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小説「ゼロの告白」/第十五章 [小説「ゼロの告白」]

【ゼロの告白/第十五章~越えてゆくもの】

 時代は平成を経て令和に入っていた。男は時代から切り離された様な不思議な孤独感を感じていた。不思議な、と云うのはこの孤独感が辛いものでもなければ特別に心地良いものでもなく無感覚な浮遊感の様なものだからだ。
 毎日、役所の臨時職員として勤めているがまさかこの歳になってそんな生活をすることになるとは考えてもいなかった。若い頃の彼からは想像もできないこの変わり様は、生活ぶりや見かけだけでなく、ものの考え方の変化にまで及んでいた。見方によっては歳を取って守りの姿勢になった、保守的になったという事も出来るがそんな単純な事でもないのがこの男のこれまでの生き様でもある。決して平凡とは言えないこれまでの生き方を振り返ってみると、そこには事あるごとに一線を越えようとする何かに取り憑かれた様な超越した魂を感じるのだった。
 無邪気だった子供の頃は、デパートの屋上から飛び降りてみたい衝動にかられたことがあった。まだ見ぬ別世界への恐怖心と探究心の混ざった奇妙な感覚に誘惑されていた。そんな無邪気なスリルから一転して、青年期の頃にはより現実的な死線への渇望が渦巻くようになっていた。生死の境を見極めようとするその衝動は彼がいつどの様な場面に遭遇しても生き抜けがあればられる様な男でありたいと願う、一種サバイバルなロマンチシズムから来るものでもあった様だ。
 そして成人し社会との繋がりをより現実的に持つようになってからは、様々な不条理の渦巻く事件の中に身を置くことも厭わなくなっていったのだった。身の近辺に厄介な事件があれば敢えてそれに関わろうとする、その事件が事件史的に名を遺すようなものであればある程、わくわくした興奮を感じることもあった。これは単なる自己顕示欲ではなく現実と一体感を感じるためのこの男の方策だったのだ。

羅線天地.jpg

 
 ある時は実体のない幻想であるかの様にも見え、また別の角度からは意味をなさない生命体の単なる流れの一環であるかの様にも捉えられる。生きている事の意味は一人一人の中に在りそれが千差万別でどれとして同じものが無いということは、つまり絶対の真理もなければ全能の神もない「ゼロ」の存在である様な気がしていた。

 物事の中心が「ゼロ」であるのならその周辺に存在する諸々の事柄は一体何を基準として存在し得るのか…。核心の正体が「ゼロ」だからと言って「無」としての存在がある限り全てが無意味で無価値なものと断言する事は出来ないだろう。この次元に存在しないとされるものにも “絶対的な「無」としての存在”があるからだ。相対的に推し測られる有限の存在とは異なって、ゼロである事は無限の普遍性に裏打ちされている。人間も動植物も有機物の全ては相対的な生き物であり、それぞれの能力はそれぞれが身に付けた単なる個性のひとつであって、その能力と言われるものによって価値判断され差別化される人間社会とは実に欺瞞的な意識と構造を持っているに過ぎない。


 人生の終わりが見え始めると同時に総括めいた考えが頭をもたげる様になってきた。短い生涯の中でそれほど多くの事は体験も出来ず、結局何も解らず自身の存在の意味も分からないままに自分の人生を終える…
 極めて主観的で個人的な一生を送りながら、まさに一粒の雫の様な時を全うする。そのことを理解することが賢者なのだろう。男はそんな諦めの極致の様な心境でもあった。「諦める」という言葉はこれまでの人生において男が使いたくない言葉だったが、今ここに来てそんな偏狭な考えも消え去り、全てを理解する素の心に戻った。


 人生の黄昏どきに差し掛かり、限りなくゼロに近づいてその正体を感じ始めたころ走馬灯のように流れてゆくものは実に無数に散りばめられた光眩しい残像だった。
 学生時代には人生に期待があり、留学を夢見て海外にまで足を延ばした事もあった。社会に出てからは政界で鞄持ちやら要人警護の仕事をしたかと思えば、ある時は水商売の経営やら広告業界で働いてみたりと八面六臂の生活で、早熟だった男の人生は小説よりも奇なりと云える一生だったようだ。

 自分自身の核心に迫ったときに感じたものは、何も超えたものなどないという事だった。越える事も越えるべきものもなく、ただ己の核心に生きる、言葉を変えれば「ゼロの極致すなわち “素”に生きる」ことが至福の時であると悟るのだった。

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<諸事情により今回をもって一旦終了いたします。私のライフワークの一環として展開してゆきたい気持ちもあり、この先また再開することも考えられますが今後の展開はあくまで未定です。>


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