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小説「ゼロの告白」/第九章 [小説「ゼロの告白」]

【ゼロの告白/第九章~風と塵の日々】

 昭和40年代に青春を生きたその男は性文化の解放を謳う“フリーセックス”や共有共同思想を謳う“コミューン生活”には一種の慣れ親しんだ感覚があった。前世代の封建的で時代錯誤の価値観から解放された自負があって、前衛的とも言える極端な思想にも抵抗の少ない世代でもあったから、一見非常識と見られる様な男女三人のイレギュラーな同棲生活もリベラルで知性的な位置付けで難なくやってゆけると思っていた。だから簡単に始めてしまった共同生活だったが日が経つにつれて男に自問自答させる問題が巻き起こって来た。

 炊事洗濯や日常の雑務に当番制の様な決まりはなく生活を共有して個々の様式や価値観をも容認する建前だったが、若い性の生理的欲求は独占と嫉妬の感情を目ざめさせて日を追うにつれて歪みを生むようになって来た。

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 アルバイトが非番で休日を過ごしていた時、男は目の前の女に欲情を掻き立てられた。若者は外出で不在だったが何のためらいもなく女の身体を押さえつけて欲望を満たした。男同士の共有意識があったのだろう。時代錯誤の男尊女卑がまだ生きていたからかも知れない。かつて風俗店で勤めていた事もある男だから女性の人間性を無視した感覚がどこかにあったのも事実だ。
 社会に守られていない女の抵抗ほど男にとって微力なものは無かった。女もその無力さを知っていたから申し訳程度の抵抗をするだけで、結果が目に見えていたかの様に体を任せた。決して心では受け入れていないのに体はまるで抵抗をしない様相は、日常の表層と深層を垣間見た様でセックスを終えた男を空しい気持ちにさせた。
 ただ若さの捌け口を処理しただけの感覚の男にとって、帰宅した若者が憤慨して絶交を言い渡した事が予想外だった。共有意識の理解を認め合っているという誤解から成り立っていた幻想を砕いて、若者と自分を取り巻く全ての環境から繋がりを断絶されたような気分になった。

 
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 愛だの繋がりだのと言っても相互の間には自意識の壁に囲まれたテリトリーのあることに変わりはなかった。そしてその距離を縮めようとすれば相手を自分の認知出来るテリトリーに引っ張り込んで拘束する事になってしまい、承認のない一方的な拘束は蹂躙という行為に至ってしまう。
 相手の存在も自分と云うフィルターを通してでしか認知する事は出来ないのだ。自分のイメージした偶像に当てはめて理解したような気になっている、それが人間の“愛と理解の限界”なのだと思った。手ごたえのある何かを求めて生きていた筈が気がつけば周を取り囲む幻想の中に浸っていた。遠くに見える微かな夢想もきっと蜃気楼の様なものに違いない。近づけば少しずつそれが幻想である事に気づいてゆくのだろう。

 “砂を噛む様な東京砂漠”の日常の中で束の間に見つけた共同生活も、幻想と妄想が生み出したフィクションでしかないと思い知った男は別段傷つく事もなく、風と塵の舞う明日に向かって歩みを続けるのだった。

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<この物語は「一人の男が自己に内在するマイノリティと対峙しながら成長してゆく」といった自伝的フィクションですが、無計画に執筆を始めたもので進行具合も遅く、今後の展開はあくまで未定です。あらかじめご承知おき下さい>



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