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猫と私と仏と… [日々の背中]

昨年、長く飼っていた猫が亡くなった。そして今年、古希になった私にはこれまでの様々な人間関係や生き方を見直す事件があって、諸々の事情から仏の心に触れる機会に恵まれた。
猫と私と仏との間には一見何の関係もない様にみえるが、わたしにとってはそれらには脈々とした繋がりがあるように思えたのだ。

亡くなった猫の名は「ミカン」といって十七年間我が家で飼っていたが、それよりずっと前に幼児期から飼っていた猫がいて名前は「みーこ」という名だった。「みーこ」とは十二年間共に暮らしたが、私の原風景のひとつとして心の中に取り込まれている。昨今のペットブームとは違って、私の幼い頃の猫や犬たちは人間に飼われながらもしっかりとした自立心があった。私は幼いながらも飼猫のそばにいることで生きものへの愛情や共に暮らす事の知恵を学んだように思う。

ミーコと一緒.jpg

今思い起こしてみれば、猫たちへの愛情が育まれたからこそ私の情操教育は成し得た様に思える。生きものへの愛情は人間から学んだものでは無く、猫や犬たちと触れ合って生まれたものなのだろう。そこには言葉や理解を超えた命の本質が見える。
人間というものは人間であることを越えなければ、なかなか仏の心を理解するには難しい様で、愛情ひとつを取ってみても本質に触れることなく、誤解したままで一生を終わりそうである。

長らく猫と暮らしていて、ある時「猫の様になりたい」と思ったことがある。それは「出家したい」という感情とよく似たものだったかも知れない。なんだかとても崇高な事の様に思えたのである。
森羅万象、万物に仏は宿っていると云うが、私は子供の頃から猫と暮らして来た日々の中にその心を見た気がするのである。

ミカンの眠り.jpg


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lamer75

古希おめでとうございます 米寿より
by lamer75 (2023-07-26 14:51) 

扶侶夢

>lamer75 さん、ご来訪&コメント有難うございます。
lamer75 さんは米寿でしたか、それでこれまでのクリエイティブな活動や現在の文筆の意気込みには尊敬します。
by 扶侶夢 (2023-07-27 09:36) 

lamer75

お恥ずかしい。
by lamer75 (2023-08-11 22:24) 

lamer75

車は教習所の先生と喧嘩して止めきりですし。
動物は芝犬に逃げられていらい縁がないです。
自分の事で誠意杯な感じで生きて来ました。
by lamer75 (2023-08-12 20:45) 

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