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森永スパークガムの思い出 [タイムスリップ忘備録]

【森永スパークガムの思い出】

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<森永スパークガム> 昭和37年頃発売されたコ-ラ味のガム。中尾ミエ・伊東ゆかり・園まりのハイハイ三人娘がCMに出ていて若者向けの商品だったが短命で消えた。当時はまだコーラの味覚が日本人にとってそれほどポピュラーではなかったために評価が低かったように思える“登場のタイミングを間違ったチューインガム”

  私の記憶では、コカコーラが全国的にTVCM登場した頃と同じ時代の商品ではないかと思う。(但し筆者は少年時代を地方の僻地で暮らしていたため流通には多少のズレが有り得る)とにかく、まだコカコーラがそれ程認知されていない頃だったので、私は初めてこのガムを食べた時「変な味のガムやなあ…」と思った事を覚えている。しかし、決して美味しいとは思わないけれど何故か妙に印象に残るエキゾチックな味だった。しかし二度と買った記憶がないところを見ると、やっぱり美味しくなかったのだろう。同じ頃に初めて飲んだコカコーラも最初は「なんだ、こりゃ!?」と感じたのに、その後すっかり慣れ親しんだ経過を考えると森永スパークガムは“早過ぎた商品”だったのかも知れない。

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▲CMキャラクターのハイハイ三人娘

 「S&Bモナカカレー」「松永とのさまラーメン」「日清カップライス」などなど、歴史の影に埋もれてしまった名品は数々あるけれど、私はこの「森永スパークガム」のフロンティア精神を讃えたい。当時はチュウインガムといえば「ハリス」と「ロッテ」の独壇場だったように思う。しばらく後になって、不二家が『ポパイガム』(なんと!うたい文句は“ホーレン草入り”ガム)カネボウがハリスを買収して宇宙エースのキャラクターを使った風船ガムで市場参入して来たが、まだまだ当時はチュウインガムに手を出すのは無謀だった。しかし森永だけは『チュウレット』という“食べられるガム”(色とりどりの美味しいお菓子だった)でそこそこの人気を得ていたので敢えてチャレンジしたのだろうと思われる。最強の二大メーカーを相手にする訳だから当たり前の商品では駄目だという訳でインパクトを狙ったのだろうが・・・結果は惨敗。

 その後カネボウに吸収された「ハリス」の名は姿を消して、結局お菓子業界ではしばらくの間“ガムの「ロッテ」、チョコレートの「明治」、キャラメルの「森永」”の勢力構図が出来上がる事になる。

 

<ご注意>
このコラムは十五年以上も前に発表した内容をそのまま転載しているため、その後に新事実が発見されたり、また今日では差別的とされる用語や表現があるかも知れません。『タイムスリップ』の趣旨としてそのままの形でアップしておりますので、その点はご了承下さい。

【追記:2012年8月】 本文途中に登場した「日清カップライス」はコラムが書かれた頃は完全に“忘れ去られた商品”だったが、その後レトブームで脚光を浴びて復活認知された商品のひとつとして現在では立派にコンビニに並んでいます。 

 


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