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透明ランナーの思い出 [タイムスリップ忘備録]

【透明ランナーの思い出】

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<透明ランナー> 昭和30年代に少年たちの間で行なわれていた草野球の“特別ルール”。2~4人で野球をしようとした場合、打者がヒットで出塁してしまうと途端に人数が足らなくなるため、とりあえずランナーが居るという設定にしておいてそのまま試合を続行するという、子供らしい無茶苦茶でアバウトなルール。

 嘉門達夫のコミックソングの中にも登場するので、経験がなくとも言葉だけは聞いた事のある若者もいるかも知れない。「透明ランナー」の名称は当時よく流行っていたスリラー物語に登場する「透明人間」から生まれたのだろう。
 空き地でのソフトボールが定番だった時代。小学校の上級くらいになると人数も集まり、きちっとしたルールの元で他校生との交流試合なども出来るようになるのだが、小学生になるかならないかの年齢の頃は何しろ近所のガキ連中を無理矢理集めてするものだから、中にはルールなんて全然知らなくて集まって来る者もいたりした。それでもまだ、人数がそこそこに集まればいい方で、どうしても足らなくなるとこの特別ルール「透明ランナー」の登場となる。


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 4人でやる場合は、守備側チームの二人はA:ピッチャー、B:内野兼外野手。攻撃側のチームはA:バッター、B:キャッチャーといった具合になるのだが(これでも何かヘンな感じなのに)3人になった場合は、ピッチャー、バッターに加えてどちらの味方ともならない“永久に守備の人”というのが現れる。そしてそういう役は必ずと言っていい程、最年少の者かおとなしい性格の者がやらされる事になってしまうのだが、それではあまりに可哀想という事でたまにピンチヒッターの役で打席に立ったりもした。(打つ事が楽しくてやっているのが殆どだったから)しかし、外野の守備がいないものだから、その彼はどんなに大きな当たりを打ってもワンベースしか行けないルールになっていた。そしてヒットを打つとさっそく「透明ランナー」と交代して彼はいそいそと守備に廻る事になる。

 「透明ランナー」は通常はアウトにならない。(それでも時々、内野手をファーストに張り付かせて牽制を投げるという馬鹿馬鹿しいピッチャーがいた)常に“本物のランナー”の前を走っている事になっているので“本物”がホームに生還すれば当然「透明ランナー」もセーフという事になる訳だが、かつて“本物”が3塁で止まってしまって送球がバックホームされた時には大問題になってしまった。 「今のはクロスプレーでアウトだ」「いや、ギリギリでセーフだった」などと、子供ならではの真剣さで解決の糸口のない不毛の討議が延々と続けられた事を覚えている。

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 それにしても今思えば、あの頃の子供達は遊び方を自分たちで工夫して考え、ルールや賞罰を合議制で生み出していたものだ。やれ“手作り”だとか“コミュニティ”だとか大人に音頭を取られなくても自由に勝手にやって支障もなく成り立っていた。なんと自主的で創造的だったことだろう。

 

▼YouTube に、こんな歌がありました!

<ご注意>
このコラムは十五年以上も前に発表した内容をそのまま転載しているため、その後に新事実が発見されたり、また今日では差別的とされる用語や表現があるかも知れません。『タイムスリップ』の趣旨としてそのままの形でアップしておりますので、その点はご了承下さい。


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