車ガム」の景品としても流通していたようです。
そう言えば自動車ガムも子ども達の間で大変な人気でした。まだ国産のカローラが登場する前で、車といえばデボネアとかシトロエンとか外車の知名度が圧倒的な時代でした。日野自動車でフランスからライセンス供与されたルノーというのもありましたね。


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