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「今日のソ連邦」と鉄のカーテン/思想のタイムスリップ [タイムスリップ忘備録]

自身の生きてきた道程を検証する。それは時には大きな過ちを見い出す事もあり、時には辛い振り返りになるかも知れない。しかしその愚かさも含めて、自分というものを包み込み救い上げることが「自己を生き抜く」ということなのかも知れない。
思想の変遷をタイムスリップすることは、表層的なレトロ・ブームとは一線を画す“知の散策”と呼べるものだろう。

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 ▲ 旧ソ連大使館が発行していた広報誌「今日のソ連邦」

1917年レーニンのロシア革命によってソビエト連邦という共産主義国家はすでに誕生していたが、1945年の第二次世界大戦終結の際のヤルタ会談で世界の国境の線引きが改められて以来、ソ連は国内のイデオロギーを統一して守るために“鉄のカーテン”で警固した。世に言う冷戦時代の幕開けだ。ソ連は周辺諸国を次々に共産国化して勢力圏を広げようとするのだがそれを阻止しようとする英米主軸のNATOと常に緊張を保っていた。

戦前の日本は共産主義と言えば“赤狩り”に見られる様に反社会的レッテルをはられた思想犯のイメージが付きまとっていたが、戦後の'60~'70年代になるとベトナム戦争反対運動などによる反米思想も高まりそれに呼応して共産主義をタブー視する風潮も低くなった。しかし思想的な壁は無くなったものの、KGBといった秘密警察やスパイの暗躍するソ連に対しての評価は、'68年プラハに侵攻して国際的な批判を浴びた「チェコ事件」などもあってまだまだマイナスイメージが根強かったように思えた。
そしてオリンピックでは体操、バレーボール、重量挙げといった日本が当時得意としていた競技の多くはソ連の選手がライバルだった事もあってスポーツに於いては、同盟国アメリカのスター選手には応援して肩入れしていた事と比べると、ソ連に対しては常に敵対意識があったような気がしていた。しかしこれらも社会情勢や国際関係の変化によって人心も移り変わるという思想の変遷の一例なのだろう。


ロシアという国に対して日本人は体質的に共有する同種のメンタリティがある様に思える。ロシア民謡にみられる様なスラブ系の哀愁などはその代表的なものだろう。第二次大戦後日本人もそれまでの教育や思想が大きく変わっていったが、その典型的なもののひとつにロシア人やアラブ人に対する親近感の減退がある様な気がして、それは何故、何処から来るものなのだろうかと考える事がある。

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