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私流カミングアウト(2)~母親との思い出 [私流カミングアウト]

作品を作る・表現に表わすという事は、ある意味でカミングアウトとしての側面があるかも知れない。
還暦を過ぎてからの私は、それまでのナルシスティックな観点を捨てて自分の原点を求めて原風景に立ち返るといったスタンスを持つようになったように思える。

自分自身を語るときどうしても親との関係性やエピソードに触れることになる。
私の人間形成には父親が大きく影響していると考えていた。性格面も多くの部分が似ているようだったし、文化的思想的な部分でも沢山の影響を受けてきたように考えていた。


その父親と比べて母との関係は希薄だったように思えた。否、そう思い込んでいた。
しかし歳を経て改めて思い返してみると、母から受け継いだ部分も少なからずあった事に気づく。それを受け入れずに来たのはどこかに母に対する罪の意識、申し訳なさが働いていたのかも知れない。
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「三つ子の魂百までも」という言葉があるが、両親に捨てられ叔母の家に預け育てられた母は生涯生みの親を恨み続けながら人生を全うした。
不憫な身の上を思いやられて大切には育てられていただろうが躾けは厳しいものだったらしい。
叔母をはじめ親戚縁者の間では彼女の父親を“家を捨てた生活破綻者”と言って人格否定が通っていたので、母もその様な父親像を背負う事になった。
彼女自身からの話しなので事の真偽は確かではないが、とにかく母はそんな自分の不幸な生い立ちを事あるごとに私に聞かせた。今にして思えば天涯孤独だった彼女の心の拠り所が私だったのかも知れないが、私にとっては母方の祖父・祖母と言える両者を情けない破綻者として教え込む母親に対して批判的で、多感な青年期にはよく衝突をして母をやり込めたものだった。

考えてみれば母にも青春時代があった訳で、将来を夢見ながら乙女心をときめかせた時代もあった筈なのだ。幼い頃、タンスの奥底に仕舞ってあった古い写真を見たことがある。母が楽し気に当時の話をしながら見せられた覚えがある。桜の木の下でぎこちないポーズを取って写真に納まっている姿は、私の見た事のない母親になる前の娘時代の微笑ましい姿だった。
戦争があったり教育水準が低下していたり時代の様相が異なっていることで、今の自分たちの観点から過去の人々の生き方を単純に批判する事は公平とは言えないのが事実だ。そんな事に気づくのも晩年になってからの事であり、私は母親の思いを何も分からず過ぎてしまった時間を悔やんだこともあった。
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私は若い頃には母に対して間違った正義感を振りかざして厳しく咎めることが多かった。どこかで母の愚かしさを許せない気持ちがあったのだろう。母親を愚かしく見下すということ自体が大きな間違いなのだが若さの浅はかさとはこういったもので、そうとは分かっていても長年の甘えは変わらず母をいたわる気持ちが芽生えたのは晩年になってからだった。

父の写真を見て胸が熱くなることはないが、母の写真を見ると時々じんと来てしまう事がある。それは母の背負っていた苦しみを理解してやれなかった、わかっていても労う事すら出来なかった自分への歯がゆさから来るものだろうか。
残された写真を見ると、父親とは別の母親とでしか共有できない時間のあった事を発見する。その共有の時間こそが母にとっても至福の時間であったことがようやく理解出来て、当時の母の思いが痛切に甦ってくる。


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この一枚の写真は家の近くで撮った母とのスナップである。別段何の変哲もない写真なのだが、私はこの写真が好きである。何故ならここには、“母の思い”そして“私との関係性”が率直に表われている気がするからである。
結婚生活に夢破れて一時は私を連れて家を飛び出した事もある彼女だったが、夫の母親に押し留まるよう哀願されて泣く泣く戻ってきたという経緯もあって、その後は唯一血の繋がりのある子供の私への愛情を支えに幸薄い生活が続いた。
母は喜びの表現が大変下手な人であった。幸せを感じたとしてもどこかぎこちなく嘘っぽい感じさえ与えてしまう、そんな気の毒な人であったから私がこの写真から感じ取れる母の思いは痛々しくさえある。カメラを見つめる母の眼差しがレンズに向かって少し硬くなっていて柔和な感じがしないのもそんな母の他人行儀的な振る舞いがさせているのだと思う。父はこの様なスナップ写真を撮る人ではなかったから多分歳の離れた姉が撮ったものであろう。後妻として籍に入った母にしてみれば先妻の娘であり、私にとっては異母姉弟の次女に撮られている母子のワンショットには様々な思いが含まれているだろう。そしてその母を慕うように肩に手を置く幼い私が彼女にはどのように映っていたのだろうか?

今ではすべてが陽炎の様な思い出でしかない。写真に残っている画像もまるでフィクションであるかの様に記憶の彼方に去っている。
時には愛憎混じりの葛藤もあった切れぎれの時間の中に、それでも母親として“私を育てた親であったこと”が私を培った愛情の記憶として残っている。


 


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