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'71年~'73年、貧乏旅行の就労事情 [青年は荒野をめざした/番外編]

'71年から'73年の二年数ヵ月の間、ヨーロッパ諸国と北アフリカをヒッチハイクで廻って得た様々な体験は当時としてはとてもユニークなものだった。
日本を発った当初はアルバイトをしながら現地でデザインを学ぶという崇高な(?)目的があったのだがいつの間にか海外数ヵ国の諸都市で働くボヘミアンとなっていた。

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海外で働いていた事はそれなりに面白い経験として私のその後の生き方にも影響を及ぼした。その影響については別の機会に廻すとして、ここではルポ風に記憶を辿ってみたい。
ロンドンでのアルバイト・エピソードは拙ブログ「青年は荒野をめざした~ロンドン編」でも触れています)

旧ソ連のシベリア経由でヨーロッパに到着して三日後にはアルバイト探しを始めていた。物価の高いスウェーデンだったから日に日に目減りしてゆく所持金を心配しながら仕事探しに追われる毎日だったが、日本を出発する前に得ていた現地アルバイト情報がまったく当てにならないと知ったときには目の前が真っ暗になったような気持だった。


期待と失望の繰り返しで国から国を転々とした結果いくつかの都市で就業の経験をしたのだが、オーナーがユダヤ系であったり華僑であったりそれぞれの国民性や人種の様相を反映していて興味深い体験でもあった。
イギリスでは正式な労働許可を取って働いているわけではなくいわゆるモグリの不良就労外国人という身分だったので、ポリスが見回りに来ると店のオーナーがキッチンや倉庫の裏に身を隠してくれた。万一見つかりでもすれば運賃自己負担の強制送還で日本に帰されてしまうのでこちらとしても必死の逃亡者気分だった。
就労ビザを取得していない者は当時は滞在が3ヵ月と限られていたが、外国人向け語学学校に籍を置いていた私は何とか更新を許可してもらえた。この許可が下りないと一旦国外に出てまた入国するという怪しげな方法を取らざるを得なくなる。

時代が半世紀も前の話しだから今では考えられないような事が常識だったり他愛もないことが困難だったりもした。世界は米ソ冷戦の真っ最中で、日本赤軍も暗躍していた時代。海外での日本人の評価はミステリアスな存在で好奇心はあったがまだまだ低いものだった。

ロンドン公園にて.jpg

'70年代のヨーロッパでは北欧はアルバイト天国というのがもっぱらの評判だった。北欧では夏になるとサマーホリデーとしてほとんどの人が一ヵ月ほどの休暇を取るために商業施設では人手が足りないという事情があり、ドイツやイタリアなど近隣諸国から多くの若者たちがアルバイトに来ていた。北欧の中でも一番人気だったのはスウェーデンで、賃金も他の諸国と比べて高いうえに一緒に働くスウェーデン人の女学生が美人ばっかりだったのでイタリア人などはガールハント目的で就業に来ているものも多かった。
女性が絡むと男たちの世界ではどうしてもいざこざが起こる。小遣い稼ぎで働きに来ている筈なのがいつの間にかマドンナの争奪戦となって民族意識丸出しの争いに発展する事もしばしばだった。目的は美女をゲットする事なのだが、ドイツ人ならドイツ人同士、アメリカ人ならアメリカ人同士、もちろん日本人も日本人同士でそれぞれのお国意識で固まって応戦することになる。スウェーデン、フィンランドは当時求人も多くお金を稼ぐには最適と言われていたが、外国人労働者同士のいざこざが絶えなくて社会問題視されることも少なくなかった。

HELSINKI_HOTEL.jpg

それぞれの国に数週間から数ヵ月、ヒッチハイクでの流れ旅ではあるけれど気に入った街にはどうしても腰を下ろしてしまう。旅をする事も好きだったが、本来は生活をすることが目的で海を渡って来た。そこで生活をするということは当然その土地で働くわけなのだが、じゃあ何のために働いているのかと考えると時々分からなくなってしまう事があった。

ロンドンではホテル洗い場、サンドイッチ・バー、パン職人の店、ヘルシンキではレストラン、ホテルラウンジ、コペンハーゲンではチャイニーズ・レストラン…ひとつずつ数えてみるとその国のネイティブに就いたのはヘルシンキのレストランやホテルで働いたときのみだと気がついた。
イギリスではドイツ人シェフ、ユダヤ人オーナーとイタリア人のパン職人。デンマークでは中国人オーナーにそれぞれ就いて働いた。仕事ぶりや指示の仕方も見事なくらい異なっていて各国の文化的素養の違いを感じたものだった。

海外で働いて感じた事は「働く意識も国民性によって全く異なっている」という事だった。当時日本では「モーレツからビューティフルへ」というキャンペーンもあって、それまでがむしゃらに働いてきた労働意識を変えようという時期だったが、懸命に働いている国は決して日本ばかりでもなければその国の労働意識の高さからくるものではなく、国民の生活水準の問題である事に気づかされた。
当時は“日本人は勤勉でよく働く”という評価を自画自賛していたが、滅私奉公で従属的に働く感性は決して日本人の美意識からくるものではなく、それは社会構造という現実的な政治の問題でもあった。

 

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