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私流カミングアウト(5)~洗脳体験 [私流カミングアウト]

 自己を形成してきた要因や体験を確認することは、見過ごしてきた過ちを発見し改善するきっかけにもなる。それはこれまでの人生の流れを変える大きなポイントかも知れないが、と同時に秘めておきたい程の恥辱の痕跡になるかも知れない。私的なカミングアウトは内面世界への挑戦と冒険でもある。

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 私の伏せておきたい体験の中に“洗脳体験”と言うべきものがある。但し、洗脳体験と言ってもそれは私の受け取り方であり表現であって、決して全面的に悪しきものという意味では無いことを断っておく。自己開発やマインドコントロールという手法も言葉を言換えればある種の洗脳といえる訳でそういった意味でのメソッドの一種と捉え直して考えたい。
 私が後に洗脳体験として自覚したのは、ある自己開発セミナーを受講した経験からであった。アメリカからやって来たというそのセミナーは後にマスコミに取り上げられて物議をかもした事もあったようだが、友人から紹介されてオリエンテーションに参加した時は少しの胡散臭さはあったものの、そんな否定的な雰囲気は感じなかった。スマートなアイスブレイクとちょっとしたトリックのクイズ形式ゲームで気を惹かれてセミナーに対する好奇心が高まり気がつけば参加申込書にサインしていた。とても上手な勧誘方法だった。
 このセミナーに関してはしばらくの間まで効果の様なものを感じながらその影響が持続していたように思える。バブル期だった事もあって費用の高額だった点や受講者の勧誘がネズミ講的だった点を除けば、能力開発に関わるいくつかの応用できる手法でもあって有益な点もあった事は間違いないと思うが(昨今の自己啓発講座やファシリテーター養成講座などにもその要素が少なからず反映されているように見られる)それにしても思考を自己改造に沿った価値観に書き換え、誘発する部分には洗脳の要素がある事も認めざるを得ない。洗脳とは実に巧妙に出来ているものなのである。
 しかしこういった場に於いて行われる一種の教育を“洗脳”と称するなら、極論すれば私たちは既に子どもの頃から帰属する社会の洗脳によって育てられた部分が少なからずあるというふうに考えられる。人も成長して自立できる歳になれば、社会からも独立して自分のものの考え方も懐疑してみる事が本当は必要なのかも知れない。自分を壊して裸一貫から組み立てられる、それの出来る人が“賢者”となる要素を持っている様に思う。

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 合宿の閉ざされた空間で「アドバンスセミナー」と銘打たれたそのセミナーでは過酷とも思われる難問・課題が突きつけられて連日のように非日常的な事態が起こったが、中でも一種の集団催眠で全員が沈没する船に乗り合わせる“生き残りゲーム”には強烈なものがあった。座礁した船が刻一刻と沈んでゆく状況の中で、限られた少数しか無い救命ボートを前に各人が奪い合ったり譲り合ったり生死の極限状態を仮想体験をするのだが、それは閉鎖空間から生まれる“集団ヒステリックな状況”を作り上げて人心を操作してゆく、まさにマインドコントロールの実践体験だった。

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 その後セミナーの熱も冷めて客観視できる状態に戻った私は、マインドコントロールにすっかり興味を持っていくつかの洗脳に関する専門書を読み耽ったものだった。遥か古の時代から洋の東西を問わず、人類には洗脳という技術が発達してきた歴史があるらしい。中でも中国の洗脳技術は長い歴史に培わられてとても高等らしく、太平洋戦争で敗戦して捕虜になった日本兵を思想改造と称して洗脳教育していた中国共産党の話はよく知られているという事だった。
 そしてまた、アメリカ海兵隊の訓練(映画「フルメタル・ジャケット」にも登場する)のように軍隊の訓練の中には高等な刷り込み洗脳教育が織り込まれている。どうやら人間は意識が高揚している状態の時は洗脳されやすい危険性を孕むものらしい。私は自分自身が洗脳体験をしたおかげで少しばかりは“洗脳に掛かる状態”というものが感知出来るような気がする。

 そういった目で世の中を眺めてみると、所々で集団的にマインドコントロールを受けているな、と感じるところがある。ただ洗脳の恐ろしいところは他者がどれだけ説明してもそれに目覚める事は殆ど無く、あくまでも本人が何らかの大きなショックを受けて一度自己破壊(リセット)しなければ洗い流して立ち直れないという事だ。

 

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