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冒険王クラッチの思い出 [タイムスリップ忘備録]

【冒険王クラッチの思い出】

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<冒険王クラッチ>  昭和40年頃フジテレビ系列で放映されていた、アメリカ産のアニメ。土日を除く毎日、夕方6時55分頃放送されていたが、たぶん殆どの子どもは7時からのゴールデンタイムに始まる番組がお目当てで、この3分ほどで終わる連続アニメをまともに見ていた者はいなかっただろうと推測される。

 アメリカン・コミックが原作だろうと思われる連続活劇アニメ「冒険王クラッチ」は実に不思議な存在だった。月曜から金曜まで連続で放送されていて、私も毎日のように見ていたのだが、その内容はさっぱり覚えていない。7時から始まるお目当ての番組が早く見たいものだから“早く終わらないかな~”などと思っていたくらいだった。そうかと言って他のチャンネルに変えると「ヤン坊・マー坊の天気予報」くらいしかやってないので、仕方なく見ていたような気がする。

  別段見るべきところのないアニメではあったが、ひとつ印象に残っている事があった(だからこうやって記憶の中に残っているのだろう)それは“人物の口元だけが実写合成されていた”という事だった。動きが全体にギコチない割に会話の場面だけが妙にリアルで、私は子供ながらにアメリカの技術の高さというよりもその滑稽さに感心していたものだった。アニメーションのセル枚数の加減からか、目とか表情の動きが乏しい割りにやたらと口だけがスムーズに動くために“もっとアクションシーンに力入れろよ~”とも思ったものだ。(もしかすると実写合成ではなく、口元だけが異常に丁寧にドローイングされていたのかも知れない。だとすると、益々私にはこの作品の意図が分からなくなる)

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 それに引き替え和製アニメは制作コンセプトが実にはっきりしていた。当時は「鉄腕アトム」や「狼少年ケン」なども放送されていて第一期アニメ黄金時代だったが相変わらずお金がなく低予算で製作されていた。走ってる場面などは2~3枚のセルで処理されてるんじゃないかと思う程安易な感じで、会話にいたっては適当に口をパクパクしているだけで全然セリフに合ってはいなかった。しかし当時のアニメに求めるものは決してリアリズムではなかったので“異常な口元”の「冒険王クラッチ」よりも、私は満足していた。  

 日本のアニメの神様・手塚治虫は低予算の中からなんとしてもアニメ番組を作りたいために、実に色々な事を考えたようだ。当時アニメのコマは1秒間に36コマといわれていたのを24コマにコマ落としを工夫したり、なるべく同じセルを使い廻せるように制作行程管理に力を入れたりもした。そしてそれらは、その後のアニメ制作会社のシステムのベースとなってゆくものだった。今やデジタル時代になって、アニメの制作方法もすっかり変ろうとしているが、当時の日本の過酷な制作環境が世界に名を馳せる『ジャパニメーション』の独自性につながったのかも知れない。もしも日本のアニメが最初からスムーズな口元を表現する合成技術やそれに見合う予算があったなら、これ程のオリジナリティを生み出す事はなかったのではないだろうか。

<ご注意>
このコラムは十五年以上も前に発表した内容をそのまま転載しているため、その後に新事実が発見されたり、また今日では差別的とされる用語や表現があるかも知れません。『タイムスリップ』の趣旨としてそのままの形でアップしておりますので、その点はご了承下さい。

 

 


▲当時はモノクロ画面で、もちろん日本語吹き替えで放映されていました。

【追記】
国産TVアニメは知恵と工夫で始まったが、その以前から劇場用アニメはスタートしていた。
日本初の長編劇場アニメとして東映動画の「白蛇伝」があるが、1958年の作品で日本人ならではの制作技術に驚かされる。アニメーションとしての作画も素晴らしいが、低予算対策として声優の部分は森繁久弥と宮城まり子の二人だけですべての登場人物をカバーしたという、まさに“工夫”でハンディを乗り越える日本人の能力のすごさを発見する。

白蛇伝.jpg
[白蛇伝スチール写真より/(R)東映動画]

 


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