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幻想トリップ [随想随筆]

人生はまるで幻想の中をトリップするようなものだ。ひとりひとりの脳の中で作られた世界に生きて、そしてそれを全うする。人間の命は現実に存在するが、そのほとんどは架空の世界で費やされているようにも思える。ヒトは現実に生まれては幻想を旅してそしてその命を現実の中で終える。
言葉の区切りで幻想と現実を区別しているが実際にはその分れ目は見当たらない様だ。どこまでが現実でどこからが幻想か、シームレスなグラデーションで成り立っていてその境目は個人によって違っている。本当のところは誰にも分からないからこそ、その解明がひとつの学術のテーマにもなって人間世界で価値を持っているとも言える。

一般的に「現実」こそが真実であって「幻想」は虚偽であるというのが通説になっている。果たして本当にそうだろうか?私たちが見ている世界が存在する真実で、空想する世界は存在しない虚構であると言い切れるだろうか?空想することを虚構の世界として否定してしまうなら人間の営みの大半は殆どが幻想で、人生とは夢幻の時間である。

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生命の価値、生きる事の価値はもしかしたら現実世界とは別のところに在るのかも知れない。もしそうだとしたら、私たちはもっと自由にのびのびと喜びを持って生きてゆけるのかも知れない。

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半世紀が過ぎて… [青年は荒野をめざした/番外編]

1971年・夏…丁度50年も前の事だった。海外に旅立つことがある種のストイックさを持った冒険でもあった時代。何もかもが今とは違っていてその違いさえも今では語る価値を失ってしまっている。夢と希望と絶望と出会ったその時代は後の私の人生に影を落とし続けたのは事実だが、それも今となっては遠い昔の蜃気楼の様に私の記憶の中だけに息づいている。
ヒッチハイクで多くの人たちと接したりまた現地で働いたりして “事実は小説よりも奇なり”といった体験をしてきたことが50年も経てば夢か幻の様に思えるものだ。最近ではテレビやネットなどで見ると街の景色も土地の人情もすっかり変わったように見える。私の暮らしたロンドンの街はいまのロンドンとは違うし、パリのモンマルトル界隈も私のいた頃とは違う。きっとユトリロや佐伯祐三の見たモンマルトルも私とは違っているのだろう。
アルジェリアではアラブ人のグループに世話になったが、もちろん今の様にイスラム国に対する過激な差別や偏見のない時代だったし、無差別テロに巻き込まれる危険も感じず野宿して旅を続けていたこともあった。ヨーロッパ各国もアラブ諸国も今よりずっとのどかだった様だ

そう考えると、今の若い人たちの語っている(例えば)ロンドンと私の語るロンドンのニュアンスは違っているのかも知れないと思った。音楽ではグラムロックのT・レックスやファションではピーコック・スタイルというのも登場して華々しい時代だった。フィッシュ&チップスの庶民的な店や中国人経営の店が沢山あってスプリングロール(春巻き)やインドカリーもよくテイクアウトしたものだ。ピカデリーサーカスから一歩入ったペティコートストリートは古着の店や骨董品で賑わっていて、私のようにロンドンに暮らすお金のない外国人は休日になるとよく行ったものだった。世界中の若者が集まるソーホー地区の空気は今ではもう感じる事は出来ないだろう。

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パリのモンマルトル界隈も私の大好きな生活圏のひとつだった。白亜のサクレクール寺院とその周りに集まる絵描きたちの風景は単なる風景以上のものを私に与えてくれた。子供の頃から観ていたフランス映画の醸し出す香りが街中に溢れていて、私の描いていた異国の街パリの真髄を裏切ることなく与えてくれた。
そんなパリの街も21世紀になると悲惨な無差別テロが起こったりノートルダム寺院が火事で焼失したりして、もはやかつての古き良き時代の面影も薄らいでしまった様だ。パリだけではない。アムステルダムやローマやマドリッドの街もすっかり様変わりしてしまっていて、もはや私が青春を育んで来た古き良きヨーロッパの街々ではない。時が流れ様変わりするのは当然なのだが、“語る感性の拠りどころ”を失ったような気分になって淋しい。


老兵は去りゆくのみ、そういった言葉が聞こえる様な気もするがやはり生きている限りは自分自身の生きて来た足跡を信じながらこれからの先を見届けたい。
かつて若い頃に放浪したヨーロッパと北アフリカ諸国は、私にとっていつまでも永遠のロマンとして息づかせておくのが良いのだろう。五十年前の黙したままで…。

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