SSブログ

「若者たち」の時代/思想のタイムスリップ [タイムスリップ忘備録]

一世を風靡したTVドラマ「若者たち」を懐かしく観て様々な事が頭を占めた。あの頃の私たちは良くも悪くも純粋で、世の中に希望を掲げていたものだ。

物語の全体像が分かりやすいと思われるので、ここに全文ママで映画公開された時の紹介文を引用させてもらいます。
『1966年にフジテレビで放送された連続ドラマ「若者たち」は、戦後の傷跡、貧困、学歴差別、学園紛争……など当時の世相、問題を鮮烈に描き反響を呼ぶものの、その社会批判性の強さにより、突然打ち切りに。しかし、放送終了後も圧倒的なファンの支持を得て、テレビ版と同じスタッフ、キャストで映画化。自主上映ながら、その感動と共感の輪はまたたく間に全国に広がり、1年間で300万人の動員を記録しました。
早くに両親を亡くした五人の兄弟妹──土建会社の設計技師、弟妹たちの親がわりとなって戦後の混乱をのりこえてきた長男・田中邦衛、遠距離輸送のトラック運転手で竹を割ったような性格の次男・橋本功、行動的なインテリの三男・山本圭、一家の台所を切り盛りする紅一点・佐藤オリエ、ドライで自己中心的な現代っ子だが、根はやさしい末男・松山省二──が互いに助けあい、時に猛烈に争い、ひたむきに日常を生きていく──。もがき苦しむ若者たちの姿がザ・ブロードサイド・フォーの主題歌とともに胸に迫ります。』

若者たち 画像.jpg

昭和40年代、まだ核家族という言葉に慣らされていなかった若者たちは、人々や社会との連帯の中に生きていた気がする。経済は高度成長期で昭和元禄と云う様な流行語にもなっていたが、多くの若者たちは社会の矛盾とぶつかり合いながら純粋な生き様を晒していた。ある意味で明治維新の起爆剤となった幕末の脱藩浪士たちの様な気概を持っていたかも知れない。だからこそ社会に対して声を上げることが自然であり必然であったのだろう。

時代の若者たちはその時代の流れに翻弄されて流れてゆく。常に次の時代の起爆剤となる若者の心情は、この次の時代にはどう移り変わってゆくのだろうか?常にある世の中の正義と不義、強者と弱者そして不公平。そういった障害にぶつかりながら、どういった答えを出そうと悶々とするのであろうか?
現代の若者たちにはそんなものは問題でも何でもないのかも知れない。問題の本質は変わらなくとも表層は変わってしまう。それが時代の流れと云うものなのだ。若者の心情は変わらなくとも生きて来た時代によって問題の対象はまったく違ったものになってしまう。良いとか悪いというものでもないのだろう。

今ではもう懐かしさでしかない若者たちの心意気と辿った足跡は二十世紀の種として土深くに埋もれている。

 

nice!(18)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

風に訊け~真実は一瞬の閃光の如く [随想随筆]

なぜ私たちは延々と悩み続けるのか?苦しみを解いてこの世の春に終着点として辿り着くことはないのか?
人生の旅路の中で幸せはほんのひと時で、あとは苦しいことの方が多い様に思える。真実の歓びは多くの虚偽に塗れて埋まっている。この世の中に幸せや真実が無いとは言わないが、その出会いはほんのひと時の如くで、長く保っている事は難しい。

多くの虚構や虚偽に埋もれた世界の中で、真実は一瞬の閃光の様に過ぎ去ってしまう。それでも確かな「その存在」を捉えて心に焼き付ける事が、人間に出来る唯一の方法だろう。
ひと所にとどまらない電光石火の真実だからこそ神経を集中させて覚るが良い。生命は短いものだからこそ現れる真実も瞬きの様なものなのだろう。

思索2.jpg

一瞬姿を現して消えてゆく。儚い真実の姿だからこそ大切に心に刻みたいものだ。
嘘に塗れた人の世で、出会った真は幸いの証しだ。自分の掌の中に収めておくことは出来なくともその姿を知っている事は幸いだ。虚飾の中に在る真実だからこそ一段と輝いて見えるのかも知れない。

人の世は噓偽りで成り立っているとも考えられる。華美な虚飾は魅力的で誘惑的だ。人の弱みを優しく擽る。どうせこの世に生まれたからには偽りの美酒だとしても味わってみたいものだ。
しかしその酒に溺れてはいけない。偽りと知りつつ快楽に耽りながら、自制をしているつもりがいつの間にか酔っている。自分は酔っていないという者ほど実はすっかり酔って溺れているものだ。自分自身を買いかぶる勿れ。
一瞬の真実の姿に目を醒ます。道を踏み外さないためには流れゆく刹那を捉える感性が必要だろう。


nice!(16)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感
死を食べる-アニマルアイズ