[覚書]我思う故に我在り/2019 [【アーカイブ】]
◆これまでの思いつきメモの2019年一年間の中からいくつかの雑記をピックアップしてみた。自分自身の“今”を、思考の流れを辿って俯瞰してみるのも何かの発見になるような気がする。
【↑ '70年・大阪万博会場マップ】
EXPO'70 では「人類の進歩と調和」がサブタイトルとされて、そのテーマに沿った数々のパビリオンが展開されていた。会場のシンボルとなる岡本太郎の「太陽の塔」もそのテーマに対する問題提議的なアートとして強烈な存在をアピールしていた。もちろんパソコンも無ければ携帯電話も無い時代で、コンピューターと言えば冷蔵庫よりも大きくてパンチ穴の空いたテープが回る仕掛けのもの、モバイルでは自動車電話が一部のVIPや富裕層に普及していたのみで、肩からかけるトランシーバーより大きなモノが未来の携帯電話として紹介されていたのを覚えている。
当時は世界がベトナム戦争や米ソ冷戦の最中で厭戦気分が覆っていた時代でもあり、人類は生活向上と世界平和を望んでいたが21世紀の今日は核エネルギーの環境問題やヘイト差別が争いの種となっている。果たしてこれからの世界をリードしてゆく先進国の取り組むべき課題とはどの様なものなのだろうか?
平成も終わって新元号に切り替わる年・2019年が始まった。
☆
これまで久しく、否定的な思考や発言はマイナス思考として煙たがられてきた様に思う。
どんな時も明るく楽しそうに肯定的な見解で語る事が正しいとされて来た。
しかし本当にいつもそうだろうか?
一個人の性格にしても伸び伸びと成長し続ける事だけが正解だろうか?
民主主義と多数決の原則は整合性があるだろうか?(私たちはとんでもない誤解を教え込まれて来たのでは無いだろうか?)ものの考え方や個人の行動には“同調”なんて本当は必要ないに違いない。本来は足並みなんて揃える必要はない筈なんだが、団体行動を主軸とする組織ではやはりそれが規範となる。
異端だとか異色だとかいう呼び方は形容として仕方ないかも知れないが実に失礼な言い方の様に思える。「みんな違って、みんな良い」というフレーズもあってダイバーシティという考え方も啓発されている割には、綺麗ごとだけで実際には少しの承認も実践もされていない。みんなが一斉に声を上げるものは常に変色して本道からずれてゆくもので、だからこその“みんな違って、みんな良い”なんですけれどネ。
問題解決の切り口のひとつのヒントとして“ネガティブ・ケイパビリティの視点転換”を推奨します。
従来の考え方に依れば、メジャー志向やポジティブ志向の偏りを正してマイナーとされるネガティブな思考も取り入れる意味と単に捉えられそうだが、もっと幅広く深い考え方の様に思える。それは別の答えを見つける模索ではなく、答えの見つからない状態を時を待つように受け入れる生き方とも云えるだろう。
“ケイパビリティ”とは許容力とか理解・包容力として俗に言われるキャパ(キャパシティ)の類義語で「否定的に捕らわれている物事を、受け入れて理解し可能性を導く」と私は解釈しているが、行き先を見失ったかの様な時にこそこの思考が大切なのだと思う。最近ではビジネスシーンなどで「ソリューション(解決策)」という言葉がよく用いられてきたが、現代日本人は(米国思想教育の影響も受けてか)時を待つ解決方法というものを忘れてしまった様だ。自力で脱出口という“答え”を見つけようと足掻く現代病パラノイア状態に陥っている事に気づかないでいる。この流れを一時停止させて見直す切っ掛けが「ネガティブ・ケイパビリティ」の視点なのだと思っている。
そのころ同じようにベストセラーとなって能力開発の先鋒と称されたのが、戦闘機『隼』開発のエンジニアとして既に評価を得ていた糸川英夫 博士(“日本のロケット開発の父”とも呼ばれる博士の功績は簡単には語り切れませんが、現在では小惑星『イトカワ』の命名源としても有名ですね)の「逆転の発想」シリーズだった。
その後80年代に入るとバブル景気の自信満々な上昇志向も加速して、新たな手法とスタイルによる能力開発ブームが到来した。中には新宗教とも呼ばれて集団催眠を利用しているかの様な団体もあり、また他方ではモチベーションアップの手法でネズミ講的ビジネスと合体させたような如何わしいものもあったが、能力開発の目的や方向性は人々の生活水準や社会環境の変化に伴って、かつての60年代のものとは別ものだった様に思える。アメリカからやって来た『ライフダイナミックス』も新しい能力開発メソッドのひとつで、日本の主要都市のイベント会場で能力開発セミナーを繰り広げ大きな収益を得るビジネスとして成功させた。その意味に於いてもこの時代の能力開発とは“金儲けスキル修得”の一種であった。
これまでも自分の両親を初め、色々な場面で認知症を実体験してきたけれど、よく考えればそれは介護する側としての第三者的視点だったように思います。ところが先日親戚からの電話で、歳の近い姉が認知症らしいという話しを受けて驚きとショックでした。親以上の自分の身に一番近いところで、それもこれまで兆しのなかった姉がそんな風になっているとは…。それによって、家族を初めとする周囲の人たちとの関係も微妙に変わるようです。そういった事情は勿論分かっているつもりですが、それでも実感はなってみなければ分からない。私が重要だと思ったのは“事前の予防といずれそうなる覚悟”でした。
身の回りにはたくさんの情報が溢れている。しかし自分にとって関わりのある大切な内容が一体どれだけあるのだろう?多くの他人事やどちらでも良いことに囲まれて、さもそれらが世の中を知るための必要な事のように追いかけて来る。実はそんなに大切でもない情報が作り出している“絆”というネットワークの正体とは何だろうか?高齢者の引きこもりと言われるかも知れないが、時々私はそれらにソッポを向いて何にも頼らず縛られない宙ぶらりんの浮遊感を味わいたくなる。
永遠をイメージする、絶対不滅を求める、唯一の存在を認める・・・私にすればどっちだって良いことに思える。それはアイデンティティの問題であり、一人一人の個人的問題なのだ。在る者には在るし、無い者には無いというのが正しいだろう。そしてそんな事よりも世の中の時間というものはどんどん移り変わってゆくという事実の方が私たちに決定的な現実を突きつける。
遠くで起こっている出来事を私たちはさも知っているかのように評することがあるが、実はその真相どころか表面上の事でさえ殆ど知ってはいない。“まるで見て来たかの様に”という言葉があるがまさに私たちは現場にいたかの様に物事を判断して評している。国内の事件でさえ正確に捉えられないのに、ましてや海外で起こっている様々な事件を文化的・宗教的側面も異なるアカの他人の我々にどうして是非の判断が出来るだろうか。
たくさん起こっているであろう不条理な戦争も、ジェノサイドも、人身売買も、政治的画策も私たちにとっては非日常的な事であり止める事は出来ない。決定的な現実とは今日のこの日の私の身の回りを理解する事なのだ。
月並みな事が嫌いで少しでも変わった事や新しい事にやりがいを見出すというのは、実は自己アピールをしたがっている事を意味している。自分の存在価値を他と違う事で示したいのだろう。思えば子どもの頃からそんなところがあった様だ。生まれつきのDNAかも知れない。
だからと言って次々に生まれる“新しい創作物”に価値が無いと言っている訳ではない。時代の風を読みながら生み出される創作物には“今の時代に生まれた価値”というものがあると考えている。ただ必要以上に“オリジナリティー”を強調したりこだわる事には疑問を感じるという訳だ。
そして更にそのトップにひねりを加えてボトムに繋ぐと螺旋状のメビウスの輪が出来上がる。これは単なる観念なのだが、私は時間というものをそんな感じで捉えている。そうやって長い歴史や時間の流れを捉えてみると、現在も過去も未来も全てがひとつになって古いとか新しいとかの観念が薄れてしまう。
いつの時代も“今がすべてであり永遠なのだ”という感じがする。
北アフリカの旅からスペインに戻って来たのは四月の春のことだった。
ほんの通りがかりの国で通過するつもりが、マドリッドは最高に楽しく生活を享受できた街で、あまりの心地良さにほんの4,5日の予定だったのが、つい2ヵ月も住み付いてしまった。安価なペンションで下宿生活を続けていると、旅人であることを忘れてマドリッドの住人のような気分になる。
街にいる時は、ほとんど連日プラド美術館で過ごしていた。特にルーベンスの絵画に触発されて美術館通いをすることになろうとは考えてもみなかった。
また時には3,000kmまで乗り放題という鉄道チケットでスペインの国内を思いのままに訪れたこともあった。
一ヵ月近くかけて気持ちの趣くままに、郊外のトレドをはじめアビラやコルドバなど城壁の街を訪れてとてもいい旅三昧だった。
▲アビラ城壁(上)、コルドバ市街(下)~スペイン観光協会パンフレットより転載
マドリッドのペンションに戻ってくると馴染みのおばさんが以前と同じ部屋を用意して迎えてくれた。
隣りの部屋には別の日本人が泊まっていて、親しく話を交わすようになった。
彼はアメリカから渡ってきた長髪に髭のヒッピースタイルのジャーナリストで、一ヵ月ほどアメリカをヒッチハイクした後に現地ルポを日本の雑誌「平凡パンチ」に送っていた。大西洋を渡って今はスペインでヨーロッパ紀行の準備をしているところらしかった。
昼間のプラド美術館通いを終えると夕飯を待つ間にこの隣人とよく会談をしていたが、ある日彼が持っていた「ハシシ」(※大麻・マリファナの類い)を勧められて体験する事となった。
その頃の私はまだ未成年でタバコも習慣になっていなかったがハシシにむせることもなく、彼の持っていた吸引パイプですんなりと馴染んでしまった。
ハシシはLSDやコカインなどとは違って薬害中毒になるようなものではないらしく(但しアタマは少しばかり酒に酔った状態のように浮いた感じになるようだ)2週間ほど瞑想状態に入っていたが何ら問題もなかった…ように思った。
マドリッドでのハシシによるトリップ体験は単に気分の良いハイな感覚というだけで、決して怪しく危険な薬物というようなものではなかった。
勿論のこと、私はドラッグや薬物を推奨するものではないが率直に言えば若い頃は何に対しても好奇心があって、また社会的常識を超えて体験を通して語る“実践主義”だったので社会通念の是か非かを気にしないところがあった。
▲連日のように通ったプラド美術館。ルーブルやエルミタージュと比べると小じんまりしているがコレクションは充実。
ドラッグ体験を正直に言ってしまえば、それは飲酒で開放感を得るのと何ら変わりはないのだが、ある種の陶酔の境地に入ることで感性は制約の枠を越えて、常識的価値観を逸脱した自由で開放的な感覚になる。多くのクリエーターたちが創作の源にドラッグ体験に興味を持つことも肯ける気がする。
しかし、その自由奔放で社会通念や規則管理を無視してしまう創作活動が、アナーキーで犯罪的な側面を持ち、時として社会権力に対抗する義賊のような偶像性を生み出す。そして多分この事が社会を管理するポリティカル・パワーからすれば厄介なものなのだろう。
(それにしても、著名な芸術家や創作家の多くが一度や二度はドラッグ体験をしているなどという話しは周知の事実として暗黙の了解となっているんですね。)
実は私がプラド美術館に通いルーベンスの絵に魅入っていたのはハシシの影響が少なからずあるように思う。
色々とカルチャー・ショックを与えてくれた隣人だったが、ある日持っていた一冊の文庫本を薦めてくれた。大江健三郎の『万延元年のフットボール』という難解な長編だったが、彼曰く「ハシシをやりながら哲学書や難解な物語を読むと、不思議と脳が活性化して思考力が拡がりその世界を理解することが出来る」…
理解が出来ているのかどうかは分からないが、難しい文章を読んでいても全然苦痛ではない事は確かだった。たぶんこれはハシシというものが、脳に対して思考することに対して苦労を与えないような働きがあるためだろう。とにかく気持ちの良いくらいの理解力で頭にスースーと入ってゆく感覚だった。
▲ペンション屋上のテラスにて(当時19歳の私)
スペインは当時フランコ将軍の独裁政権で街中いたる所に秘密警察がウヨウヨしていた。
独裁政権の国なんてものがあまりピンと来ない日本の若者だったのでお気楽に観光していた私だったが、或るアメリカ人がとんでもないトラブルに遭って私も他人事でなくゾッとした事があった。
マドリッドにも蚤の市があって、ヒッチハイカーたちも旅の資金稼ぎのためにちょっとした土産物を並べて売りさばいたりする事があったのだが、
そのアメリカ人はたまたま持っていた赤い表紙の『毛沢東語録手帳』のレプリカを並べて売ろうとしていたようで、文化大革命後の中国共産党員が持つ記念品として高値がつくと思ったのだろうか極右のフランコ政権の国である事をまったく気にもしていなかったのだ。…大らかで気の利かないアメリカ人らしい(笑)
国家を揺るがす思想犯として極秘逮捕からそのまま投獄され、日本では考えられないような独裁国家の事情で駐在の大使館に連絡が入ってから救い出されるまで数ヵ月も牢屋に入っていたらしい。
太陽と情熱の国というキャッチフレーズで“明るく楽天的な国民性”というふうに理解していた当時のスペインで、政治の意外な影の部分を見たようだった。
<令和元年11月・記>
前立腺が疑わしいと言われ、初めて生検をしてから9年が過ぎた。尿の出は少し悪くなったが生活に支障をきたす程ではなかったので様子を見ながら過ごしてきたのだが、これから先ずっとガンの心配の種を抱えているよりも、今体力のあるうちに手術してしまった方が得策の様な気がした。そうすれば前立腺の事は忘れてもうひとつの持病の糖尿に集中出来るというわけだ。
<↑ gan-mag.com HPより転用>
令和最初の年越しは病院で過ごすことになりそうだ。これも貴重な体験だね。
手術時間は4~6時間らしいが、人生二度目の全身麻酔はあまり気分の良いものではない。術後に一晩過ごす集中治療室の雰囲気がどうも苦手なので…。そう言えば13年前に頚椎後縦靱帯骨化症という難病で麻酔手術をした時は“成功率12%”とか言われてかなり悲壮感があったけれど、今回はたかが前立腺ガン如きなのでそれ程のことはない…のだが、でもやはり眠っている間は仮死状態なわけで麻酔が醒めて無事生還するという保証はないのだから、一応簡単な身辺整理はしておいた方がいいのかな?(苦笑)
皆さま良いお年をお迎え下さい。
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